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2013年5月 1日 (水)

足跡 その2

 呉消防の林さんに実状をお話しすると、自分の所でお役に立てることがあるなら是非とのことであった。その後様々な障壁があったが、衛生員の実践による技術向上はすべての隊員のためになると説いて周り、救急車同乗実習が開始されることになった。

 第一号の隊員が乗り込み、夜通し救急当番をしてきた後、目を輝かせて報告してくれたことを思い出す。ただ残念なことに第二号の隊員の手はずを整えたところで医務長の任を解かれ、横須賀へ移動してしまった。次期医務長は大学の後輩だったが、最も期待できない輩だったので、行うべき事柄をマル秘事項として伝達し、救急車同乗だけは続けてくれと念を押した。

 しかし・・・

 その後国内留学し、留学終了後、舞鶴の自衛隊病院で内科の長をしていたが救急車同乗実習がどうなったのか判らぬままだった。

 自衛官を辞め、民間人となり10年。自衛隊の様子を伺うことも無くなった。東日本大震災で必要とあらばどこへでも駆けつけると海上自衛隊に残る先輩に連絡したものの、民間人を登用するところまで話が回らぬまま過ぎ去ってしまっていた。

 今年、小児科学会の総会が広島で開催された。これはチャンス、昔住んでいた呉に足を伸ばしてみようと思った。ちょうど呉には鉄のクジラ館という潜水艦を主として展示する海上自衛隊の広報館が出来ていた。自分の居た場所を確認すべく、演題の合間に呉へ出掛けた。

 呉の駅前はとても変わっていた。デパートのそごうは廃墟となっていたが、駅から港まで通じる屋根付きの歩道が作られ、駅ビルを経てフェリー乗り場まで快適に移動することが出来るようになっていた。またその周囲には海上自衛隊の広報館と戦艦大和の展示館が建てられていた。フェリー乗り場から海を眺めると、護衛艦こそ見られなかったが、鉛色した自衛隊の曳船を確認することが出来た。

 感慨深く、フェイスブックに思いを綴ると、同期からコメントが寄せられた。そこには思いも寄らぬ自衛隊の今が書かれていた。

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