« 万葉粥 | トップページ | 若き日の過ち 後編 »

2009年4月21日 (火)

若き日の過ち 前編

 研修医一年目。当時重症の消化器疾患患者さんばかり30人ほどを担当していた。担当といっても研修医一年目が出来ることなど限られている。指導医の言われるがまま処方と点滴、検査予定をたてて患者さんに伝え、実行に移していくだけだ。

 それでも指導医よりも早く患者さんの状況を把握するため早朝6時には病棟でラウンドし、必要な人の採血をして廻った。それぞれの治療の効果を見定めるため、ルーチンワークが無いときは患者さんの傍に出向いて、診察&世間話をした。一日の終わりにはその日の出来事をカルテに書き込むのだが、それだけでも30人いれば相当な時間がかかる。その上、自分の出した指示を指導医が直しているところを見つけては、何が違うのかをメモして廻っているうち、大抵深夜1時、2時にはなってしまった。

 指導医からは看護師さんを含め、医療スタッフのすることは皆出来るようになりなさいと指導されていた。それを聞いているからか、病棟の医療スタッフは研修医をあごで使う人もいた。仕方ない、出来ないのだからやってみるほかない。いつか見ていろという気持ちで様々なことをこなしていった。そんなだから、自分の時間などあるはずもない。時はあっという間に過ぎていった。

 数ヶ月もすると、ルーチンワークに慣れ、相変わらず時間に追われるものの、今度はもっと上を目指して勉強する余裕が生まれてきた。何事においてもエキスパートは居るもので、その一つ一つを見て、感じて、バックグラウンドを確認することはとても楽しかった。特にこのとき覚えた内視鏡とエコー技術は、その後自分の特技として本当に役に立った。

 内視鏡は今でも忘れられない、1ヶ月ほど指導医の先輩の真後ろについて、エアー内視鏡を毎日数時間やり続けた。3列並列で行われる内視鏡検査のうち、自分が見ているのは先輩の背中と肩越しに見える患者さんの表情とモニター画面だ。もちろんモニター画面に映るのは先輩が施行している内視鏡画面。患者さんの体位も表情も全部見て取れた。ちょうど1ヶ月経った日、突然内視鏡をヒョイと渡された。一人で患者さんに検査をしなさいとのことだった。指導医の動きは皆自分の身体が覚え込んでいた。掛ける言葉も同じだ。不思議なことに何の問題もおこらず、必要な部位の確認と写真撮影、そして病理生検も出来てしまった。自分でも驚いたが、指導医は何事もなかったように、これから全部おまえがやれと言った。もちろんその後いろいろな難しさを経験したが、それは応用で対処できた。出来上がったフィルムをみれば、技術も精度も病気の見落としの有無も確認できる。フィルムカンファレンスというものが毎週行われ、そこで他の先生との比較も出来た。自分のフィルムを見て、自信を深めたのは言うまでもない。

 指導医の先輩は、半年間の内科研修の間に3回、二人だけで飲みに連れて行ってくれた。最初は右も左も判らなかった時、次は慣れてきた3,4ヶ月目の時、そして内科を離れる時だった。何を語るでもなく、ぐい飲みを手に、熱燗を注いではクイッといくだけの数時間だった。

|

« 万葉粥 | トップページ | 若き日の過ち 後編 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 万葉粥 | トップページ | 若き日の過ち 後編 »