八戸を後にし、津軽海峡を目指した。
「上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中」
「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと 行き交う人が指を差す」
ご存じ『津軽海峡冬景色』であるが、青森に一歩足を踏み入れた時からこの歌が頭の中に鳴り響いていた。そのためもちろん行き先は竜飛岬と決めていた。棟方志功の定宿夏泊温泉を抜け、青森に到着したのは夜遅くのことだった。
泊まるところを探そうにも駅前にカプセルホテルなど見当たらない。真夏であるし、駅の待合室で夜を明かしてやろうと椅子の上で仮眠をとった。3時頃だっただろうか、駅員と掃除のおばちゃんたちがどやどやとやってきた。掃除のため駅を閉鎖するのだという。周りを見渡すと私と同じような旅行者が数人仮眠をとっていたようで、その声に皆起き、追い出される羽目となった。実は夏でも青森は寒い。駅前ロータリーに掲げられた温度掲示板は15℃を示していた。すぐ傍に地下道があったので、そこへ向かった。新聞を敷いてごろ寝したが、防寒具がヤッケ一つだとさすがに寒い。結局小一時間で我慢できなくなり、外を歩くことにした。見上げると空は白んできていた。まだ竜飛行きの列車はない。ならば青森の港で朝日を見てやろうと歩き始めた。出来たばかりという三角ビル(観光物産館アスパム)の向こうから昇る朝日は本当に美しかった。
津軽線を北上した。朝日にきらめく陸奥湾とそれを縁取る黒い砂浜はとても神秘的だった。砂浜に降り立ってみたいと思っていると、数分急行待ちをするとのアナウンスがあった。砂浜には夏の空気はなく、朝のひんやりとした、それでも海の香りを漂わせる空気があった。場所は違うが、東北の詩人石川啄木の『一握の砂』が心に浮かんだ。大という字を砂に書いた。もの悲しい気分だが、自分はそんな境遇にあらず、むしろ前を向いて進もうと力が湧いてきた。海の向こうに下北半島が見えた。そういえばイタコで有名な恐山が朝日の中にそびえ立っているのだとふと思った。竜飛を見たら下北にも行ってみたい、観光地図を広げると津軽線の蟹田で下北行きのフェリーが出ていることが判った。コースは決まった。まずは三厩で降り、バスに乗り換え、一路竜飛岬へ向かった。
階段国道を登ると、竜飛岬は霧の中だった。しかしとても強い風がすぐに霧を吹き飛ばしてくれた。風は自分が断崖絶壁の上にいることを教えてくれた。左眼下にはうねりの強い日本海が、右眼下には静かな津軽海峡が広がっていた。夏だというのに寒々しい雰囲気がそこには漂っていた(もしかするとそれは津軽海峡冬景色が流れる土産物屋があったからかもしれないが)。すぐそばに青函トンネル記念館の立て札が見えた。地下深くへ続くケーブルカーに乗ると、海底駅見学と坑道見学が出来た。一時間ほどかけて見学し、岬へ戻り昼食をとった。観光案内を見ると漁師のための神社が岬の下の離れ小島にあり、歩いて渡れるという。バス停の近くなのでそこを見て帰ろうと、まずは竜飛岬の遊歩道をくるりと廻り、階段国道を降りた。小さな漁港の向こうに離れ小島の神社があった。確かに渡れる。しかし結構足場は悪い。なんとか島のてっぺんに上がりあたりを見渡すと、なるほど津軽海峡がさっきよりより近く感じた。小島の神様に手を合わせ、バスに乗るべく元のバス停に戻った。ゆっくりしたせいで時計は15時を回っていた。これなら下北で宿無しとならないで住む時間には着くだろうと帰りのバスを待った。
10分ほど待った。田舎だから、遅れることもあるだろうと気にも留めなかった。さらに10分経過した。バス停には私の他だれも待つものはいなかった。時刻表を見た。15時台の時刻が記されていた。なお10分ほど経過したがバスは来なかった。もう一度時刻表を見た。記された15時台の時刻の横に小さな文字を発見した。季節限定夏時刻と書かれていた。「なお夏時刻は7月○日から8月○日まで」・・・・おい、3日前までじゃん・・・ここから三厩駅までバスで小一時間だぞ!どうすんねん!!竜飛岬にも民宿があっただろうが、その時は目に入らなかった。とにかく歩いた。漁港を抜けると畑すらない荒れ地の中の一本道だった。腹が立ってきた。竜飛の記念館は15時で終わるはずもない。旅行者を考えればこの時間にバスが来ないのはおかしいとブツブツ言いながらひたすらに歩いた。一時間歩いても風景は何も変わらなかった。進むも戻るも果てしなかった。
一台の軽トラが通り過ぎた。そうだ!ヒッチハイクだ。萎えそうになっていた心が少しだけ動き始めた。歩きながら車を待った。しかし軽トラの後は何もこなかった。さらに1時間ほど経過しただろうか。あたりが少し赤くなり始めた時だった。一台の小さな乗用車が後ろからやってきた。無我夢中で手を振った。通り過ぎた。膝に手を着き始めたころ、3,40メーター過ぎたところでその車は停まった。駆け出した。満面に笑みをたたえていただろう、車の窓を覗き込んだ。中では女性二人が言い争っていた。
「ちょっとどうして停まるのよ。」
「だって可哀相じゃない。こんなところ誰も通らないよ。」
「変な人だったらどうするのよ・・・あっ・・・」
私に気付いた二人は争いを止めた。「どうしようかと途方に暮れていました。ありがとうございます。」と告げると運転していた女性がどうぞと声を掛けてくれた。助手席の女性はふくれっつらをしたままだった。二人は埼玉の人だった。当時私も埼玉にいたので、会話はすぐに弾んだ。ただ助手席の人はほとんどしゃべらなかった。眼鏡におかっぱのチャーミングな女性は都内に通う1歳上のOLだった。30分ほどで蟹田に到着した。フェリーの出航までまだ1時間ほどあった。折角だからと彼女はその間、車から降りて桟橋の休憩所で話しをしながら待ってくれた。仕事のこと、旅行のこと、一緒に来た女性のこと、どれもこれも新鮮な話しで面白かった。私は相づちを打ちながら聞き役に徹していた。そして別れ際に所沢に住む医学生であることを告げた。フェリーのデッキから片手を振った。もう片方は彼女から手渡された連絡先を握りしめていた。
最近のコメント