« まいど! | トップページ | 夜を奏でる »

2009年1月27日 (火)

春の予感

 西福寺の紅梅が咲き始めた。充電切れで写真が撮れないのは残念だが、この暖かさなら納得だ。庭の沈丁花も蕾を付け始めた。もう春が近づいているのだろうか。

 テレビをつければ、朝青龍に春来るだ。根っからの相撲好きだが、近年では珍しく15日間(録画も併せて)幕内後半戦はすべて観た。朝青龍は危なっかしい前5日間の相撲をしのいだ後、彼らしい激しく動く相撲を見せた。全盛期に比べれば、立ち会いの鋭さがなかったものの、「うまい!」「強い・・・・」とうなる場面が何度も繰り返された。彼の相撲を観ていると相撲は格闘技だと感じる。白鵬や現親方の貴乃花のような相撲は、強くて盤石でこれぞ美技、これぞ横綱!と思わせる風格があったが、反面格闘技と忘れさせるものだ。

 激しさも猛々しさも、そして相手を圧倒する懐の深さも、すべてが相撲の一側面であろう。激しさ故に土俵を割った相手の足など見えない、ないしは勢いのままなだれ込むこともよくあることだ。彼に限ったことではないし、彼ほどの激しさを見せる力士も最近いないだけのことだろう。もう随分前になるが北勝海は横綱になっても激しい突き押しで吹っ飛ばし、顔を張り、のど輪で仰け反らせていたではないか。私は彼の相撲を好ましいと思ったことはないが、かといって非難するものでもなかった。むしろ非難されるべきは、横綱に対し突き押しならいざ知らず、顔を張るなどという無礼を働くものの方であろう。

 張り手は相撲で許されている技の一つであることは相違ない。しかしカウンターパンチのように入る稀な場合を除いて、相手を怒らせるか自分の懐に相手を入れてしまうという自滅技にしかならない。少なくとも平幕が横綱に使用して有効となることはほぼあり得ない。それ故無礼と私は思う。上役になればなるほど張り手の不利益は承知しているはずで、横綱が使う場面はほとんどないというのがこれまでの常識であった。朝青龍にしても同様で、おそらく張り差しがなくなればもっと簡単に相手を圧倒できることだろう。問題は張り差ししてくる横綱の脇を差して一気に寄り切る力士がいないことだ。皆出会い頭に威圧されて終わってしまう。白鵬も最近は張り差しをよく使っているが、あれは他の力士がふがいないために他ならない。

 それにしてもマスコミはくだらないことで騒ぎすぎる。横綱に品格を求めるなら、品のある問答をすべきだ。

|

« まいど! | トップページ | 夜を奏でる »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« まいど! | トップページ | 夜を奏でる »