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2013年5月19日 (日)

大船渡線

大船渡線
一路、一ノ関へ
その道程が龍のごとくくねっているので、ドラゴンレールと呼ばれているらしい。

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2013年5月18日 (土)

復興食堂

復興食堂
ヤンチャそうな若者の店だが、どうしてどうして。応援したくなるイイ笑顔だぜぇ!

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7日目

大船渡7日目。これから救急当番で締め。どんな子供達がくるやら。大人もって言われたけど、方言が理解できないと爺ちゃんたちは無理だと思うぞ…

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2013年5月16日 (木)

遠野

遠野
3年前に会った遠野の永ちゃんには会えなかったが酒蔵待月は楽しいし旨い。遠野にお越しの際は駅前で是非。

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県立遠〓病院

県立遠〓病院
今日は被災地ではないが、被災地から避難した家族でパンク寸前だった病院の支援に出向く。1人医長の小児科医は、もう10年もここで奮闘を続けているらしい。いろんなことを考えさせられた。

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2013年5月15日 (水)

シドケ

シドケ
春の山菜と言えばこれ。あくぬき完璧!酢味噌が旨し!!

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3歳児健診

3歳児健診
やっぱり天気は悪くなった。けれどもいつも通り遊びまくりの健診。
しかしこの距離でタクシーは使わないな…

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県立高〓病院

県立高〓病院
内科と整形外科の医師が足りない。小児科のニーズは必ずしも高くはない。でもプライマリーケアを学んできた医師でも小児は診られないという。そのジレンマ…

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2013年5月13日 (月)

やっぱホヤでしょう

やっぱホヤでしょう
部長に連れられて四季旬彩中村へ。

バターソテーの鱒もいいけど、ホヤ旨し!

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2013年5月12日 (日)

復興の証

復興の証
あの津波が駆け上がった川原で子供たちが野球してるぜぃ

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一関名物

一関名物
一口もち御膳

くるみやエゴマの郷愁を誘う風味に脱帽

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2013年5月 7日 (火)

遊び疲れて

 昨日は日没まで遊び、帰路に着いた。東名高速は渋滞ゼロ。さすがに疲れたが、そこは踏ん張り、病棟の勉強会の講師を今終えた。

 いやはや素晴らしい休日だった。

201356

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2013年5月 5日 (日)

西湖

西湖
悲しい歴史があったとは知らなかった

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本栖湖でカヌー

本栖湖でカヌー
本栖湖の熔岩岸へカヤッキング

最高

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2013年5月 2日 (木)

足跡 その3

 自衛隊の艦艇部隊による合同訓練が毎年行われる。その地で衛生部門の長となっている同期が、衛生員たちの訓練も指揮・指導していた。私が居た頃、訓練のための訓練でしかなかったものだったが、北朝鮮や中国の情勢により実戦に即した訓練に変わっているだろうと考えていた。彼からのコメントでは、そんなものではない、とても面白く真剣に出来る訓練をやり始めたのだとのこと。

 彼は大学の合唱部で切磋琢磨した仲間だ。何より発想力豊かな人物で、面白いことを考えついて人を引っ張ってゆくのに長けていた。そんな彼ならさもありなん。訓練だけではなく、自衛隊の衛生のマニュアルも全改訂したとのこと。う~ん、さすが。自分なんてとてもかなわない、そうコメントを返した。すると・・・

 何を言っているのだ、お前が始めた救急車同乗実習は今や呉の部隊だけのものではなくなっている。全国の海上自衛隊の部隊で行われているって知らなかったのか?とのこと。

 呉から広島へ戻り、独りしみじみ飲みながらFBのコメントを眺めていた。目頭が熱くなるのを感じた。そう言えばFBには衛生員たちから友達リクエストが何通も届いている。わずか1年しか一緒に仕事していない隊員たちからのリクエストに戸惑っていたが、そうか、自分のやってきたことに応えてくれているからなんだと納得できた。

 このこと林さんにも知らせたいな・・・

 林さん、ありがとうございました。自衛隊の衛生員皆があなたのおかげで多くの経験を積むことが出来ています。本当にありがとうございました。

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2013年5月 1日 (水)

足跡 その2

 呉消防の林さんに実状をお話しすると、自分の所でお役に立てることがあるなら是非とのことであった。その後様々な障壁があったが、衛生員の実践による技術向上はすべての隊員のためになると説いて周り、救急車同乗実習が開始されることになった。

 第一号の隊員が乗り込み、夜通し救急当番をしてきた後、目を輝かせて報告してくれたことを思い出す。ただ残念なことに第二号の隊員の手はずを整えたところで医務長の任を解かれ、横須賀へ移動してしまった。次期医務長は大学の後輩だったが、最も期待できない輩だったので、行うべき事柄をマル秘事項として伝達し、救急車同乗だけは続けてくれと念を押した。

 しかし・・・

 その後国内留学し、留学終了後、舞鶴の自衛隊病院で内科の長をしていたが救急車同乗実習がどうなったのか判らぬままだった。

 自衛官を辞め、民間人となり10年。自衛隊の様子を伺うことも無くなった。東日本大震災で必要とあらばどこへでも駆けつけると海上自衛隊に残る先輩に連絡したものの、民間人を登用するところまで話が回らぬまま過ぎ去ってしまっていた。

 今年、小児科学会の総会が広島で開催された。これはチャンス、昔住んでいた呉に足を伸ばしてみようと思った。ちょうど呉には鉄のクジラ館という潜水艦を主として展示する海上自衛隊の広報館が出来ていた。自分の居た場所を確認すべく、演題の合間に呉へ出掛けた。

 呉の駅前はとても変わっていた。デパートのそごうは廃墟となっていたが、駅から港まで通じる屋根付きの歩道が作られ、駅ビルを経てフェリー乗り場まで快適に移動することが出来るようになっていた。またその周囲には海上自衛隊の広報館と戦艦大和の展示館が建てられていた。フェリー乗り場から海を眺めると、護衛艦こそ見られなかったが、鉛色した自衛隊の曳船を確認することが出来た。

 感慨深く、フェイスブックに思いを綴ると、同期からコメントが寄せられた。そこには思いも寄らぬ自衛隊の今が書かれていた。

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