月曜日のカンブリア宮殿。村上龍氏は医療崩壊について番組を作りたいと、聖隷浜松病院院長を登場させた。意気込みの一方で突っ込んだ話が出来ておらず、ちょいと興ざめした感がある。しかし面白いフレーズがあった。医療には理念が必要であるというフレーズだ。
世の中の医療関係でない方々がどう思っているか知らないが、医者で金儲けだけを考えている者はまず居ない。何十年も前ならどうかは判らないが、なにより今は医者が儲からない仕組みになっている。勤務医など10年選手でも普通の会社のヒラ社員とは言わないまでも、係長クラスしかもらっていない。勤務医の部長クラスが地方銀行の部長の2/3といったところだろうか。お金で不自由しなさそうということで娘さんを医者へ嫁がせようとしている方がいるなら、それは幻想だからやめなさいと言うほかない。
ではなぜ受験競争を勝ち抜いた(と思っている)我々が医者を続けているのか。答えは簡単、やりがいだ。人間の身体は奥が深い。疾患それぞれは診断も治療も決まってガイドラインまで出来ているものもあるが、一個人に起こる疾患はどれもこれも同じものなど一つとない。それを見極めていく醍醐味、そしてうまくいったときの達成感となによりうれしい患者さんからの感謝の言葉、それらがすべてだろう。何は置いても目の前の患者さんをよくしたい、それが医者の本音だ。「こいつ気にいらねぇーから、どうにでもなっちまえ」とか「今日は彼女と会うから適当に切り上げよう。」なんてことは、(万が一?)頭を一瞬だけよぎることはあっても、けっして支配されることはない。結局適当なんてありえず、どれだけ疲れていても最後まで診療してしまうのだ。
それでもカスミを食って生きているわけではない。家族は養わなくてはならず、自らの向上のために自費で学会へ参加する。そして名ばかりのホワイトカラー階層という幻想に迷い込むのだ。世の中には『男の価値は銭で決まる。いくら稼ぐ、いくら俺に投資してくれるのかだ。』とのたまう御仁を見聞きするたびに、己の手にする給料明細を見て溜め息をつくことになるのが勤務医の現状だ。そこへきて昨今は感謝の言葉も少なくなってきている。(幸い私のところでは、子供達の笑顔とお母さん達の明るい声がいつもこだましているのではあるが)モンスターペイシェントは増え続け、結果が悪ければ即訴訟だ。これではやりがいになろうはずもない。
夜間の救急医療をしようと試みるならば、医者だけでなくパラメディカルの人件費だけでもバカにならない。人・物・金・時間すべてを浪費するのが救急医療となる。でも必要なのは間違いなく、必要な人に適正に行われるなら誰も文句は言わない。救急でなく、夜間帯で診る必要のない輩が大勢押し寄せて、しかもそういう人達に限って悪態をついていくから救急も出来なくなるのだ。産科も小児科もこれに近い。お産は確かにほぼ安全になったが、それでも一定の割合で不幸な結果となる。これを医療ミスだと言われれば誰も手出しが出来なくなる。小児科は患児一人診察するのにたくさんの人手と時間が必要だ。採算を考えればやってなどいられない。
聖隷浜松の院長は「理念を持て」と話した。さすればおのずと道は開けると。もちろん患者さんが道徳心を持った、襟を正す人達ばかりならこれも可能だろう。しかし患者様と呼ばれるようになってから権利意識の塊となってしまった人達はそんなきれい事を粉砕していくのだ。119番にかかってくるとんでもない電話の内容を知ればそれは自明だ。聖隷浜松病院の圧倒的なマンパワーでそれがかき消されているだけだと思うのだがどうだろう。もしくは地方の中堅都市にあるからこそできる理想郷であるのかもしれない。そのまま大都市圏や過疎地でこれが当てはまるものでもなかろう。
我々医療者ではなく、国が理念を持ち、国民を守るために医療費の増加は仕方ないと思い直すしか医療問題を解決する道はないように思う。だいたい老人ばかり増えているのに、医療費が削れるはずもなかろう。無駄は省くべきだが、ここをケチれば四川のビルのようにもろく崩れ去るだけだ。それが出来ないなら、国民一人一人にその旨を伝え、個人で医療保険に入ってもらい、その保険で医療を受けるようにするほかなくなるだろう。
それでも事故調査委員会が、個人を裁く片棒担ぎも出来るようになるなら、確実に次世代を担う医者の卵は姿を消すことになるだろうが・・・
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