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2010年10月28日 (木)

北風に乗って

北風に乗って
冷たい北西の風は

私を振るわせ

葦の葉を揺らし

湖面のさざ波の中に

冬の使者をそっと

置いてゆく

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2010年10月26日 (火)

分かち合う

 線維筋痛症の女子中学生を外来フォローアップしている。2人いるのだが、とてもシビアな状態が続いている。1人は経過が長く、すでに専門病院で家族を含めしっかりとした対応が出来ている。そうは言っても毎日襲ってくる痛みや痙攣は苦しいもので、錯乱状態になってしまう。もう1人は2年前の発症で、ようやく先日確定に至った新米だ。親も含めどう対処して良いか判らない。それが不安を増強させる。出来ればお互いが意見交換できる状況が生まれればと思っていた。

 2週間前に経過の長い方の児が別の疾患で入院した。そちらの治療は順調に進み、後は数日経過をみるだけとなったところで、後者の児の具合が悪くなった。同じ部屋に入院させたところ、さすがにすぐに病状が良くなることはなかったが意気投合してくれた。自分のことを理解してくれる人が家族以外にいることの素晴らしさを認識したようで、二人ともとても良い顔になった。年が近いだけに家族にも話せない、もちろん医療者にも話せない悩みを打ち明けていたようだ。

 この病気を抱える児は多いはずだ。しかし見過ごされて診断されぬまま痛みを抱え、仮病と言われたり精神疾患と言われ途方もない薬を服用させられたり、不登校となる問題児という扱いを受けていることも多いだろう。確かに治療法が確立されている訳ではない。判ったところで何も出来ないかもしれない。しかし分かち合う仲間がいれば、生きる希望を得ることが出来る。

 2人を見ていると、不覚にも涙がこぼれてしまった。

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2010年10月24日 (日)

勝負は自分の土俵で

 病棟のカンファレンスが面白くない。今に始まったことではないが、どうにも看護サイドからの発言が少なすぎる。というより積極的発言がないのだ。どうしたのだろうと探りを入れてみた。どうも医師からの詰問に窮し、怖がっている節がある。
 
 カンファレンスの仕方に問題があるのだろう。これまでは疾患の理解を深める意味もあり、患児の病歴について医師からプレゼンテーションが行われた後疾患についての簡単な説明を行っていた。それらの後に看護サイドからの看護問題について問うていたのだが一向に意見が出てこない。この方法では疾患の理解に不足が垣間見え、どうしても医師が突っ込んでしまうところが出てしまうのだ。

 どんな勝負でも相手の土俵で相撲を取るのは、よほどの実力差がないと勝てるはずがない。医師の仕事と看護師の仕事には共通部分がもちろんあるが、それぞれのスペシャリティー、プライオリティーはもちろん存在する。これまでは医師側の土俵であったのではないだろうか。
 
 看護からのプレゼンテーションの後、疾患についての説明を医師が行う方が看護がイニシアチブをとりやすいだろう。我々が気付かないところを聞きたいわけで、私たちが教えるという姿勢は正しいものではないはずだ。

 うまくいく・・・・確かに今の看護スタッフに力のある者がいないので、それでも難しいかもしれないが。。。

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2010年10月20日 (水)

逆襲へ一票

 東大医科研が末期の膵臓がん患者へペプチドワクチンを臨床試験の名の下に使用し、消化管出血を来していた。それにもかかわらず患者にも臨床試験を協同で行っている他施設へも消化管出血という事象を報告していなかったという報道が先日なされた。朝日新聞の取材で論説委員が詳しく解説するという内容だった。テレビでもNHKなどが放送していた。

 放送を耳で聞いているだけならば、人体実験をして都合の悪い出来事は隠し通そうとした東大医科研と聞こえた。そして記事を読んでみると、そのまんまであった。研究者に良心は無いのかとまで書いていた。

 はて・・・オペ出来ない末期の膵臓がんならDICを併発してなんら不思議ないし、腫瘍が大きければ血管そのものの経路が変化しうるから消化管出血はあり得るだろう。入院ストレスだけでも消化管出血は程度の差はあれ、あっておかしな事は全くない・・・

 そこでこれに対し東大医科研の清水教授が逆襲の反論を述べている。

 おそらく主治医からは膵臓がんそのもので消化管出血を来しうること、余命が長くはないことなどが告げられていたであろう。これに対抗できる新しい医療を模索することがどれだけ患者に希望を与えるだろう。それを踏みにじるようなねつ造報道を行う者に良心はあるのか。

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郷に入っては

 昨日講義を終え、非常勤講師出席簿にサインを記入するために非常勤講師部屋へ入ると、非常勤の先生達が大きな声で話し合っていた。出席簿がなかなか見つからず、かといって全く初対面の先生達に聞くほどのことでもなく、机の周りを探してようやく見つかった。その間彼らの話が否応なしに耳に入ってきた。

英語教師?「私には何故学生達が私と話したがらないか判らない。授業は確かにちゃんと聞いているが、授業の合間に話をしても逃げていってしまう。」

男性講師「そりゃ確かに学生がおかしいね。君が話しかけているのに、それを避けるなんて。ネイティブの英語に触れる機会は日本だとそれほどないことだからね。」

英語教師「世界の人達とコミュニケーションをとるのは大学人、ことサイエンティストにとっては絶対必要なことだろう。自分の事をアピールできないでどうするんだ。日本の教育は間違ってるぞ。英語での論理的な考え方を身につけなければ世界に通用しないよ。」

 すべて英語での会話であったが、このようなことを大声で叫んでいた。そこで静かに聞いていた女性講師が口を開いた。

女性講師「あなたが言いたいことはわかる。でも彼らにコミュニケーション能力がないなんて思わない。日本語でならちゃんと議論するからね。英語での議論に慣れてないから仕方がないでしょう。もちろん彼らにも否はあると思うけれど、ここは日本で、日本語でコミュニケーションをとるべきところなの。あなたは日本語を使ったことある?私はあなたが日本語を話すところを見たことがないわ。どうして日本語でコミュニケーションをとろうと思わないの?私達はもちろん海外に出れば英語で会話しようとするわ。それはその土地の人が英語を母国語としているから、よそ者はそれに従うべきと思うからよ。それに日本語でしゃべる人達が論理的でないなんて全然思わない。」

英語教師「・・・・・・」かなり考えて、椅子に座って、弁明を少しずつし始める・・・

 ここで出席簿がみつかり、サインを加えたので、部屋を後にした。最後まで聞きたかったのだが。

 昨年ホームステイしていった中学生の顔が浮かんだ。彼は日本語を話そうと努力していたが、英語に時々日本語の単語が混じるだけであった。困ったことは英語で言えばなんとか通じるのだから楽なものだ。日本の学生が海外へ行って、困ったときに日本語で話しても誰も理解はしてくれない。だから英語を母国語にだって?そんなことをしたら日本文化はなくなってしまう。日本という国がなくなるのと同じだ。

 日本語で堂々と論理構築をしよう。その上で英語という世界共通のコミュニケーションツールを使うというのが日本に住む日本人にはベストな選択だろう。それにしても大学ってやっぱり面白いところだな・・・

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2010年10月19日 (火)

恒例の講義

恒例の講義
毎度お馴染みとなった埼玉県立大学での講義。

さて今回はどんな学生が待っているだろうか。

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2010年10月18日 (月)

頼もしい

 先日からの研修医には自分でも驚くほど穏やかに、諭すように教えている。それに呼応するように、同僚であり私の大学の後輩でもあるS先生が彼の教育に燃えてくれている。

 聞いていて思わず頷いてしまうS先生の説明に頼もしさを感じた。そうかそこまで考えてくれていたかとうれしくなってしまった。

 手前味噌だが、千葉という括りではなく、全国を相手に小粒でもピリリと辛いという存在になれるのではと感じた。妄言と笑いたい人は笑え。気概を持つ小児科医がここには居るぞということだ。

 さて負けずに勉強しよう!

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秋の1日

秋の1日
国体カヌー会場で、のんびりカヌー。後輩家族のいい笑顔を見ながらボーっとするのも気持ちいい。

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2010年10月15日 (金)

資金はなんと税金から

 対中国のODA問題は数年前に議論されたことで、当然漸減中止となるのだろうと思っていた。世界第二位の経済大国となり、オリンピックも万博も自国で開催できる国であるだけでなく、資源が豊富な発展途上国にインフラ整備や資金援助等で中華帝国を着々と築き上げつつあるのだ。日本がこれ以上援助するなどありえない。そう思っていたら、先日まだまだ何百億と融資しているとの報道を眼にした。調べてみると外務省のHPにしっかりと記述されている。

 対中ODAは、1979年に開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円(PDF)PDF、無償資金協力を1457億円(PDF)PDF、技術協力を1446億円(PDF)PDF、総額約3兆円以上のODAを実施してきました。

 日本政府の対中国政府開発援助(ODA)の素朴なギモンに答えます。
 (在中国日本国大使館)
 
http://www.cn.emb-japan.go.jp/oda_j.htm他のサイトへ

 もっと行動しようぜ日本人!

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2010年10月13日 (水)

勝ちきれず

 本田選手の言うとおり、惜しいじゃダメなのだろう。しかし韓国は日本の守備を最後まで崩せなかった。パクチュヨンのヘディングシュートの場面以外、チャンスはなかった。日本は少なくとも3度決定的な場面を作り上げた。

 内田のサイドはやはり弱い。しかし松井が攻撃的に仕掛けたため相手のサイドバックの攻撃参加がほとんどなく、それ故崩されることがなかった。栗原は前回よりはマシだが、安定感も強さも感じられなかった。

 それにしても遠藤の動きの良さが目に付いた試合だった。もの凄く気持ちの入ったプレーを随所に見せてくれた。そのために香川の迷いがより鮮明に見えてしまったのも事実。香川はもっと早く見切りをつけて、他の選手を試すべきではなかったか。

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2010年10月12日 (火)

韓国戦

 昨日のユースでは、またしても韓国に完敗。2点リードをあっという間にひっくり返されてしまった。さて本日のA代表戦はどうだろうか。

 先日のアルゼンチン戦での日本代表の評価は何処を見渡しても高かった。ひやっとする場面も多々あったが、行けー!と叫ぶ場面もふんだんにあり、これまでの代表とはちょいと違うという印象をもった。

 ただ、自分たちで仕掛けて崩したのではなく、プレスによりミスを誘い、そこからのカウンターが面白かったに過ぎない。韓国戦はプレスの応酬になるだろう。ミスの多い方が負けになるのはどこのサッカーでも一緒だ。

 気になるのは栗原と内田。特に栗原の動きのバタつきには目に余るものがあった。私が韓国の立場なら、内田のサイドを重点的に攻める。そこを攻めながらセンターで栗原と競らせたら、きっと点をもぎ取ることができる。この二人の間にどれだけ今野が絡めるかが鍵だろうと思うのだ。

 もっとも、ザックは栗原の動きをよく見ていたに違いないので、今日の試合は別の選手で行く可能性が高い。槙野や伊野波を見ようとするのではなかろうか。

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2010年10月11日 (月)

Happy wedding

 昨日は小児病棟のナースマンと腎臓内科病棟のナースの結婚式に出席した。二人とも病院テニス部の強力なメンバーで、馴れ初めも知っていた。トリで歌ってくれとの注文があったので、ギターを準備して会場へ向かった。

 主賓の挨拶はあるのだが、友人たちによる暴露話がなかった。そういえば両家とも高校や中学の友人が招かれていない。2次会があるならそれもよいのだが・・・それでもとても楽しいpartyだったので、気持ちよく酔ってしまった。酔ったところで歌の出番になったので・・・・

 ほろ酔いのまま二人の馴れ初めや、失敗話など織り交ぜて話した。そしてギターを爪弾き、中島みゆきさんの『糸』を歌った。拍手が続き、なんとアンコール!wedding partyで2回目は縁起が・・・

 拍手が鳴りやまないので、二人の横へ。そして「私達の時代、結婚式の歌はこれでした。」と叫び、無伴奏で長渕剛さんの『乾杯』を歌い始めた。2番からギターを鳴らすと、会場のそこここから歌が流れ始めた。

 乾杯 今君は人生の 大きな大きな舞台に立ち
 遙か長い道のりを 歩き始めた君に
 幸せあれ!

 花嫁さんの涙が美しかった。

 おめでとう。

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2010年10月 9日 (土)

ノーベル平和賞

 以前からこの平和賞の選考基準というか存在意義に疑問をもっていたのだが、今回初めて拍手喝采を挙げることになった。これほど強烈なメッセージはないだろう。

 

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2010年10月 8日 (金)

研修医

 先日から珍しいことに私達の小児科に研修医が来ている。この病院が開設されて初めての全科ローテートの初期研修医である。メジャーな科目のみの初期研修医は数人いたが、小児科には廻ってこなかった。研修医が来たら何を教えてやろうかと楽しみにしていたのだが、相手は無茶苦茶なレッテルが既に全科で貼り倒された研修医だ。

 ふと自分の研修医のころを振り返ってみた。右も左も判らない、本当に出来の悪い研修医だった。そりゃそうだ、部活に明け暮れ、色恋にうつつをぬかし、国家試験の1ヶ月前まで友人達とボーカルグループを作って遊びほうけていたのだから。このままでは国家試験に落ち、後輩達からどんなさげすんだ眼で見られるだろう・・・と反省してから、猛烈に勉強した。一日3時間の睡眠と食事以外は勉強した。一心不乱とはあのことだろう、試験当日は実に晴れやかに臨むことが出来た。後ろ指を指されることなく、研修医として病院へ一歩入ると、国家試験の勉強など全く役に立たない世界が広がっていた。なにしろそこには疾患が置いてあるのではなく、疾患を含めた様々な人生を背負った患者さんが横たわっていたのだから。

 悪戦苦闘が始まった。病歴すらうまく聞き出せない。採血一つまともに出来やしない。でも一つ一つ丁寧に毎日欠かさず行うことで、少しずつ確実に出来るようになった。そうすると毎日が楽しくなった。そりゃそうだ、自分が成長していることを実感できるのだから。

 朝は6時前には病棟に居て、夜1時過ぎに研修医部屋に戻る日々が続いた。時には病棟のストレッチャー(搬送用ベッド)で仮眠をとったこともあった。失敗は山ほどした。そのたびにオーベン(教育係医師)から怒鳴られた。でも2度同じ間違いはしなかった。外科の3ヶ月は瞬く間に過ぎた。オーベンからしかり飛ばされる原因となった縦隔腫瘍の兄ちゃんがもう数日の命となった夜中に、敷地の中で花火を内緒でした。担当した肺がんの患者さんからは科を離れても弁当を作ってもらった。今でもあのときの患者さん達の顔と名前はすぐに浮かぶ。

 内科での半年は、内視鏡漬けだった。最初の1ヶ月はオーベンの背中に張り付いて実際にオーベンの内視鏡を操る姿とテレビ画面を見ながらエアー内視鏡の毎日。1ヶ月たつと急に本物の内視鏡を渡されて、やれという。おそるおそる口に管を入れると、不思議なほどすんなり検査が終了した。後ろで見ていたオーベンは、「今日からお前がこの内視鏡(内視鏡ブースは3台あった)の担当だ。全部やれ。」と言った。毎日何十人と内視鏡検査を行った。外来は担当することなく、検査担当の毎日であったが、病棟の担当患者さんは癌だらけで、しかも毎週見送っていた。聴診器を持つか数珠を持つかっていうくらい・・・内科を離れるとき、肝癌や肝硬変を患っていた患者さんたちから週末明けといてくれと耳打ちされた。外泊を許してもらったから一緒に行くぞと言う。どこって?送別会のための居酒屋だ。うれしかった。たった一杯だけしか許してあげられなかったが、一緒に酒を酌み交わした。

 馬が合わない患者さんがいなかったわけではない。今でもそのおばあちゃんの声は覚えている。「前の先生は肩をいつももんでくれたよ。あんたは肉を食べるなしか言わない。わたしはね、プルーンを食べてるんだよ。とやかく言われる筋合いはないね。」悲しいくらいボロボロの膵臓を抱えたあの人と心を通わせることは叶わぬまま、他界された。

 いろんな経験を全科ローテートでさせてもらった。医療に無駄な経験などない。だから今の研修医制度が悪いなどとは思わない。むしろどんどんいろんな経験を積めばよい。しかし全科を経験したからと言って、すべてが出来るようになるなんていうのはもちろん幻想に過ぎない。

 さて話を元に戻そう。かの研修医は他科の医師からだけでなく、病院職員すべてから評判が悪い。聞こうとせずとも耳に入ってくるくらいだから相当なのだろう。で、実際に彼が来て一週間が経過した。

 他でこっぴどく扱われたせいなのか、彼の目は死んでいた。こりゃダメだと切り捨てるのは簡単なことだった。わずか2ヶ月間、好きにしてていいよと言えばよかった。しかし、私の口から出た言葉は自分でも意外だった。

「他でどういう評価を受けたかを僕は知っている。けれどその偏見で君を見ようとは思わない。どうも君の目はどうせあんたも同じなんだろう?って語っているように思える。見くびるな、僕は君という人間がどういうものなのかを自分の目で見極めたい。君はここでお客さんとして扱われたいか、それとも学びたいと思ってきたのか。」

「じゃあ、、、学びたいと。」

「じゃあとはなんだ?その一言はいらない。いいかい、学びに来ているのなら君はここで一番の下っ端だ。我々医者だけでなく、看護師さんにもパラメディの人達からも学ぶことは大いにある。彼ら彼女たちに対しても誠意を込めて毎朝毎晩挨拶をしなさい。いいかい、誰よりも大きな声で挨拶しなさい。」

 それから毎日、挨拶が小さい声であればやり直しをさせた。眼が死んでいると子供達には迷惑だと毎日言い続けた。質問は多岐に亘り、一つとして満足に答えられないため宿題は膨らむ一方となっている。しかし、ほんのわずかではあるが、眼に生気が少し灯るようになったように思う。

 君よ、死ぬほど勉強しなさい。いろんな人達から学びなさい。一つ一つが有機的に繋がるようになれば、初めてこの仕事がどれだけ面白いものか、どれほどやり甲斐のあるものかわかるはずだ。

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2010年10月 4日 (月)

余韻に浸る

 余韻に浸る間もなく、外来は無茶込み。。。

 ふう、っと腰を下ろしてパソコン中の写真を見てようやくにんまり。

 羽衣とはまさにこのこと (於 天人峡)

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2010年10月 2日 (土)

最高

最高
満天の星空の下露天風呂につかる。これほどのミルキーウェイはなかなかお目にかかれない。

学会発表も恙無く終わりいい旅ができた。大満足の北海道だ。

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大雪山旭岳

大雪山旭岳
学会ついでに足を伸ばし、旭川は大雪山旭岳にやってきました。天候良くて最高です。湧駒荘の湯もまた最高。

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