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2008年5月27日 (火)

大きくなっても

 学校検尿3次検診でやってきた中学一年生。昨年の記録より10センチ近くも背が伸びていた。

私 「昨年と比べたら無茶苦茶大きくなったね。」

母 「頭は全く変わりません」

 よく見掛け、よく聞く言葉である。私自身、この子は本当に1年ぶりであり、記憶の片隅にも残らない顔と身体つきだったので、聞き流していた。

 昨年の記録では超音波検査で両側の水腎症のあった児であったので、1年ぶりの超音波をするべく、ベッドに横になってもらった。

 しかし横になるやいなや、挙動不審となった彼は、

彼 「ズっ、ズボンも脱ぐの?」

看護師 「いいえ、お腹を診るからちょっとズボンを降ろすだけだよ。」

彼 「えっ・・・エッチ・・・」

看護師 「は?」

母 「バカなこと言ってないで、早く降ろしなさい。」

私 「おっ、制服の下に体操服か?これも降ろして・・・・一体何枚はいてるんだい??」

彼 「あぁぁぁぁ~~~んhappy02

私 「じゃあ、診るよ。」 超音波のプローベを当てる。

彼 「あっ、パソコンじゃん。ねっ、パソコンに映ってるんでしょう?」

私 「おっとそのリアクションは、もしやあの時の・・・・・USB少年か?」

  前回5年生と記述していたが、6年生の間違いだった。

母 「あの時もお騒がせしました。中学でパソコン部に入りまして・・・」

彼 「だからさ~パソコンなんでしょ。」

私 「そうだよ。USB連呼から進歩してるな~

    よし、じゃあここで息を吸って、はい止める!」

彼 「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・はぁはぁはぁ」

私 「できるじゃない!やぁ成長したな、君も!!」

彼 「でも・・・エロい・・・」

私 「えっ、、、はっ??」

彼 「だってパソコンでくすぐるんだもんheart02

 こいつだけはどういう成長してるんだ?

私 「ハイ次、背中! そこで動くなよ~~~、はい息を吸って・・・止める!」

私 「いや~~本当に止められるようになったね。成長していて先生うれしいよ。」

彼 「僕もうれしいcatface

私 「・・・・・・・・」

彼がどういう大人になるか、とても興味が湧いた。ちゃんとお辞儀をして診察室を後にしていった彼はとても礼儀正しい若者であった。

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勢い

 緑の勢いが加速する

 田の畦道も

 自転車道の両脇も

 すべてを飲み込もうと

 こんな時は逆らえない

 ただ避けて通るだけだ

 そして

 草の影から現れる

 小雀たちも避けなければ

 小さく幼い命を

 愛おしく思いながら

080527

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2008年5月20日 (火)

何もできやしない

 青森時代にお世話になった『山の師匠』が病に倒れた。

 師匠は奥さんの病気もあり、友人の薦めで埼玉県越谷市に移り住んでいた。ある会社の寮のまかないとして奥さんと二人で住み込んでいたのだ。奥さんのこともあり仕方のないこととは思っていたが、山の霊気で生きているような人だったので、体調を崩さなければよいがと思っていたところだった。

 以前から胆石を患っていたので、時々痛むことはあったらしい。しかし半年前に食欲不振となり、その後黄疸が出てきた。近くの医者では対応できず、大学病院へ行けと言われ、精査したらすぐに手術すべきと言われたらしい。どうするべきかと相談を受け、連休中に一度顔を見に行った。顔色はさほど悪くはないが、眼球には黄疸が出ていた。大学の医者の話では、胆管に出来物があり、そのせいで食欲が落ち、黄疸が出ているので、これを取りましょうということらしい。親類でもないため、詳しく医者から話を聞くわけにもいかず、しっかり治療を受けるよう数時間話して別れた。

 一昨日電話が鳴り、師匠の息子さんから、胃と腸を繋ぐ手術は終わったが、胆管癌で腹膜にも播種しているから根治術は出来ないとの話を聞かされた。どこかで何かできないのか、出来ないなら青森に連れて帰った方がよいかどうかと尋ねられた。

 癌センターで働く友人に問い合わせてみることを約束したが、状況は難しいところにあること、そして青森に連れて帰るべきことを話した。ここにいても望みは薄い。山の空気なら何かが変わるかもしれない。およそ非科学的なことだが、それしか私には浮かばなかった。

 連休中に師匠とは病気の話をした。しかしそれ以上に、九十九里浜の砂地に生えるキシメジタケをいつ採りに行こうかという話で盛り上がっていた。その話をする師匠の目はとても病魔に冒されている人の目ではなかった。だからこそ、少しでも食べられるようになれば、山へ一緒に行き、キノコや山菜を山のように採って、それを食べてもらいたい。それがなによりの治療に思えるのだ。

 残された時間は少ない。週末にでも相談に行かなくてはならないだろう。でも気付いているだろうが、師匠に手術は無理だと告げるのは難しい。難しいな・・・・

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2008年5月19日 (月)

カンガルーはよくてクジラはダメらしい

 グリンピースが日本の調査捕鯨へ危険な妨害行為を繰り返したことは記憶に新しい。この行為を全面的に支援していたオーストラリア政府というのもご存じの方は多いだろう。

 そのオーストラリア政府は、人間様の生活に支障が出るからとカンガルーを始末するそうだ。始末するのは苦しませずにあの世に逝かせるからクジラとは違うらしい。動物保護団体からは非難声明が出ているようだが、実力行使に出るのか見物だ。例えば母性の鏡のようなカンガルーを殺すのは許せないと、処理施設破壊工作などする団体に賛成の声を挙げる国がどこにあるだろう。文化も含めて他国の諸事情に口を差し挟むことがどれだけ愚かなことか知るべきだ。

 こういうことを繰り返していると、そのうちしっぺ返しをくらうものだ。昨今高まっている魚食嗜好を支えるべく、漁獲高を上げようとしたときにクジラによる捕食で思うように魚を獲ることが出来なくなればどう行動するだろうと想像してしまう。

 もっとも、生態系の上位にランクされるクジラ類には環境の因子がまともに影響してくるだろうから、そのうち環境ホルモンや有毒物質で絶滅の危機に陥る方が先かもしれない。これを知るのも調査捕鯨に負うところは大きい。

 日本はやはり粛々と調査捕鯨を繰り返し、余った貴重な資源を有効活用すべく市場へ流用してほしいところだ。

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スリリングな試合

 久しぶりにダイナミックなサッカーが出来た。連動性も豊かになった。残念なのはあの2点目、岡田君の目も節穴だが、あれ(間違った相手ボールのスローイン)を傍観しちゃいけない。子供の頃から言われているはずだ。

 良い試合だっただけに負けたのは残念だった。しかしあれ(試合後のガンバの雄叫び)はないだろう。不愉快千万、選手がふざけんな!と戦っていたのでサポも戦って当然だ。それに水風船を投げ込んできたガンバサポ。こちとら売られた喧嘩は買うだろう。物を投げたら負けだぜ。それも女子供に投げるなんざ、おまえら人間としておかしいだろ。

 ということで借りは返そうぜ。もちろんグランドの上で。

 

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2008年5月16日 (金)

五月の空

 ようやく五月らしい空

 これならペダルを踏む力も出る

 ふと立ち止まると

 つつじが風に揺れていた

Photo

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2008年5月15日 (木)

お金ではなく理念だが

 月曜日のカンブリア宮殿。村上龍氏は医療崩壊について番組を作りたいと、聖隷浜松病院院長を登場させた。意気込みの一方で突っ込んだ話が出来ておらず、ちょいと興ざめした感がある。しかし面白いフレーズがあった。医療には理念が必要であるというフレーズだ。

 世の中の医療関係でない方々がどう思っているか知らないが、医者で金儲けだけを考えている者はまず居ない。何十年も前ならどうかは判らないが、なにより今は医者が儲からない仕組みになっている。勤務医など10年選手でも普通の会社のヒラ社員とは言わないまでも、係長クラスしかもらっていない。勤務医の部長クラスが地方銀行の部長の2/3といったところだろうか。お金で不自由しなさそうということで娘さんを医者へ嫁がせようとしている方がいるなら、それは幻想だからやめなさいと言うほかない。

 ではなぜ受験競争を勝ち抜いた(と思っている)我々が医者を続けているのか。答えは簡単、やりがいだ。人間の身体は奥が深い。疾患それぞれは診断も治療も決まってガイドラインまで出来ているものもあるが、一個人に起こる疾患はどれもこれも同じものなど一つとない。それを見極めていく醍醐味、そしてうまくいったときの達成感となによりうれしい患者さんからの感謝の言葉、それらがすべてだろう。何は置いても目の前の患者さんをよくしたい、それが医者の本音だ。「こいつ気にいらねぇーから、どうにでもなっちまえ」とか「今日は彼女と会うから適当に切り上げよう。」なんてことは、(万が一?)頭を一瞬だけよぎることはあっても、けっして支配されることはない。結局適当なんてありえず、どれだけ疲れていても最後まで診療してしまうのだ。

 それでもカスミを食って生きているわけではない。家族は養わなくてはならず、自らの向上のために自費で学会へ参加する。そして名ばかりのホワイトカラー階層という幻想に迷い込むのだ。世の中には『男の価値は銭で決まる。いくら稼ぐ、いくら俺に投資してくれるのかだ。』とのたまう御仁を見聞きするたびに、己の手にする給料明細を見て溜め息をつくことになるのが勤務医の現状だ。そこへきて昨今は感謝の言葉も少なくなってきている。(幸い私のところでは、子供達の笑顔とお母さん達の明るい声がいつもこだましているのではあるが)モンスターペイシェントは増え続け、結果が悪ければ即訴訟だ。これではやりがいになろうはずもない。

 夜間の救急医療をしようと試みるならば、医者だけでなくパラメディカルの人件費だけでもバカにならない。人・物・金・時間すべてを浪費するのが救急医療となる。でも必要なのは間違いなく、必要な人に適正に行われるなら誰も文句は言わない。救急でなく、夜間帯で診る必要のない輩が大勢押し寄せて、しかもそういう人達に限って悪態をついていくから救急も出来なくなるのだ。産科も小児科もこれに近い。お産は確かにほぼ安全になったが、それでも一定の割合で不幸な結果となる。これを医療ミスだと言われれば誰も手出しが出来なくなる。小児科は患児一人診察するのにたくさんの人手と時間が必要だ。採算を考えればやってなどいられない。 

 聖隷浜松の院長は「理念を持て」と話した。さすればおのずと道は開けると。もちろん患者さんが道徳心を持った、襟を正す人達ばかりならこれも可能だろう。しかし患者様と呼ばれるようになってから権利意識の塊となってしまった人達はそんなきれい事を粉砕していくのだ。119番にかかってくるとんでもない電話の内容を知ればそれは自明だ。聖隷浜松病院の圧倒的なマンパワーでそれがかき消されているだけだと思うのだがどうだろう。もしくは地方の中堅都市にあるからこそできる理想郷であるのかもしれない。そのまま大都市圏や過疎地でこれが当てはまるものでもなかろう。

 我々医療者ではなく、国が理念を持ち、国民を守るために医療費の増加は仕方ないと思い直すしか医療問題を解決する道はないように思う。だいたい老人ばかり増えているのに、医療費が削れるはずもなかろう。無駄は省くべきだが、ここをケチれば四川のビルのようにもろく崩れ去るだけだ。それが出来ないなら、国民一人一人にその旨を伝え、個人で医療保険に入ってもらい、その保険で医療を受けるようにするほかなくなるだろう。

 それでも事故調査委員会が、個人を裁く片棒担ぎも出来るようになるなら、確実に次世代を担う医者の卵は姿を消すことになるだろうが・・・

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2008年5月14日 (水)

災害によせて

 中国で未曾有の大震災がおこった。その前はミャンマーでハリケーンによる大災害がおこっている。まずは亡くなった方々へご冥福をお祈りしたい。そしてかろうじて命は助かったけれど、肉親や友人を亡くされた方、家屋を奪われた方、生きる希望を失いかけている方々へ、一日も早い復興をお祈りしたい。ちっぽけなことだが、義援金を送りたい。

 災害はひとごとではない。いつ何時自分に降りかかるやもしれない。その時何が出来るのか、どう行動するべきかは家族で話し合っておくべきだろう。家の外にも水のタンクを用意したり、災害時グッズをキャリアーに入れておくのも地震国日本にいれば必要なことだ。

 ただこの度の2カ国に起こった災害では、他国で起こった災害現場とは違った風景がテレビで映し出されている。海外からの救援物資や救命・災害復興チームが見当たらないのだ。世界の警察を名乗るアメリカは、24時間以内に要請さえあれば救援チームを派遣できる。日本も消防庁の特殊チームがスタンバイしている。自衛隊も24時間以内とまではいかないが、いつでも命のままであろう。

 ミャンマーでは軍事政権がそれをよしとしないらしい。中国も世界の注目を集めるチベット地区を含む辺境地域での災害に、触れられたくないことがあるからか、はたまた共産党政権&自国軍だけで救助することが面子を保つことと言わんばかりの方針だ。しかし命は一分一秒を争うものだ。助けは多ければ多いほどよいというのは阪神大震災や中越地震で、そしてインドネシア大津波で我々が体験したことだ。

 中国が受け入れるのであればの話だが、四川省に日の丸を掲げる日本の救援チームが入り、幾多の人々を助けることができれば、それこそ真の両国友好も始まることだろうに。

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2008年5月12日 (月)

目覚め最高

 セレモニーが無事終わった。急速によくなった鼻と喉は、思った通りに音を響かせてくれた。ピアノは・・・お酒も少し入ったので、ご愛敬といったところか?その時判ったことだが、私のピアノでシメ、そのまま両親へ花束贈呈、そして両家代表あいさつとなった。雰囲気をぶち壊す可能性もあったわけで、そんな大事なこと早く言わね~かな、本当に・・・

 それにしても泣けて笑えて、とてもよい結婚式だった。隣に据わった後輩も同じ気持ちだったようで、意気投合してその後飲みに出掛けた。合唱部で随分と可愛がった後輩だったので、本当に気持ちよく酒を酌み交わした。

 おかげで今朝の目覚めは最高。さあ一週間頑張るぜぃ!

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2008年5月10日 (土)

鼻水とまるかな・・・

 連休明けてみると、のどをやられていた。7日はまだよかったが、7日の夜半から発熱し、同時に鼻水がとまらなくなった。8日は予約がびっしり・・・・連休明けもあって休むわけにはいかない。かといって子供達に風邪を移すわけにはもっといかない。マスクを2重にして、鼻を触るたびに手洗いをしながら診療を続けた。

 9日には熱が引いていった。予定通り深夜の救急当番をこなし今に至る。さてこれから土曜外来だ。どれほど来るだろうか・・・

 明日は、明日は後輩のWedding Partyだ。そこで歌わなくてはならない。この鼻ではろくに歌えない・・・大事なセレモニーで、ピアノ弾き語りなのに・・・

 休みで風邪を引くなんて、医者として最低だぞと仲の良い内科の医師から言われた。当然だ。しかも週末にセレモニーが控えているのになおさらだ。

 クソっ、気合いだ~~~!

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2008年5月 9日 (金)

言わねばならぬこと

 中国の胡錦濤主席と歴代首相経験者との朝食会が昨日行われた。前日までの福田首相との会談では東シナ海の問題がキチンと話し合われたばかりか、バカの一つ覚えのような謝罪要求もないということで、この主席がオリンピックを目前にして慎重にそして是が非でも日本の協力を取り付けなくてはならないという様子が手に取れた。親中派の福田さんだからこそこういった話になったのかもしれないが、出だしは最高と思っていた。それでもこれでチベット問題を話題にしないままでは、国際社会からは認められないだろう。それが朝食会で一変した。

 物言う政治家として拉致被害者救済へしっかりした働きをしたことで首相まで登り詰めた安倍元首相からの発言であった。若さもあってブレーンを味方に付けられなかったことから四面楚歌に陥って首相職を放り出してしまった安倍さんだが、言うべき事は言うという確固たる意志のある政治家であることを見せてくれた。

 戦略的互恵関係の構築に向け。相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ。国が違えば利益がぶつかることがあるが、お互いの安定的関係が両国に利益をもたらすのが戦略的互恵関係だ。問題があるからこそ、首脳が会わなければならない。

 私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。中国も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない。そうなることを強く望んでいる。

 これはチベットではなくウイグルの件だが、日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する。

 この発言で場が凍り付いてしまったようだが、それをクソラガー森元首相が和ませる発言をしたとのことであった。この時中曽根氏がどのような表情を浮かべていたのか知りたい。できれば小泉氏も同席して欲しかったが。

 上っ面だけの外交がどれだけ日本に不利益をもたらしたことだろう。言わねばならぬ事をしっかり伝えるからこそ、同等として認識され、国同士の話し合いが出来るというものではないか。ここはもう一押し、「チベット&ウイグル自治区への共産党の政策は、大日本帝国のそれと変わりませんよ。」と言って欲しいところだが、そこまで言うと角が立つだけ。あとは安倍氏だけの思いではないことを伝えるべきだ。そこをあのク○が・・・・・

 情けないのはこの歌だけでいい

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2008年5月 6日 (火)

歌舞伎

歌舞伎
連休最後にようやく遠出。歌舞伎に家族でチャレンジ。四谷怪談、おどろ面白かった!

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2008年5月 2日 (金)

ザリガニの逆襲 後編

ザリガニの逆襲 後編

その日の昼食後、家の前の公園でサッカーをすることになり、庭に転がっていたボールを持ってこさせると、空気が抜けていた。子供達を引き連れて下駄箱の横に立てかけてある空気入れを取り出した。自転車の空気入れだが、先端を換えればボールの空気入れになるプッシュアップ式のものである。

しっかりした細長いビニール袋に入っている空気入れを取り出し、引き続き換えの先端を取り出すため袋を逆さにした。

「どさっ」

こぶし大の赤黒い物体が転がり落ちた。

「うわ!」

皆、バッと後ずさりすると、物体は大きなハサミを振り上げ威嚇し始めた。

何故?一体何故こんな袋の中に入ることが出来たのか、頭の中を整理できぬまま彼をつまみあげ、水槽へ戻した。

数日間、彼に触ることなく過ごした。

彼もおとなしく岩陰に隠れ、時折餌を食べに水草のあたりに顔を出すだけであった。

しかし心なしか彼の顔つきが違って見えた。決して怖がっているわけでなく、しかも 威丈高という風でもなく考え込んでいるような、そんな雰囲気を身に纏っていた。

子供達とは外へ出たがっているので、今度の日曜日に川へ逃がしてやろうという話しをした。

その夜はとても蒸し暑い夜だった。

普段は別々の部屋で寝ている家族だが、この日は風通しのよい居間の横の和室に雑魚寝した。私は最も奥まった壁際で皆の寝息を聞きながら眠りに就いた。

誰かが髪を引っ張っている・・・

てっぺんから少し右をククッと・・・

だれ?・・・・

うわぁ~ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ・・・・・

払いのけようとした右手には暖かい皮膚ではなく、硬いいびつな塊が触れた。

飛び起きて暗がりに目を凝らすと・・・・

彼がハサミを振り上げていた。

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ザリガニの逆襲 中編

ザリガニの逆襲 中編

彼は我が物顔で水槽の中を歩き回っていた。

メダカとのバトルがとぎれてしまってからは興味も薄れてしまったのか、子供達が一日中彼を眺めることはなくなってしまった。

私はザリガニの餌を購入し、毎日ほんの少しずつ与えることにした。朝、水槽の蓋を開け餌を落とすと、彼は反り返って大きなハサミを振り上げこちらを威嚇し、しばらくして餌を口にした。そうして岩の影に身体を隠すこともせず、悠然と水槽の中央に仁王立ちするのであった。

とある日曜日、いつものように水槽の蓋を開け、餌をやっていてふと考えた。

「このまま自然に帰したら、彼は自分が一番強いと思いこみ、隠れることも知らず、大きな魚や鳥に喰われてしまうだけであろう。それならば強い敵の存在を教えてやるべきではないか。」

そう思った私は庭に降りて、細い小枝を拾ってきた。その小枝で彼の身体をつつき始めたところ、彼は大きなハサミで応戦してきた。かまわずつつき回すと、初めて怖れを抱いたのか、身体を小さくし後ずさりを始め、岩陰に隠れた。

「これでよし。」

それから数日間、毎日餌を与える前に小枝で追い回した。気付かぬうちにエスカレートしていたらしく、妻から

「可哀相だから、やめなさいよ。」

と言われた。しかし

「訓練だから。」

と狭い水槽の中をつつき回し、跳んで逃げるほど危機感を煽った。

ひと運動させた後餌を与えても、しばらくは近づいてくるはずもなく、餌がふやけて水を濁しても仕方ないので、数時間経ってから与えるよう妻に頼んだ。しかし彼はしだいに餌を口にしなくなっていき、日中はほとんど岩陰に隠れて出てこなくなってしまった。

翌週の土曜日、前日からの当直に引き続き土曜外来を済ませ帰宅すると、水槽の中に彼の姿がなかった。子供達に問いただすと、三男が水槽の側に居たという。しかしまだ2才の子供にザリガニを手にする勇気も俊敏性もないことは容易に想像がついた。しかも水槽には蓋がついたままであり、蓋を開けて中をのぞいた形跡もないことが判った。妻も知らないという。

蓋には空気を送り込むチューブ用に1.5×4センチほどの穴が空いている他なく、ザリガニがその穴から飛び出すことも考えられなかった。もしそこから偶然にも飛び出したとしても、隠れるとすると居間の物陰かと思い、くまなく探したが見つからなかった。おそらく庭に落ちて猫にでもやられてしまったのだろうと無理矢理考え、当直で疲れ切った身体を休めるため、夕方早くから眠りに就いた。

朝早く目覚め、新聞を取りに居間から玄関へ出ると、なにやらカサコソいう音が下駄箱の隅から聞こえてきた。

靴をどかして音のする方をのぞき込んだがなにも見あたらない。

ゴキブリならば出てきたところをひっぱたこうと考え、スリッパを手に身構えていたが、カサコソいう音も絶えてしまった。まあ出てきたときの事だと思い直し、新聞を取って居間に戻った。

居間の窓には清々しい朝の光が差し込んでいた。

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2008年5月 1日 (木)

ザリガニの逆襲 前編

 脳研究者であるポリさんのブログで、生き物による情操教育が話題になっている。生き物を思い浮かべると2年前に書いたあの記事が頭をよぎる。実話なので、いまだにあれを思い出すと身体がブルっと震えてしまう。以前のコピペなので、読んだ方には申し訳ないが、もう一度。

ザリガニの逆襲 前編

2年前の今頃、子供達がメダカを捕ってきた。水槽を用意してくれないとメダカが死んでしまうとせがまれ、金魚が死んでしまって以来しまってあった水槽を居間に設置した。魚が跳ねて外へ出てしまわないよう蓋のついた水槽で、空気ポンプまでセットした。

当然子供達は喜んでメダカの観察を始め、餌も買ってきて、水の取り替えもちゃんとやった。メダカは生き生きとし、子供達もうれしそうに毎日眺めていた。

数日後学校の池に住むザリガニを長男が持って帰ってきた。

「ねぇ、飼っていいでしょう?」

「どこで飼うの?」

「この水槽の中」

ザリガニはなんでも食べちゃうから、メダカも喰われてしまうだろうと思ったが、見るとまだ川エビほどの大きさしかなく、殻も透き通っていた。

「ちょっとの間だけだよ、すぐに池に放してあげなさい。」

そうして水槽の中には新しい仲間が加わることになった。

ザリガニはメダカの餌のおこぼれを拾って食べていた。メダカが目の前を通り過ぎても、それにアタックする様子もなく、むしろメダカに突き喰われるのではと思うほどであった。

数日すると、ザリガニは脱皮した。一回り大きくなった体は透き通る殻から黒みを増したものに変わっていた。

さらに数日すると、初めてメダカが一匹死んだ。特に外傷らしいものもなく、水が悪いのかと考え、カルキ抜きをしっかり施した水換えをした。しかし翌日も一匹死んでいた。よく見ると腹部に傷があった。メダカ同士で傷つけ合ったのか、それともザリガニがちょっかいをだしたのか、定かではなかった。

それから一週間が過ぎると、再びザリガニは脱皮した。今度はアメリカザリガニらしい赤みをおびた殻に変わっていた。正真正銘水槽の支配者となった彼は、メダカを襲い始めた。メダカ用の餌には目もくれず、ジッと様子をうかがい、メダカを捕らえ、しっぽを残して完食していったのである。

私は弱者であるメダカを保護するため子供達にザリガニを池に戻すように言った。しかし子供達はその支配者の強さに惹かれたのか、メダカが喰われてもよいからザリガニを飼いたいと言ってきかなかった。

毎日一匹ずつメダカは姿を消していった。

妻はメダカの目を見るとおびえているようで見ていられないと、水槽に近づかなかった。

子供達はザリガニがメダカを捕まえる瞬間を見たいと、日中は水槽にへばりついていた。大きなハサミが俊敏に動き、メダカが身体をよじって逃げる様子をみて歓声を上げていた。

最後の一匹を食べてしまった翌日、彼は再び脱皮し、赤黒い大きなアメリカザリガニになっていた。

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