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2013年2月23日 (土)

何奴 その2

 今の病院は元々腎疾患の治療で有名な病院だった。ネットワークを組み、その中心となっていた病院だったが、成人が主体で、小児科医は代々一人体制だった。ボスの下で働いていた先生が私の行く6年前に赴任し、そこへ自分が加わった。前の病院ではすべてが整っていて、自分自身が何者か判らぬまま、大変な患者さんも当たり前のように診ることが出来ていた。本当の自分の力試しが出来ると、とてもやりがいを感じて赴任した。時を同じくして病院は国立病院の統廃合に伴い、全く新しい体制でスタートすることになった。

 赴任して気付いたが、それまでは他院からの紹介患者さんがほとんどで、地域の患者さんはほとんど来ていなかった。だから二人体制になって、毎日普通に外来を開いても、来院してくれる患者さんの数は一桁だった。千葉は全く不案内な土地だったこともあって、数か月の暇は有難かった。外来で新規に担当してくれた看護師さんからは、すぐに患者さんも集まるようになりますよと慰めてもらっていた。確かに一月毎に来院数は倍々となり、冬はてんてこ舞いするほどになった。ただし腎疾患患者さんはわずかで、ほとんんどが急性疾患の患者さんであった。つまり、いわゆる普通の小児科だった。わずかと言っても地域に小児腎臓の専門医は皆無で、腎疾患の患者さんは利根川の向こう、茨城あたりからも来ていただいていたが。

 夢中で一生懸命治療に当たった。臨床研究もどんどん進めて、空いた時間に論文も書いた。気が付くと大学の後輩がやってきて、近隣の小児科からもよろしく頼むと研修医が送られてきた。面白い病院になってきたぞと思っていた矢先、病院の雰囲気が変わってしまった。新しい病院として皆が夢を抱いて働いていたのだが、そこへ経営という力が加わったのだ。もちろんそれは当たり前のこと。慈善事業で成り立つ病院ではない。周囲の大学病院に打ち勝つためには、腕と心意気だけではダメで、一流の設備投資が必要になる。しかし金になることへ優先権が絶えず与えられるようになると、小児科は沈黙するほかはない。残念なことに地域の子供たちは減る一方。しかし地元のニーズは24時間365日最高の医療を提供できる医療機関。周りには地元医師会がバックアップする大学病院がずらっと並んだ。救急診療はそれら大学病院を中心に回っていて、こちらへ来る患者さんなど滅多にいない。もちろんこの環境の中、4人で夜間の救急診療など出来るはずなどない。そんな中、私は職員からの心無い言葉に憤慨して、病院を去るべく画策を始めた。

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