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2009年2月 6日 (金)

救急医療の危機

 鳥取大学医学部の救急部が破綻した。救急部の教授を含めすべてのスタッフがこの3月で一斉に辞職してしまうことになったのだ。

 出身大学ではないが故郷の出来事に心が騒がぬはずはない。たかだか60数万人しかいない人口の県とは言え、東西に長く広がる土地は山間部が多く、県全体が過疎地域といってもよい状況ゆえに、病院へのアクセスは悪いのが当たり前の土地柄だ。大きな病院とすれば、県東部に県立中央病院、中部に厚生病院、西部に大学病院があるが、3次救急を名乗る病院は東西の2カ所のみで、医者は常勤として5人しかいない状況だったようだ。小さな県ゆえに一カ所でも十分ではないかという意見もあるだろうが、辞職を決めた教授の言葉が突き刺さる。

「プライドが踏みにじられる状態が続き、以前から苦しんできた。救急専門医を志す医師に夢を与える職場環境ではない。」

 医療者ではない一般の人達には、ドラマなどで華々しく活躍する救急医療に心躍らされ、やりがいと華のある職業と認識されていることだろう。もちろんやりがいのあるという言葉を否定するつもりは毛頭無い。しかし現実は相当辛い。

 24時間365日命と格闘するというのは、自分の命をそれだけ削っているのと同じだ。志を同じくする者が多くいれば、それでも救いはある。しかし少なければ自分の命はどんどんと激しく削られる。自分だけならまだなんとかなる。でも家族を考えると心が痛む。そうしているうちに年を取る。若いうちは無理も出来たが、50歳を過ぎて出来るものではない。

 その上感謝される美しい現場であるというのは幻想だ。命が尽きていくのを止められないむなしさに苛まされている時に、家族の容赦ない罵声が飛んでくる。だからこそ食い止めた時の喜びがあるのだが、それすら「何故助けた?」と胸ぐらを掴んでくる自殺者や、家族と言われても困ると引き取りを拒む縁者もいる。

 そんなことは大丈夫、なにより喜んで帰る患者さんの顔を見られればという救急医の顔に泥を塗るように、病院職員たちの陰口が飛んでくる。やれ金がかかる、無理矢理患者を病棟にねじ込むな、最後まで面倒みられないんなら最初から診るな・・・等々。

 実際の所どの診療科を選ぶにせよ、急性疾患・慢性疾患・慢性の急性増悪などを抱え、救急対応すべきことがらは発生する。そのためエキスパートと呼ばれるほど、救急対応に精通する各科診療科医師は存在する。ならば救急専門職とは?というアイデンティティーの部分で心ない言葉を救急医にぶつける人もいるのだ。つまり救急対応した後、他科へのコーディネートまで要求され、そこでプライドを傷つけられることもあるということなのだ。そこがうまく出来る病院はとても幸せだ。

 それにしてもかの鳥取大救急部はヘリの着陸の出来ない場所へも、ヘリから医者とパラメディカルをロープで投下して対応するなども試みていたようだ。紛争地域へ出かける医師同様危険きわまりない対応だ。少人数で医療者が現場へ乗り込んだところで、出来ることなどたかがしれていると思うが・・・

 こんな現代だからこそ、救急の現場で今も頑張っている同級生にはエールを送りたい。身体に気を付けて頑張って欲しいと。

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コメント

私の故郷から山を越えれば鳥取なので、驚きました。過疎化地域の代表の県では、若い医者が流出し、一方で救急医療の必要なお年寄りが多い、というのも一因でしょうか?
この記事を読むと、ERの人たちの置かれた状況に頭が下がります。そういうすぐに目には見えないインフラに、私たちは支えられているのですよね。
暴論かもしれませんが、アメリカのように救命士の枠組みができると、少しは楽になるんですかね。

投稿: Mash | 2009年2月 8日 (日) 21時24分

Mashさん

 山陽さんでしたか。山陽は暮らしやすいですよね。

 やっぱり山陰に若い人は残りませんよ。それは医者に限ったことではありません。

 日本も救急救命士制度があり、個々はそれなりに良くできるのですが、国や世論が救命士活動をがんじがらめにしています。医者もどういうわけか、救命士の活動に水を差しています。

 分担できることを分担せずに破綻を来すこの医療制度はなんとかしなくてはなりません。それもこれもなにか失敗があれば、上役が頭を下げて終わりという風土が作り出す悪しき風習なのではないでしょうか。

投稿: クーデルムーデル | 2009年2月 9日 (月) 20時37分

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