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2008年2月21日 (木)

ねぶたこそ人生

 5年後に青森にやってきたのは研修医を終え2年限定勤務のためであった。

 この時は仕事で地元の人達としっかり触れ合った。医療の仲間も診る患者さんも地元の人達であった。週2回勉強に行った病院もそうだった。

 初めて救急診療の手伝いをしていたとき

「○△■」

と寝ながらつぶやく老人を拝見した。なんと言ったのか判らず、看護師さんの顔を見つめたところ

「先生、お腹が痛いとおっしゃってますよ。」

「・・・・・(それすらわからん)・・・・」

家に戻ってテレビをつけても、CMで何を叫んでいるのか聞き取れない。あぁもう!と叫んで窓を開けると、軽トラのスピーカーから聞こえてくる連呼する言葉が聞き取れない。とんでもないところに来てしまったと思った。幸い子供達やその両親の言葉は判る。そこから慣れ始め、子供達をつれてくる祖父母の言葉も少しずつ判るようになったのは半年経ったころだった。そのころには軽トラも

「いが~~いがいがいが~~~いが~(烏賊)」と連呼しており、CMも半分くらい判るようになった。地元の定食屋の親父とも仲良くなり、名物料理も頻繁に食べるようになった。ちょっとずつ外へ目が向き始めた頃、町内いたるところに木造の小屋があることに気付いた。尋ねるとねぶたの山車を作っているのだという。

 ねぶた祭りは夏祭りだ。8月の最初、独特のねぶた絵で彩られ、内側から光を灯した山車を引きながら跳ねるのだ。ねぶた絵師は祭りが終わるやいなや翌年のねぶた絵の構想を練り始める。2月には骨組みを作り始め、紙を貼り、色づけをしていく。手伝えばそれがどれほど難しいことか判る。一朝一夕に出来るものではない。しかし手伝えば距離は縮まる。とっつきにくかった人が、実はズーズー弁を逆手に人を笑わせるのが好きだったことに気付く。手作りは心を繋いだ証となり、跳ねる力となる。そして弾けたように跳ねるのだ。跳ねながら暗く冷たい冬がよぎり、また来るねぶたを思う。

 ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー

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