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2010年6月29日 (火)

心の眼

 NHKの番組でピアニスト辻井さんの弾く『展覧会の絵』に出会った。

 この曲そのものとの出会いは中学生のころ。地元の商店街にあるとあるレコード店の前を通りかかったとき、これが流れてきた。何故だろう、思わず立ち止まって聞き入ってしまった。その後再会したのは高校2年生の時。当時仲良くしていたクラッシックギターを得意とする友人(現京大医学部准教授!)から山下和仁さんの弾くソロギターによる展覧会の絵を聞かせてもらった。その驚異的な技術の向こうに壮大な美術館とそこに並ぶ絵や彫刻が脳裏に浮かんだ(実際には10枚の絵の印象だが)。そんな強烈な印象を与えてくれたのがこの『展覧会の絵』という曲だ。

 辻井さんの番組は、盲目の辻井さんがいかにして絵のイメージを抱き、そして聴衆に語りかけるのかというところに焦点が当てられていた。それはそれでとても感動し、録画して何度も観ている。しかし残念ながら、子供の頃のあの鮮烈な映像は浮かんでこない。それはもしかしたら番組という解説が入っているせいかもしれない。そんなものはいらないから、彼の『展覧会の絵』をそのまま流してくれたら、青く輝く大きな門をイメージすることが出来たのかも知れないのにとも思う。

 人間は想像する生き物だ。これは神様からの最も素晴らしい贈り物だと私は思う。そのせいで日夜苦悩が絶えない方もいるのではあるが、これがない暮らしは殺伐としてなんとも味気ない世界だろう。もちろん他の生物にも想像力が備わっていて不思議はない。それがいかほどかは知らないが、少なくとも人間にはそれの一部を表現する術がある。

 表現する方法はなんでもかまわない。音楽でも絵画でも彫刻でもよい。ダンスでも詩でももちろんよい。表現に困るなら、困った表情をすればよい。うるんだ眼だけでも立派な表現だ。もちろん表現しないという自由もある。でも想像の創造は日夜行われている。

 想像が表現され日の目を見たときに、他人に感動を与えるかどうかは定かでない。苦労した方が想像も素晴らしいものになるように思うのは多分にバイアスがかかっているように思う。ただ無い知恵を絞り、脳細胞を出来るだけ多く働かせている方が想像力はたくましくなるように思える。

 さて私は想像の創造を毎日行っているだろうか。

 夢をみる。そうだそれも想像だ。しかし想像は無からの創造でなくてもよい。車の運転をしながら横切ろうとする人の動きを予想するのも一つだろう。咳一つすればどこにどう痰が絡んだのかと解剖図を想像することもある。毎日押し寄せる患者さんの訴えから本質はどこかと探り当てるのもそうだ。そうすると医療はなんと想像だけで成り立っているのだろうと思う。最初から最後まで想像の中の話だけ。真相はどこにある?ってのも日常だ。だから理論付けしなくては皆が納得できない。納得するための材料を手掛かりを探す毎日だ。本来想像に理論もへったくれもない。それを表現するのも自由だ。だから私たちは自由な表現をとりわけ渇望する。

 7月半ば、息子と二人で自分たちの『展覧会の絵』をピアノ連弾で描いてみる。どんな絵になるのかとても楽しみだ。

 

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