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2010年9月14日 (火)

怒らない大人なんて

 怒らない大人なんて、存在価値があるのだろうか。

 子供達にとって遊んでくれる大人はとても楽しい存在だろう。一緒に遊ぶ大人だって楽しい。だが楽しいだけでは生きていけないことなど、ピノキオだって教えてくれる。厳しく対応する大人がいること、それこそが子供達にとってかけがえのない存在になるのだと私は思っている。

 それが時に理不尽な対応になったところで何だというのか。それこそが人生。すべてが理路整然とした世界であることなどありえない。もちろんなんでも感情任せにしなさいというのではない。愛情と筋を通すことを肝に銘じながら、怒る厳しい大人になりたいのだ。

 子供にとっての大人ということに留まらず、今の日本を見渡してみて大人はどれだけいるだろう。公の場で恥辱を受けても、理不尽な事を要求されても、へらへら笑っているだけの人物を大人と呼ぶだろうか。それとも大の大人は怒らないというのだろうか。臥薪嘗胆、その後の一手にすべてを賭けるという気概があるのなら判るが、その場を取り繕う・事なかれ・へつらい主義に終始している者を大人とは言わないだろう。

 私はそういう主義が大嫌いだ。研究会だろうが、会議だろうが、そういう雰囲気が我慢ならない。KYと呼ばれようが、おかしいことをおかしいと言えないで大人面はできない(ちなみにKYは私の最も嫌いな言葉の一つだ)。

 今の日本に大人はいるか。この国は正義をなんと心得ているのか。大人の目で見ていかずば正義など見えてくるはずがなかろう。その目で見れば、隣国たちの行いに正義があるなど絶対に言えない。それらに怒ることも出来ない政府が大人でないことなど子供だって判る。

 誠に小さな国が開花期を迎えようとしていた時代ではなく、経済大国の看板をゆっくりと下ろし始めた時代のこの小さな国が生きてゆくために何をなさねばならないか。今一度各人一人一人が考えなくてはならない時が今だと思う。好々爺面をして何も語らず、衣服をはぎ取られ、家族を亡くしてゆく道を選ぶのか、それとも襟を正し義を唱え、世のため人のためを願うのか。

 皆が大きな事をこれからせよというのではない。欲に駆られて小金をかすめ取る仕業に血道を挙げるのではなく、自分は人のために何が出来るのかを問いながら生きてゆくべきだと思うのだ。何が正しくて、何を明らかにすべきで、この国をどうすればよいか考える。そうすれば自ずと大人になるはずだ。

 手本はそこら中に転がっている。龍馬伝を見るもよし、坂の上の雲を見るもよし(12月から第二部スタート!)、浅田次郎の『終わらざる夏』を読むもよし、そして門田隆将の『この命、義に捧ぐ』を読むのもよいだろう。松下幸之助や本田宗一郎の書籍でも感じることはできるはずだ。サンデル先生も立ち上がって議論することを勧めているぞ・・・

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コメント

 ほぼ同意見です。
 いつか酒を酌み交わしたいですね~。

投稿: hidero51 | 2010年9月16日 (木) 01時25分

hidero51さん

 宜しくお願い致します。

投稿: クーデルムーデル | 2010年9月16日 (木) 13時45分

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