2008年5月 9日 (金)

言わねばならぬこと

 中国の胡錦濤主席と歴代首相経験者との朝食会が昨日行われた。前日までの福田首相との会談では東シナ海の問題がキチンと話し合われたばかりか、バカの一つ覚えのような謝罪要求もないということで、この主席がオリンピックを目前にして慎重にそして是が非でも日本の協力を取り付けなくてはならないという様子が手に取れた。親中派の福田さんだからこそこういった話になったのかもしれないが、出だしは最高と思っていた。それでもこれでチベット問題を話題にしないままでは、国際社会からは認められないだろう。それが朝食会で一変した。

 物言う政治家として拉致被害者救済へしっかりした働きをしたことで首相まで登り詰めた安倍元首相からの発言であった。若さもあってブレーンを味方に付けられなかったことから四面楚歌に陥って首相職を放り出してしまった安倍さんだが、言うべき事は言うという確固たる意志のある政治家であることを見せてくれた。

 戦略的互恵関係の構築に向け。相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ。国が違えば利益がぶつかることがあるが、お互いの安定的関係が両国に利益をもたらすのが戦略的互恵関係だ。問題があるからこそ、首脳が会わなければならない。

 私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。中国も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない。そうなることを強く望んでいる。

 これはチベットではなくウイグルの件だが、日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する。

 この発言で場が凍り付いてしまったようだが、それをクソラガー森元首相が和ませる発言をしたとのことであった。この時中曽根氏がどのような表情を浮かべていたのか知りたい。できれば小泉氏も同席して欲しかったが。

 上っ面だけの外交がどれだけ日本に不利益をもたらしたことだろう。言わねばならぬ事をしっかり伝えるからこそ、同等として認識され、国同士の話し合いが出来るというものではないか。ここはもう一押し、「チベット&ウイグル自治区への共産党の政策は、大日本帝国のそれと変わりませんよ。」と言って欲しいところだが、そこまで言うと角が立つだけ。あとは安倍氏だけの思いではないことを伝えるべきだ。そこをあのク○が・・・・・

 情けないのはこの歌だけでいい

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2008年1月30日 (水)

ガソリン価格高騰

 ガソリンの価格が高騰し、こりゃたまらんということでガソリンに掛かっていた税金を無くすべきだと民主党が吠えている。ガソリンへの税金は道路特定財源として使えるところが限られているという問題もあいまって国民の生活を守るためというのが彼らの言い分らしい。

 多くの人が気付いているように、民主党の意見は票集めの道具に過ぎない。財政難で国の台所は借金が何十兆円と膨れあがっているこの状況で、財源を減らすことが何をもたらすだろう。今の国民生活はもしかしたら一時的に少し良くなるかもしれないが、10年後はどうだろう。何度かブログで主張してきたが、政治は今の生活ではなく未来の国民生活を考えるべきものだ。

 ガソリンなど石油精製物はいつか枯渇する(枯渇しないという説も存在するが)。今の価格高騰は枯渇によるものではなく、需要と供給バランスの問題ではあるが、これすら解消される見込みは疑問符が付く。石油買い付けや採掘権などエネルギー政策は中国にすべてを持って行かれる体たらくであるし、なにより中東諸国にキャスティングボードを握られっぱなしになることを考えると、石油から少し距離を置く絶好の機会ではないか。

 石油は現代社会において欠くことの出来ない存在だ。机の上を見渡しても石油が使われていないものを探すのは困難な程だ。原材料だけではなく作る行程での燃料・運搬など考えれば石油と関わっていないものは皆無であろう。だからこそ少しずつ距離を置いて行かないと突然生活が立ちゆかなくなってしまう日が来るはずだ。まずは使わなくて良いところから減らすべきなのだ。まずはガソリンにつき直接使用する運送や燃料として使用する第一次産業に於ける優遇税制を立ち上げ、経済の混乱を避け、同時に国民一人一人の使用量を減らすべく更なる課税を行う。通勤や営業は極力公共機関を利用するなどで対応させ、運搬のために使われる自転車(リアカー的改造可)の普及と自転車道の整備を行う。こういったことを始めていくチャンスと考えるべきではないだろうか。

 便利さや効率、儲けることからはずれていくことに対する不安を煽るのが政治ではない。あえてそれを求めることで、未来の日本を考えるのが政治のはずだが、どうか。いやもしかすると石油から離れることで快適さが増すこともあると思う。国民各自がそれを考える時代なのではないか。

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2007年12月18日 (火)

それで診療報酬引き上げと言う?

 昨今の医療崩壊を憂い、なんとか食い止める方法はないか、さすがに鈍い役人も動き始めるのではないかと思っていた。すると診療報酬を引き上げると意気揚々と発表していた。どれほどかと確認して目を疑った。基本料を0.38%引き上げるそうな・・・・

 1万円で38円、10万円で380円・・・・・・・・・

 崩壊を止めようなんてこれっぽちも思っていないことがよくわかる数字。多分この数字の報道で緊張の糸が切れた医者が全国で1000人は下らないはず。崩壊を後押しする役人、天晴れ!!

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2007年11月 5日 (月)

今更ながらインド洋

 小沢さんが民主党の党首を降りると叫んだ。さすが壊し屋やることが違うと思ったが、ことは単純なものではないと想像はつく。

 話しはインド洋の洋上給油問題に戻る。これはアメリカとの同盟国としての面目を保ち、人を表立って殺めることなく、自らも人的被害を最小限にでき、国際的な貢献を果たし、軍事的作戦行動への参加もでき、しかもシーレーン防衛を担うことができるという願ったり叶ったりの国際行動であった。それをあえて突っぱねた小沢氏の意図はどこにあるのか、それを計っていたこともあって記事にすることなくここまで来てしまった。

 小沢氏はISAFに自衛隊を送ればよいと言っていたが、武力行使もありえ、同胞が命の危険にさらされる可能性の高い任務を今のインド洋と比べれば、どう見積もってもインド洋の洋上給油の方が日本国民全体にとって有益ではないか。それをあえて否定するのだからよほどの国連支持者か、はたまたアメリカ追随の風潮をぶちこわす意図を持っての行動かとみていた。おそらく後者であろうが、それならば国防を自前で本気になって考えなくてはならない。これにはおそらく民主党内の旧社会党連中がだまっているはずはなく、どこかで破綻を来すのではないかと思っていた。それでも悲願である政権を奪取してから問題が噴出するのだろうと予想していたら、案外と早く崩れてしまった。これならば小沢氏が壊し屋だからというより、始めから崩壊が決まっていた寄せ集めであったというべきなのではないか。

 それにしても振り回され、協力関係にあった他国の海軍に後ろ指を指されることになった海上自衛隊の志気はいかばかりであろうか。いくらシビリアンコントロール下にあるからと言っても、心や感情のないロボットの集まりではなく、人間の集団なのだ。アメリカ追随に待ての号令を掛けるにしても、落としどころがあったように思う。そのかたくなさや強引さが敵を作る小沢流と言えるのかもしれない。

 小沢氏を知る評論家たちは皆口をそろえて、先の見える大政治家だと言う。先の参議院選で大勝したのもうなずけると言いたいところではあるが、私は民主党のキャッチコピーである『政治は生活である』というものに違和感を感じていた。国の政は確かに最終的には国民に還元されなくてはならないものだが、現生活ではなく未来の国民に対し責任を果たすべきと考える。現生活をうまく治めるのは政治家ではなく官僚や役人であろう。実社会の大衆に迎合してはならない。大衆をバカにするなという声が聞こえてきそうだが、政治家は今を我慢してでも国民の未来を約束しなくてはならないものではないだろうか。ならばコピーを作るなら『政治は未来である』が本当だろう。それらを総合すると今ひとつ小沢氏の言動が一致しないと思われたのだ。おそらく民主党内部でいろいろとあったのだろう。旧左派連合を引き連れていては所詮寄せ集めの域を脱することはできないというのが本当のところなのだ。それならば独立といかなくてはならないと思うが、政権というものが目の前にちらつくあまり、現状を抜け出せない可能性もある。ただこのどたばたを見せられてなお有権者が政権を民主党に渡すと考えるのであれば、よほどの大甘ったれ集団としか言えないだろう。

 なんだかんだと言っても、すでにインド洋に海上自衛隊の船はいなくなってしまったのだ。せめて帰国してきたあかつきには、彼らにねぎらいの言葉を一言でも掛けてあげようではないか。民主党は分裂しましたの言葉も添えて・・・

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2007年8月10日 (金)

蜜月も終わりを告げる

 テロリストに対抗するため繰り広げられてきたここ数年の戦闘は、対自由主義社会というよりキリスト教徒とイスラム原理主義との泥沼の抗争に変貌しつつある。もちろん日本を含めキリスト教を国教としていない自由主義国家へのテロ行為が絶対にないという保証などどこにもないし、テロリスト達はアメリカに荷担したやつは誰でも容赦しないと通告しているのも事実ではある。しかし十字軍以来の文明の衝突に対し、無力な我が国が横槍を入れるべき立場にあるというものでもない。まぁまぁと口を挟めば鋭い刃が飛んでくるだけであろう。

 しかし国連が決めた紛争解決策に常任理事国入りをもくろむ日本が背を向けるということが何を意味するのか。常任理事国とは言え中国も、そしてイランですらパキスタン?もしくはアラブに隠れ住むテロリストたちへの非難を実行力として行っている事実をどう考えるべきだろう。テロリストには断固として立ち向かうという姿勢は自由主義国家として当然持っていなくてはならないものだろう。それでも日本にはそれに立ち向かうための武器も法律も、そして国民の緊迫した意識すらない・・・

 またイラクでの戦闘がアメリカの自営戦争であろうとも、アメリカの若者達の犠牲の上になりたっているイラクの民主主義を見捨てることが是であるのか非であるのか単純に推し量ることなど誰も出来ることではないだろう。

 ただ国連は巨額の金を日本から吸い上げるばかりで結局は日本など蚊帳の外に置く常任理事国のための連合でしかないし、アメリカは同盟国と持ち上げておきながら自らの兵士達の行為を棚に上げて慰安婦問題を日本に突きつけるばかりである。日本はこのまま白人達の言いなりで暮らしていくしかないのかと嘆くことも正論であろう。

 国が単体で生きていけるほど世界はとてつもなく広いわけではない。経済も文化も安全保障もあちこちと繋がっている。自分だけ知らん顔を決め込めるのは武器を持つ独裁国家ぐらいしかない。誰かと手を組まなくてはダメなのはわかっている。でもアメリカ以上に信じられる国が他にあると言える人はどれほどいるだろう・・・

 何も考えず現状維持、アメリカ様追従と叫ぶことは可能だ。しかし、でも・・・・と考える時が今なのかもしれない。アメリカというゆりかごから出てどこへ向かうべきなのか。それを議論することがテロ対策特措法を続行するか否かを決める拠り所になるだろう。

 民主党にそれをどうこうする力があるとは思えない。マニフェストを読む限り、国を運営する力を持っているのは自民党以外にありはしない。しかし状況からしてテロ対策特措法の延長は民主党の賛成を得られず、否決される公算が大きい。熟慮することないまま日本丸の舵が急にきられることになるとすると、これからどうなるのだろうか。平和のみを声高く叫んだところでテロリストたちの暗躍を止めることはできない。わかっているにもかかわらず原子力発電所の放火ですら止めることができない日本を考えると、舵をきるためには相当の覚悟を必要とするように思うのだ。

 我が子を抱きしめながら、彼らの未来が平和であることを願う一方で、気味の悪い影の存在を否定しきれないのだ。

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2007年7月13日 (金)

歯科麻酔

 某記念病院で歯科医による麻酔が重大事故を引き起こしたと報道された。

 歯科医は国から資格をもらい、観血的処置ができる職業の一つである。当然患者に麻酔を施し、疾患に対処することが求められる。日常的に麻酔を行うのではあるが、通常の歯科麻酔では循環のコントロールまでしなくてはならない疾患を扱うことはない。しかし麻酔薬を投与すると人によっては全身管理を施さなくてはならない重篤な状況に陥ることもありえる。しかもそれは予想できるものではない。それ故全身管理の基礎を学び、麻酔でどういったことが起こりえるのかを勉強する機会として、大学病院などで麻酔科を研修するシステムがある。

 歯科麻酔を行う上で、指導医が付き添うのは当たり前であろう。勉強に来ている人の面倒を見られないのであれば、受け入れるべきではない。慣れてくるころが一番危ないのはどの世界でも一緒で、だからこそ指導医が目を光らせておかなくてはならないものだろう。その点で今回落ち度があったのは否めない。患者を守る意味でも、研修生である歯科医を守る意味でも必要なことだろう。

 しかし今回知ったことであるが、麻酔を受ける患者に歯科医であることを告げなくてはならないという決まりはどうなのだろうか。昨今の風潮からは告知は必要というのはわからないでもないが、それではどれだけの人が納得して麻酔をかけさせてくれるだろうか。

 緊急でない限り、手術の前に麻酔科医は患者の元へ出向き、容態や既往などの情報を直接得ている。麻酔のリスクを考える上で大変重要なことなので、私も麻酔科を研修した際にはキッチリ実行していた。研修医時代であったため、それと判る人には研修医と判っていただろう、宜しくお願いしますと頼まれる時と、研修医に命を預けるわけにはいかないと拒否までいかずとも疑心を向けられる時があった。昨今であれば研修の歯科医ですと名乗るだけで、それ以上の反発があってもおかしくなかろう。指導医と一緒に出向くならそれも良いかもしれないが・・・

 断っておくが歯科医も優秀な人材は数多くいて、しっかりと全身管理できる研修生も多いのだ。私の友人にもキッチリ研修を終えた歯科医がいるが、とても信頼できる医者である。ちゃらんぽらんな研修医よりもやる気満々で研修を受ける歯科研修医の方がよほど使えることもあるだろう。それを考えると、今回の報道で歯科医に麻酔の研修を辞めさせるのではなく、もっと身近に歯科麻酔を感じてもらう機会になればと思うのだ。そのためには研修させる側のシステムをキチンと構築しなくてはならないだろう。その上で自信を持って歯科医が麻酔をかけますと言って欲しいものだ。

 幼い頃に前歯の治療で麻酔の注射を受けたことを思い出す。

 あれは本当に痛かったな・・・・歯医者さん、頼むよ。

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2007年6月17日 (日)

病気腎移植のその後

 病気腎移植を施した41症例をオーストラリアの医師が学会報告したと報道があった。10年ほどの経過でその中には腎癌移植も含まれており、癌の発生などはなかったとのことであった。詳細は新聞報道であり、不明である。

 腎移植は移植さえすればその後寿命を全うするまでその腎臓が使えるというわけではない。およそ10年ほど経過すると、様々な影響により移植腎そのものがダメになってくることがある。そういった意味で10年癌を患うことなく経過するなら、小さな癌のあった腎臓を癌の摘出後他人に移植することも将来的に許されることになるかもしれない。それにしても免疫抑制剤下における癌の動向が、試験管内や人体内でどうなっていくのかもう一度しっかりした検証が必要なのではないだろうか。腎癌の性質にもよるだろうが、早急に調べる必要があるだろう。

 この報告で我が国の某医師が行った行為が許されるというわけではない。オーストラリアの報告も詳細を見ないとわからないが、少なくとも同意をしっかりと取っていたことから個人主義・個人の選択の自由と責任において先進的なオーストラリアでは許されることだったかもしれない。ただし以前にも述べたが、免疫抑制剤下での癌の動きが不明な現在において移植を個人の自由とすることは、癌への恐怖とも戦うことになるレシピエントの方々のために医療者側の責任を問われなければならないと私は思う。それに対し同意もろくにとっていなかった某医師の行為は患者のためではなく自分のためとしかとらえられない、断罪されるべき行為である。

 昨今どのような医学研究を行うにせよ、しっかりとしたプランをたて、良悪起こりうるすべてを記し、それを倫理委員会に提出した上で患者さんに同意をもらうという手続きがなされない限り認められない。例え学会報告しようとも認められず却下されてしまうものだ。それが高度に発達した医学の暴走を止める術なのである。

 できることとやっていいことは違うのだ。そこが世の中随分とゆがんできているように思う。

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2007年6月 5日 (火)

マナーよ何処へ

 2つの出来事につき、おっさんの戯言をちょいと。

 先日電車に乗ると女子高生達の話しが聞こえてきた。

「さっきのやつ超うぜぇ~。なんでこの間を通るかな~。回れよって。」

 よく見ると数人のグループで乗降口にたむろしていた。急いで降りようとした乗客が彼女たちの間をすり抜けたのであろう。その現場を見ていないので、どちらがどうということも言えず、私は私が降りる次の停車駅でのことを思った。この混み合った電車の中で彼女たちは乗降口から少しでも降りる乗客のことを考え、横にどくなり一度降りるなりするのだろうかと。

 ほどなくして駅に到着した。到着前から「済みません。降ります。」と私はアナウンスしており、数人の方は既に横にずれてくれていた。ドアが開き、私は出ようとしたが乗降口に彼女たちがおり全く出られなかった。

「降りる人のために出入り口では気を遣うべきだ。降りるなり横にどくなりしなさい。」と諭したが全く我関せずであった。そのうち私も後ろから押され、彼女たちの一人を巻き添えにドアの外へ押し出された。こちらを睨みつける雰囲気を感じたが、もう一度電車に乗る余裕もなく、その場を後にした。

 もう一つ。先日起こったJRのドアに挟まれたベビーカーの件では、JRを全面的に非難する報道があったことを記憶している方も多いだろう。あれにしても急にドアが閉まるわけではない。親がベビーカーを押しながら駆け込み乗車を試みたのがそもそもの発端であろう。ドアに物が挟まったまま発進してしまうことを防げなかった電気系統の異常はそれとして解明すべきであろうが、まずはその親が非難されるべきであろう。JRおよび乗客は迷惑料を請求してもよいくらいではなかろうか。私も3人の子供を育てる間にベビーカーに乗せて何度も電車を利用してきたが、急がないこと・混み合ったところに行かないことにいつも注意していた。どんな理由があるにせよ、安全を考えれば行動は変えられるはずだ。

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2007年5月23日 (水)

自転車共存

 このところ暴走自転車による事故をきっかけに自転車の交通ルール見直しが叫ばれている。このブログでも時々自転車の危険性やマナーの悪さについて述べてきたが、報道がどうも自転車=悪or 迷惑者に傾きつつあるようなので、ちゃんと整理したい。

 自転車はとても便利な乗り物である。補助輪も含めれば2才から年寄りまで免許もなく、自分の足で歩くよりも速く、快適に移動できる手段である。しかし体力のある者が性能の良い自転車を運転すれば凶器となるほどのスピードを出すことが可能である。この多様性が自転車をルールにはめ込むことの難しさの原因となっている。

 まずは走る場所の問題を考えてみる。一般道路を走行すると自動車の運転者側からすると自転車は鬱陶しい存在である。スピードは遅く、不安定で、全方向に注意を向けていると思えない運転をするように感じる。できるだけ早く横をすり抜けていきたい衝動に駆られるだろう。一方自転車側は排気ガスを吹き付け、威圧感丸出しで走り去る自動車に年中腹を立てている。追い越し禁止区域でも自転車は平気で追い越され、右折車を回避し前進するために路側帯に侵入してくる車に幅寄せされる。歩道を走っても凹凸がすさまじくまともに走れない。おそらく年寄りが歩道を走ったらその凹凸にハンドルを取られて転倒するだろう。まともに走っていても横道から車が顔を出してくる。歩道の手前で停止する車は2割ほどしかいない。ほとんどがノンストップで歩道に頭を突っ込んでくる。これを自転車は停止して待たなくてはならないのか?それとも避けるために車道に出るのが筋なのか??

 歩道は歩行者優先の道路である。歩行者に迷惑がかかるなら車道を走ろうと考える。すると車道は俺の道路だと車が肩を怒らせて猛スピードで走り去るのだ。そこで自転車専用レーンを作ろうという話しがやっと現実味を帯びてきた。遅すぎるが前進については素直に喜びたい。

 もう一つの問題はマナーである。スピードの出し過ぎ、無灯火、二人乗り、信号無視、ヘルメット無着用などなどあげたらキリがない。無灯火は老若男女すべてにおいて7割がこれにあたる。スピードの出し過ぎ、二人乗りは若者の専売特許に近いが、信号無視やヘルメット無着用は当たり前になっている。これを取り締まろうという動きがあるようだが、これについてはひと言言いたい。

「自転車だけでなく歩行者から取り締まれ!」と。

 問題なのは自転車ではなく、自転車に乗る人間なのだ。その人間が歩行者としてルールを無視していれば自転車に乗った途端にルールを守るとは思えない。そしてそれは自動車の運転にも当てはまるのだ。赤信号を車が来ていないから渡って良いなど誰が決めたのか?それが良くてなぜ自動車や自転車を責める権利があるのか?

 警察にお願いしたいのは取り締まりや罰則の強化だけでなく、子供達への啓蒙だ。私は小学生の時に警察官に自転車運転のマナー指導を受けたことを良く覚えている。そしてその後、自転車競技会(八の字走行、30センチ板上走行など)に参加し、学校代表として他校の児童と競技したことも覚えている。そうすることで自転車の正しい乗り方を覚え、皆に広めることも可能となるのである。これは本当に大切なことなので是非お願いしたい。

 自転車のマナーの悪さはそのまま日本人の素行の悪さを表していると私は思う。皆が襟を正すという気持を持たない限り良くなることはないだろう。皆が快適に暮らせるために自分が何をすべきか今一度考えるべきではないか。

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2007年5月14日 (月)

医療者側からの医療問題総括

 時々ROMっているブログで面白い記事が載っていたので紹介する。

 大学教員のつぶやき語録というブログにおいて、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』のパロディーで、医療者側からの医療問題を総括していた。なるほどと思うところが多いので、ここに載せることにする。

オンコールにも負けず、不法労働にも負けず

日直にも当直にも負けぬ丈夫な体を持ち

欲はなく、決して怒らず、いつも寡黙に仕事をしている

一日にカップラーメン3杯とコーヒーと少しの菓子を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずによく診察し、治療し、手術し、そして研究し

旧病棟の廊下の奥の小さな汚い当直室にいて

東棟に割箸の刺さった子供あれば発見できたはずと訴えられ

西棟に癒着胎盤の母あれば止血できたはずと逮捕され

南棟に外傷で死にそうな人あれば心嚢穿刺できたはずと罵倒され

北棟に痙攣の妊婦がおればCTすれば助かったとこき下ろされ

教授命令には涙を流し、徹夜明けはおろおろ歩き、みんなに税金泥棒と呼ばれ

ほめられもせず、感謝もされず、そういうものに私はなりたくない

 私の現実とは少し違うので、一般の医療者の気持ちとしか言えないが、本当にうまく表現していると思う。

 幸いにも私はやりがいという意味で恵まれた状況にある。つくづく私は今幸せな時を過ごしているものだと患者さん、そしてこの医療環境に感謝したいところである。

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2007年5月10日 (木)

総合診療

 医学教育が臓器別専門家育成を目指してきたことは周知の事実であろう。高度先進的医療を行う上では専門分化は欠かせず、その道のスペシャリストが養成され、大変な功績を挙げてきた。

 その反動とも言うべきであろうか、全人的に患者さんを判断し、しかるべき処置を行い、必要であれば専門家へ紹介する総合診療を行う医者が求められているようだ。かかりつけ医とか家庭医とかgeneral practitionerなどと呼ばれる彼らを持ちましょうと政府が指導し、患者さんもそれを望んでいるとのことである。裏に潜むアメリカ医療制度と外資保険屋の謀略が見え隠れするので多分にうさんくさいのではあるが、理屈としては理解できなくもない。

 いつでも気軽に相談できる医者がいれば心強いというのは当たり前であろう。それはどんな事柄にも当てはまる。信頼できる八百屋・魚屋がいれば心強いし、フィナンシャルプランナーもいた方が老後が安心ということも言えるだろう。世の中どこを向いても情報があふれ、自分で取捨選択するのが難しいのでお抱え専門家がいればそれに越したことはない。

 医者側も総合診療という言葉には大いに興味を抱いている。若い医者は特にgeneralistという言葉に憧れ、なんでも診られる医者になりたいと思うものである。しかしすべてにおいて一流を目指せるほど現代医療は甘くはない。結局その道のプロの言葉を遮るだけの力がないことに愕然とし、総合診療を諦め専門家への道へ進むか、なんとなく総合診療を続けるかということになる。看取るという行為が自然発生するのであれば、総合臨床医も悪くないかもしれない。(もちろん本気で頑張る人もいるだろうが。)しかし今はなんとか最高の医療を施してほしいと大多数が願っている時代である。そこに総合臨床医の出番はない。患者の振り分けだけで満足できるような医者は数えるほどしかいないのだ。

 しかもどれだけ努力しても結果が悪ければ訴えられてしまう時代である。専門的知識と技量の有無が問われ、総合臨床医といえども専門家としての技量が要求されている。それはハッキリ言って出来ない相談だ。非常に優秀な総合臨床医でも専門家からすれば、こうした方が良かったと言われるテクニックが必ずあるものだ。それが現代の高度に発展した医療なのだ。

 それよりも一流の専門家を見て欲しい。彼らの努力は並大抵の事ではない。その努力により自分の専門分野は当然だが、それに付随する様々な事象を的確に判断する技術も手に入れる事になる。彼らは総合診療を目指した医者より数段高いところで総合的に判断ができる医術を身につけているものだ。そして謙虚さも持ち合わせているため、専門家へのコンサルトを惜しむ事は無い。

 おそらくこれを総合診療を目指すないしはそれをなりわいにしている医者が読めば、こういった考えの輩がいるから総合臨床医の地位がいつまでたってもあがらないのだと憤慨する事であろう。確かにこういったことは医者が決めつける事ではない。患者さんが気持ちのよい方を選べばよい。ただ患者さんも間違ってほしくないのは、病気に対する不安など話を聞いてくれる医者が欲しいのであれば、それイコール総合診療ではなく、心療内科へ行くべきなのだ。病気についての説明や治療の説明を懇切丁寧にすることはどの医者にも求められるべきものではあるが、日常生活の不安などを延々30分以上に渡って聞いていられる医者は日本にはいない。唯一心療内科のみこれが可能である。

 ということで総合診療は理想的ではあるが、現実的ではない机上の空論であると私は思うのである。もっとも小児科医は皆generalistを夢見てなったに相違なく、今も子供の出生から成長発達、社会人へ巣立っていくところまで楽しみながらフォローアップを続けている。しかし私は後輩達に小児科医であっても臓器専門家への道を薦めていることも事実なのである。

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2007年4月25日 (水)

出世欲なし

 日本の高校生は出世欲が低いとのことだ。調査そのものの詳細を知らないので、この報道そのものの信憑性もどうかと思うが、本当だとすると報道各社は本望であり、さぞかしほくそ笑んでいることだろう。

 公務員を税金泥棒呼ばわりし、大臣の揚げ足を取り、研究者たちの裏の顔をさも悪いことをしているように騒ぎ立て、教師を笑い、医者を人殺しと罵っているのだ。当然の結果と言えよう。そんなことはない、ちゃんとした立派な仕事だという報道もしていると反論のある方もいるだろうが、これほど毎日否定的な報道ばかり流し、肯定する報道は特集でお茶を濁す程度なら、受け手がどういった意識に傾くかは自明であろう。

 派手な事件を好み、時代の寵児を作り上げ、一度否定すると容赦なく人を引きずりおろし、自らの失態にはちょこっと頭を下げるだけ。公的な評価はせず、弱者を勝手に作り、その弱者と言われる人達の目線だけで評価を下すのでは公平中立な報道ではない。弱者の視点が重要というのはわかるが、否定だけでは物事は進まない。野党が与党の否定ばかりしていては政権を担うことができないのとよく似ている。

 まずは世の中がどういった仕組みで動き成り立っているのかを解説や評論なしに報道して欲しい。この点でNHKが果たす役割は大きい。その上で人を育てること、社会に貢献することの素晴らしさ、そして国を動かすことのすごさを伝えて欲しい。

 斜に構えて物事を否定するばかりでは何も産まれない。

 大人に子供達が夢見ることを奪う権利などあるはずがないのだ。

 

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2007年4月24日 (火)

妊婦さんの食生活

 医療情報サイトで妊婦さんの葉酸の摂取量が問題となっている。量不足により神経管閉鎖障害を来たし、二分脊椎などを持って産まれる子供が増えているとのことであった。

 葉酸は緑黄色野菜や果物に多く含まれている。バランス良く食事を摂取していればおそらく問題ないはずだが、ある病院へ通院中の妊婦さんの平均値は目標を下回る結果となっていたようだ。この情報サイトによると米国ではシリアルなどにも含まれていて、積極的に摂取するよう呼びかけが行われているらしい。日本でも時折呼びかけを目にすることはあるが、妊婦検診などではどうなのだろうか。少なくとも家内はそのような話しを今まで聞いたことがないという。それより体重の増加の話しばかりだったと言うのだ。

 二分脊椎が増えたという印象は薄い。しかし出生体重が随分と軽くなってしまったという印象は多分にある。2500g前後で産まれる子供が多く、数日ではあるが保育器のお世話になる子供が多くなったように思うのだ。もちろん2500g前後だからと言ってその後の発育に問題があるということではない。しかし必要な栄養を摂らない妊婦さんが増えているのではないだろうか。分娩の安全性はもちろん確保しなくてはならないが、胎児に影響を与えては本末転倒であろう。妊婦検診のあり方を再考する必要がありそうだ。

 先の医療情報サイトでは、あろうことか妊婦の2割が喫煙しているとのコメントも掲載されていた。ダイオキシンや環境ホルモンを語る前にニコチンを始めとして数々の毒を胎児に与えているという意識を持たせるべきであろう。クリアカットにできない妊婦さんの精神衛生という問題も理解できなくもないが、自分の身より大事な我が子ではないか。

 ここでも日本人の意識が本来あるべき姿でなくなりつつあるように思われる。

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2007年4月23日 (月)

暴力に対して

 特急電車の中で女性が暴漢に襲われた。密室ではないところでの犯行なのに、誰も助けなかったとのこと。あまりのことに言葉を失った。

 声を挙げるという勇気すら日本人は失ってしまったのだろうか。臆病で自分だけ可愛いという者を社会人とは呼ばない。いつのまに日本人は社会性を失ってしまったのだろう。

 密室ならば足がすくむという気持も理解できなくはない。一対一では相手の威圧感に気圧されてしまうこともあるだろう。

 話しは少しそれるが、診察室という密室における暴力行為に対し、立ち向かう決意を最近病院内の会議で話し合った。といっても一対一で暴力に立ち向かおうというものではなく、行為が正に行われようとする直前に職員をその場に急行させるというものだ。昨今は病院内で刃物を振り回す事件が後を絶たない。それから考えても無防備もよくないとして、サスマタを用意した。これは人を傷つけることなく、また威嚇という点でかなりの効果がが期待できる代物である。最近は幼稚園や小学校でも配備され、先生たちが暴漢対策の訓練をしていると聞く。本来病院などで使用されるなど悲しいことだが、背に腹は替えられない。

 電車の中などはどのような警備態勢になっているのだろう。車掌一人いてもこのような傍観者ばかりでは暴漢に立ち向かうことも難しいだろう。悲しいことだが、悪いやつはどこにでもいる。懲らしめる道具がこちらにあることを示すだけでも抑止力になるように思う。暴力へは断固たる決意で排除するという気持を公私たがわず表す勇気を持ちたいものだ。

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2007年4月18日 (水)

double standard

 自衛隊の兵隊さんがイージスシステムの情報を他国へリークしたという問題で海上自衛隊が揺れている。国の防衛を担っているものが、国を危うくするとは何事だというのだ。一方で憲法9条を書き換えることに猛反対をしている人達がいる。日本は軍隊を持たない、平和な国宣言なのだという。

 前者は許されるべきものではない。aegis systemは防衛のための神の盾だ。盾をなくせば無防備となることは自明であろう。systemのどの程度までがリークされたのかまで国民に知らせる必要は薄いが、厳罰に処すべき問題であろう。しかし同情に値するところが自衛官にないかというと、後者の問題が潜んでいる。

 現在自衛隊は憲法上規定されたものではない。国を防衛する権利という拡大解釈の中に存在する。それ故、国内では今でこそ理解のある人が増えたが、クソミソ扱いを受けることも多い。しかし国外では国を代表する軍隊として礼を尽くされる。海上自衛隊は Japan maritime self defense forceだが、海外の港に入港すればJapan navyとして国賓扱いである。しかし海上保安庁の船が入港してもJapan coast guardに対する儀礼は一切ない。日本の警察が海外に出向いて捜査をする際、特別に敬意を払われることがないのと同じである。兵隊さんは命の危険を顧みず国を守ってくれているのだ。その崇高な使命に対し、敬意を払わないというのはおかしいのではないか。「勝手にやってくれ、俺たちはお前達を認めない、それでも敵に情報を渡すようなバカな真似はするなよ、義務は守ってもらう!」というのはいかがなものか。

 少なくとも憲法で自衛隊(軍隊)&国の防衛を規定し、兵隊さんも立派な仕事だと教育するべきではないだろうか。知事が「人殺しの練習をしている。」などと発言するのは言語道断!半世紀以上に渡って軍を否定してきた国民の姿勢が産んだ発言と言ってもよいだろう。中国軍の艦艇が日本の領海をかすめて航行し、ロシアの戦闘機が領空侵犯を繰り返し、アメリカの原潜が日本領海内で潜行を続け、中国と北朝鮮のミサイルが日本を標的にしていつでも発射できる態勢にあるこの時代に、自国の軍隊を否定していてなんとするというのか。

 「他国へ攻め込め、人臣を蹂躙せよ、大日本帝国の夢を再び!」などと言っているのではない。そのように思っている自衛隊幹部、大臣、官僚は皆無であろう。軍が全権を掌握することないよう、シビリアンコントロールを利かせればよいのだ。確かに日本は右へならえとなってしまう傾向の強い民族だが、だから防衛力など危ないものはいらないというのは極論だ。世界はどう外交努力を続けても紛争が絶えない。アフリカでもヨーロッパでもアメリカでもアジアでも紛争は起きているのだ。人間に業がある限り、この紛争は耐えることはないだろう。それならば起こさせることのないようしっかりと守りを固め、睨みを利かせることこそが平和を望む国民のすべきことであろう。

 兵隊さんを崇め奉れというのではない。軍隊が国を守るために存在しているのだと皆が認め、平和国家として世界に奉仕するという姿勢を国の施政方針である憲法に記載すべきではないかと思うのだ。その上で自衛官に襟を正すよう促すというのが筋ではないか。  

 

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2007年4月13日 (金)

機械じゃないよ

 代理母募集を始めた婦人科医が現れた。代理母を他国でお願いする人も後を絶たない。

 気持はわからないでもない。我が子の顔を毎日眺めるにつけ、この子達がいない生活など考えられないと何度も思う。多くの笑顔とちょっぴりの苦笑を与えてくれる子供達は何にも代え難いものである。夫婦が子供を欲しがる気持はとてもよくわかる。生物として自分の遺伝子を残そうとするのも当然である。

 「そんなことを言いながら、子供が出来ない人の苦しみがお前にわかるはずがない!」という声が聞こえてきそうだが、確かに想像するしかなく、本当に骨身に染みるほどかと言われればそうではないかもしれない。しかしやっていいことと悪いことは自分の中でけじめが付けられると信じている。

 当人同士が出来ることを出来うる限り行うことは科学の恩恵を受けるということで納得できる。精子と卵子を取り出して受精させ、母体に着床させるのもよいだろう。夫を愛しているという理由に限り、凍結した精子でもって妊娠するのも認めることができる場合もあるだろう。しかし、他人を巻き込んではいけない。

 かの大臣の発言であれだけ騒いだのはなんだったのか。大臣の発言の揚げ足取りで「女性は機械ではない!」と叫んだのはなんだったのか。子宮は子供を養育する機械ではない。子宮の中で子供は母親の心音を聞き、声を聞き、文字通り心血を注がれて大きくなるのだ。「貸してくれ、感謝するし場合によってはお金を払っても良い。」というものではない。

 リスクも伴う。なによりも母胎の安全が保証されない。それに産まれた子供に障害があっても受け入れられるだろうか。例えば代理の方がタバコを吸ったり、酒を飲むことを許せるだろうか。代理の方が他の病気に罹患して、その治療をすることになったら子供はどうなるのか。代理の方が出産時の予期せぬ大出血で亡くなっても、平然といられるだろうか。この場合、児が低酸素にあえぐことになっても・・・・・

 社会に生きる人間として、身の丈で生きることを考えることこそが、今求められているのではないか。

 チューリップに彩られた風車の小道をゆくたびに、そう思うのだ。

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2007年4月10日 (火)

軽量ベビー

 先週265gで出生した赤ちゃんが無事退院したという報道があったと喜んでいたら、本日は1103gの児の大動脈と肺動脈の置換術が成功したというニュースを聞いた。

 小児科医に成り立ての頃は、自分の知識と技術を磨くことが患者さんの苦痛を和らげる一番の近道と考え、どん欲にいろんな患者さんを受け持っていた。低出生体重児の管理もその一つで、朝から晩まで赤ちゃんと格闘していた頃を思い出す。もう10年以上前のことだけれど、あのころ570gで産まれた子供を大事に大事に大きくして、無事退院していく姿を見たときは涙が出た。他にも800gで産まれてしばらくして重度の肺炎にかかり、生死を彷徨った子供が無事退院し、その後小学校に通う写真を送ってくれたのにも涙が出た。

 もっと小さな子供達を助けたいと思い、未熟児新生児学会のセミナーに参加して驚いた。参加者は皆小児科医ではなく新生児科医を名乗る人達ばかり。500gは当たり前の世界で仕事をしている人達ばかりであった。次々と明らかになる新生児科医と自分(そのころ既に小児腎臓を専門にしようと志していた)との技術の差・・・周りからは「腎臓を専門にできる新生児科医は稀少だから頑張って。」と励まされるものの、これは片手間に足やら首を突っ込んでよい世界ではないと確信した。

 結局逃げ出したようで後味が悪いのではあるが、自分の判断は間違っていなかったと思う。その分野で日夜努力を続ける人達がいるからこそ、かの265gの子供も育つことが出来たのであろう。頭が下がる思いである。

 さて私はこの児を育てた新生児科医のように日夜努力を続けているだろうか。ギリギリの所で格闘を続ける彼らに脱帽するばかりではダメなのだ。こちらの世界で負けないように努力することは出来るはずだ。

 褌を締め直すことにしよう!

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2007年4月 7日 (土)

こうのとりのゆりかご

 熊本で新生児の命を助けるための苦肉の策が講じられることになった。どうしても育てられない赤ちゃんを捨てるのではなく、病院に預けることができるシステムと考えてもらってよい。

 親なら子供を育てる義務がある。当然である。育てる義務を考えずに子供を宿してしまうことは、両親ともに非難されて当然であろう。それでも、それでもである。にっちもさっちもいかなくなることは誰にでも起こりうる。せめて罪もない赤ちゃんを死なせてしまうのではなく、世間が守っていこうというシステムであると理解したい。

 理屈として許されないと為政者が言うのもよくわかる。しかし事はそれほど単純ではない。世には自由をはき違えた者達があふれ、フリーセックスの時代と言われて久しい。AIDSの蔓延などを見てもこの傾向は収まっていないのである。見て見ぬふりをするのではなく、救うべき命は救い、啓蒙が必要な者に自由とは義務を伴うものだと教えることが必要なのだ。

 マスコミは騒ぐだけでなく、命の尊さを伝えて欲しい。こうのとりのゆりかごが命の尊さと親子の情と、社会人としての義務を皆に考え直させる機会になればよいのではなかろうか。もちろんゆりかごに置かれる赤ちゃんがこれから出ないことと、他の場所で置き去りにされて命を落とす赤ちゃんがいないことを切望するばかりである。

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2007年3月17日 (土)

逆効果

 アンケート調査から『休日の寝だめは不眠・抑鬱に対し逆効果』との結果が出たと報道された。久留米大助教授による調査だという。調査結果そのものを拝見したわけではないが、報道によると平日と休日との睡眠時間の差が2時間未満遅い人が不眠を自覚する割合は25.9%なのに対し、2〜3時間で29.4%、3時間以上で33.3%と、平日との差が大きいほど不眠の人が多く、 抑うつ経験も、2時間未満4.3%、2〜3時間5.2%、3時間以上6.2%となったとのこと。

 ちょっと待て・・・これは怪しいぞ。

 平日仕事などで少ししか眠れない人ほど休日により多く睡眠を取りたいと考えるであろう。であるなら休日に寝だめをするのがダメということではなく、平日に睡眠時間が短い人はより不眠&抑鬱となりやすいということなのではないか。もし報道どおりの結果を言いたいのであれば、平日の睡眠時間が同じグループの中で休日との睡眠時間を比べなくては意味がない。 または平日極端に睡眠時間が短い人たちのグループにおいて、寝だめをする方が悪いのかよいのかを問わなくてはならないだろう。

 久留米大の精神科助教授の報告なのでよもや間違いはあるまいが、報道されたものだけ見ると疑わしい。

 もうひとつ。

 新人看護師の技術低下が深刻化しているという報道である。人工呼吸、心臓マッサージ、止血など救急救命術や注射などを「1人でできる卒業生が20%未満」という看護学校が半分を超えたとのこと。

 ゆとり教育などで学生の質が低下したという論旨もあるようだが、昨今の医療訴訟で看護師が萎縮してしまっていることも関係しているのではなかろうか。看護学生を抱える大学病院などでは研修医など病棟での働き手が見つけやすく、看護師が注射をはじめとして救急の医療を担う必要性が少ない。その上訴訟を考えると医者の指導の下行える行為は極力手を出さないという方針もわからぬでもない。純粋な看護に必要な技術も訴訟を考えると学生にさせてみることが難しくなっているのではないか。もちろん看護体制の問題から教える側の人員を確保できないということもあるだろう。

 それにしてもこの報道でますます患者は疑心暗鬼で診療を受ける羽目となり、さらに疑いの目を受けながら行う医療者は萎縮して手元を狂わせてしまうのだろうか・・・

 

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2007年2月 2日 (金)

認めてしまうのか・・・

 読売新聞によるとフィリピン政府が腎臓の売買を公認するという。闇取引が後を絶たないので、公認することでルールを明確にし、命の安売りをさせないようにするという狙いらしい。報道のコメントでは日本人が殺到するのではないかとのこと。そうだとするとやりきれない気持が起こってくるのは私だけではないはずだ。

 確かに何事もなければ腎臓は一つでも十分に寿命をまっとうすることが可能である。しかし事故、癌などでもう一つを失うならば、透析は免れないし、お金がなければ透析もできず待っているのは死である。一つしかなければ、結石ですらおおごとになってしまう。背に腹は替えられないというドナーの気持ちはわかるが、必要だから2つあるということもわすれてはならない事実だ。

 レシピエントにも問題がある。金に飽かして貧困な他民族の腎臓を買い漁るという印象は世界的にぬぐえないだろう。もちろん透析の苦痛、危険性はその医療を提供する現場にいて痛いほどわかる。それから逃れる術があるなら藁をもという気持もわかる。

 法律の面でも報酬を与えて腎臓をもらいうけるとなると、臓器移植法に抵触する。できることと倫理的にやってはいけないこととの間に法律は境界線を設けているのだ。

 では医療費の問題としてはどうだろう。透析には年間500万円前後かかる。お金があるから透析ができるというのは紛れもない事実で、お金がない国では透析などもってのほかの医療行為なのだ。それが移植を行ってしまえば、後は免疫抑制剤の費用だけで済んでしまう。医療費という面でいうと願ったり叶ったりというところである。

 ここまで書いてくると移植にどれだけのジレンマが隠れているのかということが見えてくる。貧困・倫理・医療政策・・・なんだか地獄の沙汰も金次第という言葉が見え隠れしてさもしい気分になってしまう。

 やはり生きるという哲学を今一度考え直す必要があるのではないか。誇り高く生きること、そうありたいと皆が願っていると思うのだが・・・・・

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2006年11月29日 (水)

WHOの予測

 毎日届けられる医療トピックスの中にWHOによる死因予測が紛れていた。それによると2005年にタバコが原因と見られる肺ガンや慢性閉塞性肺疾患による死者は全世界で450万人だが、2015年には640万人に増加し全体の10%を占めることになるらしい。ちなみに死因の第1位は心筋梗塞、2位は脳卒中で3位がエイズとのこと。

 心筋梗塞もタバコがからむ可能性が大きいが、死因だけでなく喘息や慢性肺疾患で苦しむ人を考えるとやはり看過できない問題であろう。

 ということでまずは外来でこのネタを使わせてもらい、禁煙を親に促すことにしよう。

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2006年11月27日 (月)

バカにするのも程がある

 政府主導の教育再生会議で教師を保護者が評価するよう提言があったらしい。ここまで学級崩壊が進んだ原因がまだわからないのか。教師を尊敬するというあたりまえのことをないがしろにしてきたからに他ならないのに。

 以前のブログ(MSNでだったか・・・)でも述べたが、皆が高校や大学へ進学するようになり、教師の学歴or偏差値が保護者達のそれと変わらないか低いくらいになったことも関連して子供の学校の教師を尊敬しない親があまりに多くなってしまった。もちろん自己中心主義も関係してのことであるが、例え尊敬できなくても子供の前で教師をバカにするなどあってはならないことだ。それは教育者と教育を受ける者との関係を崩壊させるからに他ならない。この状況に輪を掛けて教師を保護者が評価するなど言語道断である。教師が保護者に頭を下げていては教育などできないのだ。子供をまっとうな人間にしたかったら教師を尊敬するよう子供をしむけなくてどうするのだ。

 第一保護者がどれだけ偉いというのだろうか。子供に無関心な親、ヘリコプターペアレントと呼ばれる過干渉の親、給食費を払わず教師に罵声を浴びせる親・・・・何処を見渡して評価者たる人物を探せるというのか。

 おだてる先を間違っているのだ。保護者をおだててどうする?子供をおだててどうする?教師をおだてて好人物にするのが子供をまっとうな人間にする王道であろう。子供には躾が必要だ。親がまず躾なくちゃならないのに、しない親が多すぎる。そりゃ何も言わずやりたい放題させる方がどれだけ楽か。躾てまっとうなことができるように教育することがどれだけ難しいか、それを親が放棄しているだけではないか。躾られていない子供はどこかでしかりつけて躾なくてはならない。体罰も時には必要であろう。子供の頭にこぶが出来ていたら、しかってくれてありがとうございましたと言うべき所である。躾もしないで何様のつもりで教師をなじるのか。

 教師を作るのは子供とその親である。それは評価して作るものではない。教師に全権を委任し、何があってもお願いしますと頭を下げることから始まるのだ。評価したければ第三者機関で行えばよい。だがそれはよい方法だとは思わない。

 それより教育学部を出た者や教育実習を経験した者だけに教師の門戸を開くのではなく、多種多様な人物を教師にするように制度改革すべきであろう。子供達に人生を教えたいと思っている人物は山ほどいるはずだ。人生の先輩として教育学部を出たばかりの教師にはない熱くて、誇り高い人生訓が言葉の端々に表れる人も多い。学級担任は経験を積まなくてはできないだろうから、10年以上教師を続けた者に限り、それ以外は副担任や非常勤の学科担当のみにするなど方法はいろいろあるはずだ。

 学校と先生たちに誇りと熱意を取り戻すよう働きかける時が来たのではないだろうか?

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2006年11月24日 (金)

集団的自衛権の議論

 最近の話題で北がミサイルをアメリカに向けて発射した場合、これを撃ち落とすことは集団的自衛権に抵触するとして問題視されているようである。

 まず現在検討されているミサイル迎撃システムについて考えてみたい。その制度を詳しく語ることは防衛機密にあたるので、数値化されたものを目にすることは不可能に近いが、推測することは可能とのことで様々な意見がネット上を賑わしている。それらによると少なくとも固定された的に対しミサイルを撃ち込む技術ならば日本もほぼ完璧に近い。しかし動く標的を射抜くとなると方位方角速度のすべてをコンピューターに打ち込んでも陸上からならうまくいくが、海上からは失笑がもれるほど当たらないものなのだ。これは刻々と変化する気象状況が影響するからに他ならず、時間をかけ緻密に計算し尽くしてようやく当てることが可能となるくらいのしろものである。それがいつ(コンマ何秒の世界)何処(もちろんメートル単位以下)で方位方角(う~~んもう好きにして)を瞬時に判断し、数値を代入して狙い撃ち・・・・日本に届くまでの数分間にそれが可能だと思える方がどうかしていると思うのだが・・・同時刻に3本撃たれたら確実に一本は迎撃システムをくぐり抜ける。北のミサイルの制度が問題だが、おそらく東京のどこかに核弾頭をおとすことは容易であろう。強がってみてもそれくらいしかまだ科学は発達していないのだ。それをふまえて考えて欲しい。アメリカを狙ったミサイルを撃ち落とすよう努力することが集団的自衛権に抵触するかどうかを。

 また日米同盟という防衛上の同盟関係をどう表現するのであろう。米軍に守ってもらうことが同盟ということなのだろうか。同盟とは『何らかの利害・目的・思想の一致により個人同士・勢力同士が協力を約束、或いは実際に協力している状態のこと』(wikipedia)である。となると守ってもらう以上見返りを求められる関係なのか、それとも在日米兵は日本の傭兵なのか。もし協力体制をというならば米国が困ればそれを助けるというのが同盟関係であろう。日米同盟があって集団的自衛権はないなど言葉遊びにしか過ぎない。

 憲法9条にしても非核三原則にしてもどうしてこうも言葉遊びにばかり時間を使っているのであろうか。法律は法のためにあるのではない。国民の生活を守り、円滑に事をすすめるためにあるのだ。理念を語ることを不要とは言わないが、実行法をああだこうだと解釈するなどというのはバカげている。文民統制がなされている国であれば軍隊が勝手に行動することはありえない。それならば国を守る規定をする作業を粛々と行うだけでよいではないか。つい昨日まで自衛隊反対と声を挙げていた社会党党首村山某が政権をとった瞬間に自衛隊の栄誉礼を喜色満面で受けていたことを思い出す。誰も戦争がしたいと言ってはいない。日本国とその国民を守るためにはどうするべきかという議論がなされるべきなのだ。

 言葉遊びはもうご免被る。

 

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2006年11月19日 (日)

癌を患った腎臓の移植

 本日の産経新聞で広島大学名誉教授のコメントがあった。血液病理を専門としている方らしく、病理医の視点でのコメントがなされていた。

 その話では癌は遺伝病であり、癌を移植しても癌にはならないとのことであった。私はこれに異論がある。何故か、それは動物の世界で感染する癌がどんどんと発見されていることからも、癌の発生メカニズムなどまだまだわからないことだらけだからに他ならない。これまでの人体での癌発生のメカニズムは確かにこの先生の言うとおり、遺伝的メカニズムによるところが多い。発生したものを押さえ込むシステムの問題も遺伝によるところが多い。しかしすべてがわかっているわけではない。その上他人に感染するように癌が発生しなくても、腎臓は癌の発生したその人のものなのである。ここに癌が発生するかどうかはわかっていない。米国では14例の腎癌切除後の腎移植が報告されており、いずれも現在までに腎癌の発生はないとのことであるが、それがすべてを表しているとどうして言えよう。

 将来的に癌の発生メカニズムが解明され、移植腎に癌細胞があろうとも移植が可能となる日が来るかもしれない。しかしevidenceのないことを結果オーライで功名心のまま行うことは許されることではない。これこそしっかりした研究結果のもとにおこなわなければならない治療法であろう。この教授のコメントはそういった考え方をも否定しかねないものと考えるがいかがか。

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2006年11月 7日 (火)

腎移植(続き)

 ニュースで知ったこの度の事件。

 飛び込んできた情報の一等最初が腫瘍性疾患により摘出された腎臓を移植したというものだったため、怒りにまかせてブログに書き込んだが、どうも根はもっと深いところにあるようだ。

 Dr.Iさんのブログによると摘出する必要のなかった腎臓を移植した可能性が高い。前回私は移植を受ける側の気持を慮ってコメントしたが、このブログとその後の報道からの情報を調べると、摘出を受けた患者さんの気持ちはいかばかりかと感じてしまう。いずれにせよ到底許されることではない。こういうことをしていたのであれば、もしかしたら臓器売買にも手を染めていたのではと疑ってしまう。もちろん真実を見極める必要があり、憶測で決めつけるものではないが。

 この事件のために腎臓の提供を待ち続けている人達に悪影響が出ないことを望みたい。

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