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2013年2月28日 (木)

忘れることは出来ない

 数分の映像だけれど、こんなに心に訴えかけるものもあるんだと、月並みだけど、感動しました。日本、日本人、日本政府、やるじゃん!

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2013年2月25日 (月)

殴る

 他人を殴ったことありますか・・・ある

 子供を殴ったことありますか・・・ある

 親に殴られたことありますか・・・ある

 教師に殴られたことありますか・・・ある

 友達に殴られたことありますか・・・ある

 知らない人に殴られたことありますか・・・ない

 殴った、あるいは殴られた原因を覚えていますか・・・全部覚えている

 覚えているなら、それは心に傷を負ったということですか・・・いいや、自分への戒めとして心に残っている

 暴力は絶対にダメと子供に教えますか・・・正当防衛以外にも必要な場合はあるが、怪我をさせたら暴力をふるった奴が責任を負わなくてはならないと教えている

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2013年2月24日 (日)

何奴 その4

 「 K県のこども病院の腎臓科で医長を募集しているんだけど、行けないかな?」

 前任者が辞めるため、50才未満の小児腎臓専門医を募集していた。ボスのところへ連絡が来たのが一週間前。これまでの卒業生達を見渡したところ、行けるのは私だけだろうと判断して連絡したのだとのこと。前任者が何故辞めるのかは判らない。潜在的な患者数は物凄いはずなのに、かなり制限していたらしい。腎代替療法をしっかりやれるなら飛躍的に大きくなるだろう。だから若手を一人付けることも出来るがどうか。出来れば明日までに返事がほしいと。

 どう考えても勿体ないほど良い話だった。喉からYesという言葉が顔を出していた。だが一呼吸置くことにした。判りました、明日お返事しますと電話を置いた。クリスマスキャロルを翌日に控え、直前練習にも参加したが、上の空だった。

 一晩眠ることなく考えた。何故考えることがある?こんなチャンスは、もう無いだろう。バックアップなどすべての整った環境で自分の専門を極めることが出来るのだ。誰にとやかく言われることもない、自分の思い通りの診療が出来るのだ。しかし、自分がここを離れたら一体どうなるだろう?1年、いや2年前なら迷うことなどなかった。いや・・・あの時もそうだった。腎臓科医でいたいのか、それとも小児科医なのか?自分はこの病院で必要なのか?患者はどうなる?家族は?

 そもそも俺は一体何奴なのか・・・

 クリスマスキャロルを終え、インフルエンザを始めとした感染症シーズンもピークを過ぎ、あれから2か月が経過した。来年度の地域の健診業務に名を連ねている自分がいる。

 k県では公募の案内が来月末に延期されている。。。

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梅咲く庭で

梅咲く庭で
千葉小児科学会地方会にて腎臓セッションの座長してました。手前の梅は黄色なんですが、よく見えませんね。

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何奴 その3

 少し離れた大学病院が腎臓疾患を診ることのできる小児科医を探していると聞いた。そこはとても懇意にしてもらっている先生の病院のすぐ近くであったため、その先生に相談してみた。いつもはちょっとエッチで冗談ばかりの先生が、お前のしたいことは何なのかと真顔で聞いてきた。腎臓疾患だけ診たいならそれもよいが、本当にそうなのかと。それから今の病院で抱えている問題はなんだろうかと、一つ一つ具体的に問題点と解決策を整理し始めた。ハッとした。自分は悩んでいる風で、何もちゃんと考えてないじゃないかと。

 そんな折にボスの下で働く医師からの電話が鳴った。CKD(慢性腎疾患)のガイドラインの改訂作業って大変な仕事があるんだけど、一緒にやらないかという。二つ返事で飛び込んでみたら、とんでもなく大変な仕事だった。すべての事柄に対する根拠を調べ上げ、根拠となるデータが信頼できるものかを吟味し、その積み重ねで今一番薦められる治療は何なのかを述べてゆくものだ。これまで係わったことがないこともあり、片っ端から論文を読み漁り、試行錯誤を重ねる間に、一年があっという間に過ぎた。

 没頭していたのはこれだけではない。数年前に線維筋痛症を患う子供に出会い、診始めると次々に患者さんが訪れるようになっていた。これといった治療法もなく、それこそ試行錯誤する他ない状況だったが、子供たちは他に行くところもなく、私と付き合ってくれていた。10人を超え、学校の先生たちと話をしたり、学校での様子を伺いに出掛けるようになると、時間などあっという間に消えていた。

 時が経過すると、わだかまりは残るが傷は癒えてゆく。年齢のせいもあって、病院での役職が徐々に増え、拒否することなく、むしろ先頭に立ってこなしてみた。相変わらず小児科への風当たりはとても厳しい。しかし後輩たち若い医者に考え方を教えながら、少しずつ仕事を洗練されたものへ変えるよう努力した。教科書には書かれていない、腎臓だけでなく、小児科に係わる様々な疾患に対応する現場において、ここがおかしい、ここを何とかしたいというところを見つけ出し、解決策を検討した。同じことを考えている全国の医師と共同して臨床試験にも多数参加した(進行形あり)。すると患者さんの数そのものは増えるわけではないが、自分たちが自信をもって薦められる医療を提供している自負が芽生え始めた。自分に続いてくれる若い医者たちの行動が少しずつ変わってきたのが、そう思える根拠に他ならない。根拠がなければ医療が出来ないわけではない。代々言い伝えられたもの、教科書に載っていること、それを盲目的に行うのではなく、根拠のないものは、なぜそう考えられるかを突き詰め、それを一つずつ形にし始めたのだ。

 これを続けてゆくことで、ここの小児科はもっと良くなる。小粒でもピリリと辛い、しっかりした病院と言われるように出来ると考えていた。そんな矢先に電話が鳴った。ボスからの電話だった。

 

 

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2013年2月23日 (土)

何奴 その2

 今の病院は元々腎疾患の治療で有名な病院だった。ネットワークを組み、その中心となっていた病院だったが、成人が主体で、小児科医は代々一人体制だった。ボスの下で働いていた先生が私の行く6年前に赴任し、そこへ自分が加わった。前の病院ではすべてが整っていて、自分自身が何者か判らぬまま、大変な患者さんも当たり前のように診ることが出来ていた。本当の自分の力試しが出来ると、とてもやりがいを感じて赴任した。時を同じくして病院は国立病院の統廃合に伴い、全く新しい体制でスタートすることになった。

 赴任して気付いたが、それまでは他院からの紹介患者さんがほとんどで、地域の患者さんはほとんど来ていなかった。だから二人体制になって、毎日普通に外来を開いても、来院してくれる患者さんの数は一桁だった。千葉は全く不案内な土地だったこともあって、数か月の暇は有難かった。外来で新規に担当してくれた看護師さんからは、すぐに患者さんも集まるようになりますよと慰めてもらっていた。確かに一月毎に来院数は倍々となり、冬はてんてこ舞いするほどになった。ただし腎疾患患者さんはわずかで、ほとんんどが急性疾患の患者さんであった。つまり、いわゆる普通の小児科だった。わずかと言っても地域に小児腎臓の専門医は皆無で、腎疾患の患者さんは利根川の向こう、茨城あたりからも来ていただいていたが。

 夢中で一生懸命治療に当たった。臨床研究もどんどん進めて、空いた時間に論文も書いた。気が付くと大学の後輩がやってきて、近隣の小児科からもよろしく頼むと研修医が送られてきた。面白い病院になってきたぞと思っていた矢先、病院の雰囲気が変わってしまった。新しい病院として皆が夢を抱いて働いていたのだが、そこへ経営という力が加わったのだ。もちろんそれは当たり前のこと。慈善事業で成り立つ病院ではない。周囲の大学病院に打ち勝つためには、腕と心意気だけではダメで、一流の設備投資が必要になる。しかし金になることへ優先権が絶えず与えられるようになると、小児科は沈黙するほかはない。残念なことに地域の子供たちは減る一方。しかし地元のニーズは24時間365日最高の医療を提供できる医療機関。周りには地元医師会がバックアップする大学病院がずらっと並んだ。救急診療はそれら大学病院を中心に回っていて、こちらへ来る患者さんなど滅多にいない。もちろんこの環境の中、4人で夜間の救急診療など出来るはずなどない。そんな中、私は職員からの心無い言葉に憤慨して、病院を去るべく画策を始めた。

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2013年2月22日 (金)

何奴 その1

 学生時代はクラブ活動に明け暮れた。働いている今でもそれが役に立っているので良かったと思っているが、成績は恩師曰く超低空飛行だった。周りは、割と器用な上、無理が利く方なので外科向きと思っていたようだ。しかし年寄りに無理強いして手術するような雰囲気が嫌で小児科を選んだ。小児科は夢に溢れていて、毎日が楽しかった。もちろん亡くなる子供達を診ては泣いてきたが。

 子供の疾患のほとんどは小児科を経由する。大人のように最初から何科へ行くべきと選別されることは少ない。だからやたらいろいろと広く知っていなくてはならない。そのため医者になってやっと本気で勉強した。超低空飛行だった自分を替えるためにも、そしてすべてを知らなくてはちゃんと診られるはずなどないし。。。勉強すれば断片的な知識が有機的に繋がってゆく。勉強したことが骨格をなし、血となり肉となってゆくことに快感を覚えながら勉強に励んだ。といってもすべてを知ることなど出来るはずなどなく、結局サブスペシャリティーというものを持つことになる。たまたま自分が出会ってきた患者さんや指導をしてくれた先生たちが腎臓関連だったことで、自分の専門を腎疾患に決めた。

 どうせやるならきっちり学びたいと思って、とある病院で数年研修した。そこは経験値が通常の10倍とも20倍ともなるほどの症例数と神のごとき指導者のいる病院だった。今でも自分のボスはその先生と思っている。今の病院に勤務するようになったのも、千葉に拠点を作る手助けをして欲しいとボスに言われてのことだった。

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くわっ

 部長から「○疾患の患者さんが紹介されてくるよ。」との連絡あり。紹介先の病院の名前を聞き、えっ?そこって専門の医者がいるはずだけど・・・と首をかしげていると、満床につき入院させられないからお願いとのこと。入院当番の医者に連絡を入れ、待つことにした。

 来院した子供はとてもおとなしい男の子。頭が痛くて吐いていてつらそう。早速入院手続きへとお話ししたら、向こうにとても怖そうな男性がいる。袖口から色付きの皮膚がチラチラ。なんだ、そう言うことか。たちの悪い紹介だなと思いながら、当番の医者へ引き継いだ。

 彼は極めて平静に病状の説明と入院加療の説明を行った。お父さん、開口一番「こんな丁寧に説明してくれた医者は初めてだ。宜しく頼みます。」と告げ、仕事があるからと帰っていった。

 たいていこういった場合は事が上手く進まないことが多いのだが、今のところ考えられるうちで一番良い経過で来ている。長い付き合いになりそうだけれど、頑張ってくれよ。

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2013年2月19日 (火)

東葛腎カンファ

 2/12に柏でカンファレンスがあった。いつも通り数人で出掛けてきたので感想を。

 

1.糖尿病性腎症に合併したループス腎炎の一例

 この人の症状からLupusを疑うのは厳しい。円板状紅斑があったとのことだが写真もないし・・・説明の感じからあんまりそれっぽくなかった。データは確かにLupusっぽいけどと思いながら、腎組織を見せてもらった。糖尿病性変化ばかりじゃないかな?蛍光抗体もC1qとC3がちょろっとだけだし、病理の先生のコメントも同じ。それより糖尿病の管理も、合併していた関節リウマチの治療もおかしいと隣の先生からの指摘あり。なによりクレアチニンが悪化している状況で普通にMTX使って血小板減少など起こしているし・・・ってクレームついてました。

2.C3糸球体腎炎が疑われたANCA陰性、抗GBM抗体陰性のびまん性半月体形成性腎炎の一例

 難しい症例。経過はHSPNかなって思った34才女性。おそよ半年の経過でU-P(+) から高度蛋白尿になっただけでなく、高血圧(173/93)、s-Cr 4.4, Alb 2.8, C3 128でANCA陰性、抗GBM抗体陰性の半月体形成性腎炎。IFはC3メサンギウム2+ってところ。これをC3 glomerulonephritisと言うのか・・・

3.著明な管内増殖とメサンギウム増殖を認めたネフローゼの一例

 これも考えさせられる症例。ネフローゼ発症の64才女性。血圧144/85、s-Cr 0.69, Alb 1.8, TC 293, CRP 0.3, WBC 7930, Hb 13.2, Plt 34.8, IgG 1072, C3 118・・・うん?IgG 1072?と自分はここでひっかかった。何か感染とか自己免疫が絡んでいそうな・・・しかし自己抗体は何も検出されていない。はて?となったところで肺のレントゲンで中葉に陰あり、CTで悪性ではなく中葉症候群とのこと。Tb否定され、気管支洗浄液からH.Influenzae検出。これによる感染性腎炎パターンもアリかなと思って見ていたら、IgAが付いていてIgA腎症としてパルスしてどうのって・・・フロアからIgAの付き方がmesangialではないとの指摘。座長も感染性の腎炎パターンをやんわりと解説していた。

 それにしても随分参加者が多かった。弁当も旨いし、金払っても行く価値あるカンファレンスだからね。

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2013年2月18日 (月)

おまたせ

 気がつくと、もう2月は半ばを過ぎていた。いかんいかん、まったくここに投稿しないままだった。

 なによりガイドライン改訂作業が大詰めを迎え、これでよいか?う~~んなどと考えているうちに時間があっという間に流れてしまった。もちろん小児科のもっとも忙しくなる季節でもあり、ネットに向かう時間がなかったのである。

 おまけに12月にお断りした、ある病院の腎内科のポストがまだ埋まらないと聞き、ちょいと心が揺らいだりなんかして・・・

 とりあえず、元気にしております。明日暇があれば、先週参加した東葛腎カンファレンスの感想を書く予定にしてるので、乞うご期待。

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