お国自慢シリーズはもう結構と思われるかもしれないが、あと2カ所ほどお話ししておきたい場所がある。是非ともお付き合い願いたい。
私がこの町にやってくる直前に赴任していた地である。かの地の人間は
関西弁をしゃべるのにボケもツッコミもしない
ジメジメして内向的である
同じ県内の人に「冗談言わんといて下さい。舞鶴は京都やおへん。」
と言われてしまう引き揚げの地、舞鶴である。
舞鶴は鳥取と似たような土地柄である。冬に晴れ間はなく、透明度の高い海岸が北に続いている。人もとてもよく似ていると思うが言葉が関西人であるが故に激しい違和感を抱くことが多い。もちろん言葉も関西のイントネーションの上に舞鶴独特の方言が重なったものであるので、それと判れば違和感もなくなってくる。
位置としては京都府の日本海側で原発銀座と言われる若狭湾の裏側であり、古くは大陸からの表玄関であったところだ。その後第二次世界大戦で抑留されていた人達が引き揚げ船に乗って本土へ辿り着いた港がここである。かの『岸壁の母』の舞台は舞鶴なのだ。港の近くの山間に引き揚げ記念館があり、そこでは抑留者の声やそれを待つ人達の叫びが記されている。
舞鶴にはもっともっと古い歴史が存在している。安寿と厨子王という物語をご存じであろうか。その舞台も舞鶴で、安寿塚が海岸の近くに建てられ、今でも供養に訪れる人が後を絶たない。絵巻物になっている大江山の鬼退治も舞鶴が舞台だ。この大江山には伊勢神宮の元となった元伊勢神社がある。その深い山では八百万の神様の存在を感じずにはいられない。ここから今の伊勢神宮へと遷宮されていったのだ。それ故舞鶴人の秘められたプライドを想像するのはそれ程難しいことではない。
舞鶴から東へ数分走ると最近元気のよい小浜がある。以前記事にしたこともある神社とお寺が一緒になった神宮寺など大変珍しい歴史建造物も多い土地柄である。その神宮寺では今年もお水送りの行事が滞りなく行われたらしい。実際に小浜からは宗教や文化だけでなく、人も物資も都へ運ばれており、まだ保冷が出来なかった時代に鯖をへしこにして京都へ運んでいた。そのため鯖街道という道が京都へ続いていた。現在この道を利用する人は少ないが、歴史を感じる街道であることは間違いない。
西へ少し走ると天下の天橋立がある。私個人の意見では、ここよりむつ大湊の芦崎の方が上だとは思うが、天下の名勝と言われている。自分の股の間に頭を突っ込んで見晴るかす展望台も用意されており、是非一度観光されることをお薦めする。この天橋立の袂には『三人寄れば文殊の知恵』の文殊堂があり、その参道にはブリしゃぶを食べさせる橋立温泉宿が控えている。
南へは中国山地の深い山があるため、これまではなかなか出られなかった。ちょうど京阪神との中間に位置する丹波篠山が南の端というところであろうか。丹波篠山は舞鶴と違い山のものがとても豊富な土地だ。黒豆といわれる大豆はご存じの方も多いだろう。紫頭巾という品種の黒枝豆の味の深いことといったらない。
食べ物も豊富だ。果実類は山の迫った海岸ということであまり見掛けないが、海産物はほとんど鳥取と似通っており、宝庫と言ってよい。特筆すべきは春の珍味、巨大なトリガイであろう。普通の3倍はある肉厚のトリガイは、トリガイの常識を一変させる甘さと深みを味わわせてくれる。冬はブリしゃぶに間人蟹(たいざがに)だ。後者は日本海で獲れるズワイガニの中でも特に値の張る蟹で、食通をうならせるものらしい。残念ながら蟹にそれほどの高額を払う用意がなく、食べることなく終わってしまった。
それほど面白い土地ではあるが、高速道路が出来たため、神戸大阪が1時間圏内となってしまってからは過疎化が進んでいる。土地の人は京都を意識しているが、京都市内までは車でも電車でも2時間はかかる。そして冒頭でも紹介したが京都市内の人は舞鶴を京都だとは思っていない。舞鶴と聞いて医者がいなくなってしまった病院を思い出す方もいらっしゃるだろう。医療過疎も進んでいる大変厳しい町の一つなのだ。
しかし例のごとく私は舞鶴が嫌いではない。幼い子供達を育てるにはとても良い場所だと今でも思っている。福井との県境にある青葉山から見た若狭湾のきらめきは今でも忘れられないし、息子の通う幼稚園にホタルが踊り、あたりの川沿い一面に恋の点滅が広がった様は一生忘れることなど出来ない。
いつまでもそのままでいてほしい風景がそこにあるのだ。
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