都の西北
といっても早稲田の森ではない。今は都心が新宿であるから、都の西北とは新宿から埼玉へと続く西武線沿線のことである。詭弁にも聞こえるがご容赦願いたい。
私の大学時代からこれまでの間で最も長く住んでいたのがこの地である。のべ12年をほぼ埼玉県所沢市で過ごした。といっても学生時代は全寮生活であったので、それほどこの土地を詳しく知ることはできなかった。なにしろ朝6時半に起床しすぐに点呼のため屋外広場に整列しなくてはならず、夜は21時50分に各寮の廊下に整列しなくてはならなかったのだから、外でうろうろすることなど叶わなかったのだ。
それでもいろいろなところへ出掛けた。海も山も川も近くにあるわけではないので、自然と遠くへ出掛けていた。自転車圏内では、北は吉見百穴、南は三鷹、西へは飯能まで行った。車に乗るようになってからは秩父・長瀞が大好きで本当によく出掛けた。それほど出ずとも所沢には花の名所でもある航空公園があり、ちょっと散歩したり、ジョギングを楽しむこともできた。このあたりは犬と猿さんがとてもよくご存じのことと思うが、市民の憩いの場としてとても素敵な公園であった。特に冬のよく晴れた日に芝生の丘からながめる富士山は格別で、部活のない休日にゆっくり寝転んで眺めたものだ。
食べることも買い物もやはり東京が中心であり、所沢で済ませようというつもりは市民にもあまりなかったのではと推察する。買い物なら西武百貨店くらいだろうか・・・それでも食べ物は結構いけるところを何軒かは知っている。
まずは天ぷら。西武新所沢駅まえの『天弥』はおそらく都内の名店と比較しても遜色ないだろう。特に先代の揚げた天ぷらをカウンターでいただく旨さと来たら今でもヨダレが出てしまうほどだ。それから鰻なら同じく新所沢駅から川越方面に1キロほど行った北所沢にある『希文』だろう。注文を受けてからさばくので目の前に出てくるのは30分ほど後になるが、それを待っても余りある美味さだ。特に白焼きは絶品で、他の鰻屋には行けなくなる。寿司はどこも並だが、これも新所沢駅前の『盛り寿司』なら満足できるだろう。寿司も良いが刺身や焼き物がこたえられない。うどんならとなりのトトロでも出てきた松郷あたりにある『甚五郎』だろうか。本当なら入曽方面に『しめめん』という変わったうどん屋があったのだが、そこは親父が倒れてから店を畳んでしまった。そこの山かけうどんは最高だったのだが・・・蕎麦は、う~~~ん、お薦めできるほどの店は残念ながらない。浦和にある藪なら最高の辛み大根の蕎麦がたぐれるのだが、所沢には見当たらない。ラーメンなら昔はトップ軒という行列の出来るラーメン屋があった。しかし店を大きくしてからは行く気持が萎えてしまった。ちょいと離れるがJR北秋津駅前の『ほらふき』は無二のラーメンを誇っていた。しかし親父がバーンアウトしてしまい今はない。他のラーメン屋は一長一短だろう。落ち着いて彼女と行くなら所沢駅前のNO NAMEというbarもいい。その横にある和食『みや』も粋な料理を出してくれる。
所沢はベットタウンだ。若者は皆都内を向いている。しかし家を構えた後の人達は所沢で人生を楽しむように変化している方々ももちろんいる。私が所属していた男声合唱団『所沢メンネルコール』などはその代表格であろう。おじさんばかりの合唱団だが、昔やっていた人も多く、志高く練習に励んでいて、全国大会出場を叶え、合唱団委嘱作品も持ち、海外演奏旅行までしてしまうとんでもなくいけてる合唱団であった。その他にも市民クラブとして様々な活動が活発に行われていると聞く。もっともっとなじめば面白かっただろうと思うが、医者になりたての私にはその合唱団ですら結構厳しかった。
さて様々な場所につき、私の独断を述べてきた。もっと深く知れば楽しいことはよりたくさんあったことだろう。しかし割と短い期間によくここまで楽しんだものだと自負できるところもある。結局楽しんだ者勝ちであろう。
皆様もどうか、出掛けた土地、そして出会った人達と楽しく過ごしてみて欲しい。きっと意中の場所ではなくとも心を揺さぶられる体験が待っていることだろう。
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コメント
今でも人口が増え続けているから 住むのにさして不都合のない所なのでしょう ね。
12年いたら 大概の事は知っているでしょう。
昔 所沢の水道は地下水だったので美味かったが 賄い切れずに 今は利根川から引いているから すこぶる味が落ちた。天然のミネラルウオーターだったのに。
投稿 犬と猿 | 2008年3月30日 (日) 16時28分
犬と猿さん
水は武蔵野の大地の恵みだったのですね。残念ながら味わうことが出来ませんでした。
そうそう、できましたら航空公園の今を映すブログを再開していただけますよう切望致します。
投稿 クーデルムーデル | 2008年3月31日 (月) 12時19分