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2009年7月14日 (火)

国と国民 その1

 ブログを始めた頃は書きたいことが山ほどあって、片っ端から自分の思いをぶつけていた。以前書いていたMSNのブログサイトを振り返ってみると、いろんなものに熱くなっていた自分を思いだした。

 おそらく時事問題を語ると、そこには賛否両論が起こり、時に炎上することもあるだろう。他人を批判するようなこともしかり。だからと避けようと思っていたわけではないが、少し遠ざかり過ぎたように思う。

 てなわけで、ちょいと書いてみる。

 格差社会だと叫ぶ人達がいる。格差が広がっていると彼らは言う。ワーキングプアが起こり、セイフティーネットが効力を発揮していないと言う。しかし餓死者は見掛けない。生○△護を受けている方は少し増えたように思うが、彼らも飢えておらず、しかもちゃんと学校へ子供を行かせることができ、病院だって普通に利用できる。おまけにエアコンも使っている(注:くそ暑い京都でも団扇だけで過ごせましたが、なにか?)。清掃や下水の仕事なら求人はたくさんあるのに応募者は少ないとこぼす業者や、派遣村に来る失業者に働く意欲を感じないとつぶやいたりプロ市民が混じっていたと糾弾する評論家の話はいたるところに転がっている。なによりその日の命を繋ぐのに精一杯の国に行けば見られる物乞いやストリートチルドレンなど日本で見掛けない。そりゃ問題にする程度が違うと言われるかもしれないが、この状況はどう考えてもボーダーレス社会だ。

 奨学金制度などを利用すれば、能力のある子供は何にでもなれる。百姓の子供は百姓にしかなれない時代ではない。あろうことか小中学生が数万円もする携帯電話を持ち、携帯音楽プレーヤーをポッケに忍ばせている。DSは子供一人に一台だって・・・俺はいまだにiPod mini(既に製造中止)くらいしか持ってないにも関わらず。エコポイントが付くから大型家電製品は飛ぶように売れ、高速道路が休日1000円になったら、大渋滞するくらい旅行へ出掛けている。

 みんな努力しないで、楽して儲けようとしているだけじゃない?儲けられないから不平を他人にぶつけているだけじゃない?そういった個人のたわいのない不満は国を変える原動力にはなりはしない。矛先を変える小手先の技術争いになるだけだ。本当はもっと先を見なくてはいけないのに。見ている先は自分よりよさそうな暮らしをしている人のアラ。嫉妬が渦巻き、賞賛は妬みの前兆にしかなっていない。大臣も教師も博士も皆好奇の目に晒されるうち、襟を正すことに疲れ、堕落してしまう。人を作ることに力を注いでこなかったツケがこれなのだと思う。

 国が今やらなくちゃならないことは、大変革ではない。格差社会だなどと叫び平等を唱える暇があったら、一人でも多くの各分野でのエキスパートを地道に養成し、未来への戦略を練る時だろう。その戦略会議には現役を引退する前後の権威者を配置しても何の意味も持たないのだが、現状はそこがずれている。未来が想像でき、そして責任を持てる世代に託すべきだろう。

 すぐにでも変革が必要なのは既に到来してしまった高齢化社会に対応する税制であろう。しかし変革をなすと宣言する人達が高齢者では何も変えられるはずがない。これからの人材により変革がなされるべきだ。そして話は少しそれるが、高齢者がよりよい死を享受できるよう、倫理的・文化的意識統一も必要かもしれないし、それ以上に彼らは彼らの残したものを子孫が正しく受け取っていけるような仕組みを整える時ではないだろうか。それでも残されるものが負の遺産ばかりじゃ困る。負を招いた責任は正しく精算して欲しいところだ、そのための税制変革はやはり必要だろう。

 なにより率先してやらねばならないことは、人材作りだ。正当な評価を与え、各分野をリードする若者を作らなくてはこの国はなくなってしまう。特に政治というこれ以上にないダイナミックな世界に若いエネルギーを注ぎ込まなくては潰れてしまう。それは演説も出来ない人物を都議に仕立て上げるということではない。政を行うということがいかなることかを学ぶ徒を作るということに他ならない。そしてそこに平等という教育はいらない。助け合うという精神はもちろん必要であるが。

 で、国がなくなるということについては、また。

 

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