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2008年8月26日 (火)

腎生検

 今年は腎生検がやけに多い。夏休みに入ってから、毎週2例ずつこなしている。今週も今日と明日、一人ずつ行う予定だ。

 いつものことだが対応は千差万別だ。小学校一年生というのに、まったく平気を決め込んで、うんともすんとも言わず&ピクリとも動かず全うした男の子がいれば、それこそ座り込んだまま点滴すらさせてくれない女の子までいろいろだ。

 どうしてもダメなら局所麻酔だけでなく、鎮静&鎮痛剤を使用する。そんなときはケタミンとミダゾラムの合わせ技でいく。分泌過多となるので、アトロピンの用意も忘れずに。

 これからの治療のために必要な検査だが、子供達には結構な負担だ。やるまではちょいと強面で、終わったらねぎらいを込めて遊んでやらねば。

 頑張れよ、子供たち!!

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じっとり

 じめじめじっとり

 水の膜を纏う一日

 薄く光るアスファルトも

 すぐまた黒くなじんでゆく

 覚悟を決めて漕ぎだすと

 霧を纏った風車が

 闇の中へ溶けていった

Photo

 

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2008年8月22日 (金)

あきれる

 昨日「しっかりしようぜ、日本」と締めたが、今朝はがっかり。

 狭い坂道の歩道を猛烈なスピードで逆走してくる自転車、そしてそれをかわしながら歩道を横切る車の運転手は、なんとハンドルに雑誌を広げて見ながら運転・・・

 立ち止まる私(今日は仕方なく徒歩)。

 おかしいよ、日本人!

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2008年8月21日 (木)

毒入り餃子

 連日世界のアスリートたちの妙技に心奪われている。オリンピックそのものに水を差すつもりは毛頭ない。しかしである。中国製餃子に毒が盛られ、日本で犠牲者が出た事件につき妙な話が伝わってきた。

 中国当局がかの餃子は日本での流通過程で毒が混入されたと断定し、中国側に非は全くないと知らんぷりを決め込んだことは記憶に新しい。しかしその餃子の一部は中国本土でも流通しており、実際に被害者が出たというのだ。洞爺湖サミットの時点で日本政府には一般への公言はしない約束で伝えられたようだ。首相も捜査上の問題もあるため、公言しなかったと認める声明を発表している。

 オリンピックで浮かれている場合ではない。断固抗議し、容疑者逮捕のため日本の警察も中国へ派遣されるべきだろう。そんなこんなで福田首相がオリンピック代表選手たちに「せいぜい頑張って。」という表現をしてしまったのかもしれない。KYという言葉は嫌いだが、もう少し気の配り方があっただろうにと思うが。

 それにしてもオリンピック名物おじさんが、立腹のまま帰国したという報道もあったが、うさんくさい国であることを世界の祭典をもってしても消すことができないでいるようだ。

 しっかりしようぜ、日本!

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2008年8月20日 (水)

無罪判決

 福島県大野病院での妊産婦死亡に対する医師の責任問題につき、司法の判断が出ました。無罪判決でした。

 今、あらためて亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。

 医療は生命を扱う、いわば大変危険な行為です。その代わり、放っておけば死に至る可能性の高い状況を打開することも可能な行為です。十分な注意を払い、そして最高の治療を施しても、最悪の結果をまねくことはあり得ます。だからといって我々は、仕方ないとあぐらをかいて日夜過ごすことは致しません。ほとんどの医師たちが、少しでもそのリスクを減らそうと努力しています。それは高度医療を行う病院でも、僻地といわれる地域の病院でも同じことです。

 それが司法の場で理解されたと考えたいです。この判決でどれだけ多くの医師たちが、なお一層の努力を肝に銘じたことでしょう。努力は結果を生みます。その努力には罵声や訴訟ではなく、信頼と応援が必要なのです。

 私たちは常に努力し向上し続けることを誓います。

 皆の笑顔のために。

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2008年8月13日 (水)

世界の!?ラーメン?

世界の!?ラーメン?

 我が佐倉にはゴツイ名前のラーメン屋がある。その名も「世界のガンジーラーメン」

 怖くて立ち寄ったこともなかったが、今日暑さに感覚が鈍ったせいか、丁度店の前を通り掛かったので思わず入ってしまった。

 メニューを見ると・・・ミトコンドリアXラーメン!?横に内容が書かれてはいるが、全く見当がつかない。水戸黄門ラーメン・・・刻み納豆とジュンサイ入り!? キッツゥー

 ということで、無難そうな菅原道真ラーメンを頂くことに。

 それがこれだ!

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2008年8月12日 (火)

心からの言葉

 家族を実家に残し、仕事に復帰した。お盆による帰省週間で外来は少ないだろうという予想は大幅に外れ、子供たちの鳴き声が外のセミたちよりはるかに激しく響き渡っていた。

 ようやく20時過ぎに入院患者の回診と看護師さんへの指示を終え、夕食のため行きつけのラーメン屋に立ち寄った。こんな時期にラーメン屋に来るのは常連しかいない。ラーメン屋の親父さんもママさんも客と談笑しながらのひと時だった。

 狭いラーメン屋にはそれでも2卓の座敷がある。そこの一つでおっさん二人が語り合っているのが耳に入ってきた。少々くたびれた感じもしたが、目はしっかりとした、年のころは私と似たり寄ったりだろうか、そんな二人だった。

「そういえば赤塚不二夫の葬儀で白紙を読んだタモリの弔辞、お前知ってるか。」

「もちろん知ってるよ。あれだけの弔辞をアドリブでやっちまったタモリってすごいよな。」

「凄いのは弔辞の内容だよ。ありゃ国語の授業で使えるぞ。道徳としても使える。道徳なんて今の子供たちに教科書で教えたってなんにも響きやしねぇ。でもタモリの言葉っていうなら、子供達もちゃんと聞くだろう。・・・・・・・・」

 その後の会話は全く頭に残っていない。しかしここで出てきたタモリの弔辞についてはとても興味が湧いたので調べてみた。そこには心からの言葉が並んでいた。

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義

 弔辞が通り一遍のものとなるか、それとも皆の心に響くかは、思いの深さによることだろう。私もこれまで大切な人達の旅立ちを若輩ではあるが何度か見届けてきた。そのたびに心からの言葉を聞いてきたので、タモリの言葉に特別な感情を抱いたわけではない。しかしおそらく若者たちを相手に教育を行っている人たちにはとてもよい教本になりえる言葉であろうと思えた。

 あらためて一読者として赤塚不二夫氏に哀悼の意を表したい。

「バカボンで笑わせてくれた赤塚不二夫さん、ありがとうございました。先に天国へ行った人たちも笑わせてくださいな。私もそのうち笑いに行きますから。」

 これでいいのだ、これで。

 

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2008年8月 6日 (水)

杉神社

杉神社

鳥取は智頭のシンボル杉神社。実は夏休みで帰省中。

今日は予定通り海へ行く。

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2008年8月 2日 (土)

小児科夏祭り~5年目の夏

 昨夜小児科夏祭りを催した。合唱から始り、射的・輪投げなどのゲーム、患者さんによる紙芝居、マジックショー、そして花火&シャボン玉・・・子どもたちが大興奮してくれたのには本当にうれしくなった。

 毎回子供たちのために病院職員大勢が力を貸してくれる。うれしく、ありがたいことだ。これだけのことをしようとすると結構な労力になる。私は合唱3曲を作り上げることに全力を尽くしたが、それだけでへとへとになってしまった。それにしても今回の曲は、とてもよかった。

 ロマンチストの豚~やなせたかし作詞、木下牧子作曲・・・あのアンパンマンの作者による作詞!

 Supercalifragilisticexpialidocious・・・ご存じメリーポピンズの魔法の言葉!

 夜空のムコウ~スガシカオ作詞、川村結花作曲・・・スマップのヒット曲を信長貴富編曲、私のアレンジでアカペラへ

 全曲伴奏なし、アカペラでのコーラスになったが、豚がメルヘンの世界へいざない、メリーポピンズで踊り、そして最後の和音がロビーに響き渡った瞬間、自分自身感動に震えた。病棟からは長期入院になっているおばあちゃんたちも聞きに来てくれていたが、涙を流してくれる人もチラホラいた。オープニングが成功すれば、あとは簡単。子どもたちは笑顔でおやすみなさいと言って、自宅に、そして病棟へ戻って行った。

 私が音頭をとって始めたこの祭りも5回目を数えた。もうこの病院のかけがえのない風物詩になった。さて、来年はどんな夏祭りにしようか・・・・

 おっとその前に、今日は佐倉の大花火大会があるし、母校が甲子園で千葉と対戦する。盛りだくさんな週末だ。こんな人生を送らせてくれる周りの人々に感謝しなくては。

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