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2008年3月 3日 (月)

広島よいとこ

 護衛艦は一隻で200~250名の隊員を乗せている。それが8隻集まって護衛隊群を作る。その中に医務長は1名である。演習で数日から数ヶ月陸を離れたとき、身体に異常来した場合に初期対応するのが医務長とそれを補佐する看護スタッフである。看護スタッフは護衛艦隊の場合男性が担当する。自衛隊の中の看護学校を卒業したスタッフで中には救急救命士の資格を持つ者もいる。こう言えば聞こえは立派なことをしているようだが、実戦があるわけではないので、すべてが訓練であり、事故も本当に少ない。とするとありえるのは風邪と水虫と擦り傷切り傷の類ばかりである。あとは生活習慣病や性病の相談だろうか・・・そんな中に紛れている本当の疾患を見逃さないようにするのが医者の務めなのかもしれず、勤務中に腹部大動脈瘤の解離とか、虫垂炎、憩室炎、心房細動、慢性腎炎などなどいろいろと見つかる。本職である小児科医として生きることなど全くできるものではなく、自分も不満だが隊員自身もなんで小児科医が医務長なのだと思いながらの一年だったに違いない。しかしこれも命のままというシステムなのだから仕方のないことで、終わってみれば良い経験になったとしか言えない。なにより検査を施すことができず、理学所見のみで診断をつけていく訓練はそうそうできることではない。何事もプラスに考えられなければ、この経験も無駄に終わってしまうだけなのだ。

 そんなこんなで呉にいたころ、広島を梅雨前線に伴う集中豪雨が襲った。安佐北区が土砂崩れに見舞われた後、呉にも集中豪雨がやってきた。坂の多い呉に降った雨は鉄砲水となって坂を下り、幾人もの人が流された。海上自衛隊からも救援活動として隊員が人命救助に出掛けた。私は運ばれてくる人のケアのためにスタンバイしていたが、結局運ばれてきたのは亡くなった人だけで、私ではなく検死担当の方に廻って頂くほか無かった。自衛隊撤収の号令が掛かり、徒労感だけ抱き、家路に着いた。雨はとうに過ぎ、久しぶりの青空が少し赤く染まり出していた。呉越の坂を登る車はほとんどなかった。ところどころ水がしみ出して来ていたが、流される心配はないものだった。坂を下りたところに人だかりが出来ていた。見ると坂の一番下のわずか数メートルだけ冠水して通行不能になっていたのだ。その向こうは全くそういった状況ではなかったため私は迂回した。通りなれた細い路地を抜けていくつもりだった。それがいけなかった。最初は数センチだけタイヤが水溜まりに浸かっただけだった。角を曲がるととんでもなく水があふれ出してくるのが見えた。あわてて引き返したが、そのころには見る間に膝下まで水が来てしまった。あとホンの数メートル先には普通の道路が広がっていた。思い切ってそちらへハンドルを切り直した。気がついたら原付はハンドルまで水で埋まっていた。必死で足をばたつかせ、対岸の道路へ辿り着いた。恐ろしい・・・あれで溝にでもはまっていたら水没した医務長として名を残すことになっていたに違いない。

 ズクズクになった服装などどうでもよくなった。しばらく水のあふれ出す道路を眺めていたところ、栓をしていたものが飛ばされたのだろうか、急に水が引いてしまった。あわや浸水という難を逃れた人達が家から出てきた。なんにしても動き始めようと原付のスターターをひねった。掛かるはずもない。タンクもなにもかも水浸しだろう。その時なぜか原付をひっくり返したらどうなるかと思いついた。そうは言っても重たい原付を逆さまにしてみるとエンジンから泥水が出てきた。スターターをひねった。ブルルンっと音が鳴り、排気ガスが出てきた。ゆっくりだが走り始めたその原付は、いつもの道を数キロ走ってくれた。そしてあろうことか町のバイク屋の前でプスンとだけ言って動かなくなってしまった。冗談のようだが本当のことで、そのままバイク屋のあんちゃんに預けて分解掃除をしてもらった。数日で元通り走れるようになった時には本当に驚いた。いやはやメイドインジャパンは本当に凄いのだ。なにせその後数ヶ月は毎日私を乗せ数十キロ走り、医務長を終えた後も時々ではあるが計8年間動いてくれたのだから。

 私は呉にいる間医務長だけをしていたわけではない。艦艇は港から出たり入ったりで、陸にいるときには基本的に私は用無しとなる。その間広島の宇品にある県立病院で研修を受けたり、江田島にある自衛隊の病院で小児科医として外来を行っていた。特に県立病院は中四国では小児腎臓の中心的病院であり、部長にかわいがってもらったこともあって、勉強する機会を手にすることが出来た。魚が大好きな部長は、食べるのも釣るのも好きであった。私の住む漁港にも釣れるポイントがあり、そこを教えてあげたのもよかったのかもしれない。おかげで診療のコツも美味しい魚の店も先生から教わることができた。

 持ちつ持たれつだからというわけではなく、広島の人は誰しも世話好きに思う。島に渡っても海岸を歩いていても、声を掛けて来ては聞きもしないのにいろいろと教えてくれる。「わしの広島じゃけ、ええところじゃろう。」てなところだろう。瀬戸内の鯛も蛸もカサゴも牡蠣も最高だった。お好み焼き?それなら呉のじゅんちゃんに行かないと語れない。どこもここもそうだが、広島ではお好み焼きはおっちゃんかおばちゃんが一人で鉄板を抱えるように店を営んでいる。じゅんちゃんは世話好きなおばちゃんの店だった。薄くクレープのように生地を敷き、その上にキャベツの千切りをてんこ盛りする。イカテンを粉々に砕いてキャベツにまぶし、もやしをのせたら生地をそれにサッサッと二筋掛け、キャベツの周りへ渦を巻くように豚バラをグルグル敷き詰める。キャベツ生地をくるっと反転させて豚バラに火を通したら隣で焼きそばを作り、そこに生地&キャベツを乗せる。また隣へ今度は目玉焼きを敷き、目玉をぐじゅぐじゅに溶いたところに生地&キャベツ&やきそばを乗せる。コテで押しつぶして反転させ、半分に折っておたふくソースを掛けると出来上がりだ。小さなコテで食べないと怒られる。だけど小さい子供には無茶苦茶優しかった。まだやっていたらどこよりもまず行きたい店だ。

 おっと今日も長くなってしまった。広島は次でおしまい。何故かは次のお楽しみってことで(別にたいしたことはないけれど)。

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