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2008年2月20日 (水)

青の旅行記 後編

 霊場としての恐山は全国でも有名だ。しかし恐山が霊の没するところ(鎮霊所)とすると仏ヶ浦という下北半島の西海岸は霊の発するところとして知る人ぞ知る霊場らしい。フェリーでもそのアナウンスがなされた。あまりおどろおどろしい感じはしなかったが、何故そう呼ばれるのか知りたい気持を抱きつつ、下北脇ノ沢に到着した。バスに乗り換え、軍港大湊を目指した。

 大湊はとんでもなく美しい白砂青松の港であった。北に恐山山系の釜臥山、南に芦崎という天橋立を思い出させる松の並ぶ白砂で囲まれた入り江で、夕日に照らされた姿は息を飲む美しさであった。灰色の自衛艦隊が異様(威容)を放ってはいたが、おそらくそれがなければ国内に比類無き港として賞されるべきと思われた。

 大湊で宿を探したが見つからず、下北一の繁華街であるむつ市田名部へ移動した。駅で尋ねるとバスで1時間ほど行った烏賊の町下風呂温泉で、津軽海峡の漁り火を見ながら湯に浸かるのを薦められた。町おこしのため烏賊レースを催している温泉町の夜は、人をほとんどみかけなかった。しかし漁り火で赤く染まった津軽海峡を見ながら入る温泉は確かに格別であった。

 翌日は早起きして恐山を歩いた。硫黄の臭いで包まれた霊場にはそこここで湯気が立ち上り、石が積まれた賽の河原では赤いかざぐるまが悲しく回っていた。霊場には美しい湖が乳白色がかった青い水をたたえていた。硫黄のために魚はもちろん藻の類もはえないその湖は、うっすらと釜臥山の影を映していた。

 下北半島を南下した。JR大湊線はわずか2両の単線で陸奥湾の海岸線に沿って進んだ。南へ行くにつれ、大きく見えてきた山があった。八甲田山である。正しくは8つの頂で構成された八甲田山系らしいが、陸奥湾の根元にどっしりと構える姿は雄々しく感じられた。大湊線は野辺地という駅が終点だった。そこで特急に乗り換えた。そこから仙台まではずっと山の中。仙台を過ぎると東京まで車窓から住宅が途切れることはなかった。

 ある予感があった。私はもう一度かの地を訪れることになるだろうと。

 それは5年後に実現することになる。

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コメント

確り読んでますから 先へお進み下さい な。
でも こういうのって コメントがし難いもんです。

投稿: 犬と猿 | 2008年2月20日 (水) 13時25分

犬と猿さん

 どうもすみません。長々と書きました。

 長く書いてしまうと本題を忘れるというか、もういいかななんて気分になってきました。う~~ん、でもお国自慢したい人もいらっしゃるでしょうからなんとかします。

投稿: クーデルムーデル | 2008年2月21日 (木) 08時49分

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