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2007年5月30日 (水)

僻地に勤務して

 私は出身大学の特性上、全国各地の僻地と言われるところに勤務した。主たる勤務先は塀の中であり、特殊な任務をこなす人達とその家族を診てきた。医者は少なく、当然同じ診療科の医者は皆無で、誰に相談することも叶わない環境であった。その間腕が鈍ったり、独善に走ったり、医療の進歩に疎くならないようにするため週2日、暇を作って地域の中核病院へ研修に出掛けた。研修先では温かく迎えて頂き、研修医に毛の生えた若い私を指導してくれた。指導にあたってくれた小児科部長は腎臓を専門としており、学会活動も積極的にこなす人だったおかけで、いくら過疎地にいても勉強することを惜しんではいけないと刷り込まれた。

 あの頃の教えを忠実にこなしてきたことで、研修医のころ先輩医師からぼろっかすに言われてきた私も学会場でパネリスト・シンポジストとして壇上に上がる医師達と議論できるまでになり、また後輩への指導もできるようになったと自負している。ただあのまま過疎地のみで暮らしていたらどうだっただろう。

 過疎地に2年居たらその後大学に戻り、ブラッシュアップの機会を与えられた。その後また過疎地に行くと、次に有名な都立小児病院に国内留学として勤務できた。過疎地では前記した小児科部長や、学会ではもちろん臨床の場でも功績を残してきた先生に指導を受けることが出来たことは幸運だったという他ないであろう。

 過疎地にいても塀の中だけにいたわけではない。過疎地の病院はどこもアップアップの状態であったから、お金をもらうことなくボランティアで診療の手伝いをした。小児科の私だが過疎地ではお年寄りを診ないわけにはいかず、通じない方言を看護師さんたちに通訳してもらいながら診療した。それぞれに苦しみや痛みを抱えながら、それでも時折見せてくれる笑顔に心は安らいだ。地域の人達とのふれあいはそれはそれでやりがいのあるものであった。しかしそれだけを若い頃からずっと続けていたら今の私はない。

 高校時代の友人で同じように過疎地に勤務した医師がいる。彼も大学の特性上、研修医が終わると地元の僻地で勤務をすることになった。夏休みに帰省した際、彼の勤務先に出向き、話しをした。(以下方言丸出し)

「どうだいな、過疎地の先生は。」

「どうもこうもありゃせん。仕事はそれなりにあるだけどな、じいさんやばあさんの話しが長ごうてかなわんわいな。ひとつも進みゃ~せん。」

「そりゃ~しゃ~ないな。休みはもらえるん?」

「時々応援の先生が中央から来るけ~休めるけどな・・・当直は結構あるしな、なんでも来るけ~世話がかかるだが。」

「学会には行けるん?」

「それがな~行く気が起こらんだが。新しいことを勉強しようっていう気がここの医者にないけ~な~、それに染まりょ~るわいな。このまま続けとったらアホになりそうだ。」

「早いこと嫁さんもらわんといけんな~。」

「そんな若い子がどこにおるん?看護婦さんはみんなババァ~で、患者さんもみんな年寄りで、どこで誰を見つけるん?」

「困ったな・・・これからどうなるん。」

「数年ここにおったら大学に戻りたいって希望を出そうと思おとるだが。」

「戻れるん?」

「義務さえ終わったらな。」

 現在彼は大学に戻り、研究の道を歩いている。わずか二人だけの例ではあるが、僻地にずっといられるわけがないと二人とも思って勤務した。私たちの考えは間違っているだろうか。

 僻地は人がいないから僻地なのだ。僻地も都会と同じように平等に医療を受ける権利があるというが、本当にそうだろうか。僻地に好んで残っているわけではないという人もいるだろうが、その暮らしを楽しみ、不便さは甘んじて受けるという姿勢も僻地に住む人には求められるのではないか。彼らの利便性を考えて、医療者を僻地に縛り付ける権利が誰にあるのだろう。しかも都会ですら医療崩壊で医者がいない時代に・・・病院など公共機関がないから僻地・過疎になったのではない。働く場所がないからそうなったのである。働く場所を作り、若者を呼び戻すことができれば医療も戻ってくるだろう。

 残念だがDr.コトーが何百人といるわけではないのだから。

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コメント

林業に関わって生きてきたが 自分だけ一軒になってしまい 後の十数軒の人達は皆
林業から手を引き 他の地へ移住してしまった、という手記を読んだ。
日本の家屋は日本産の木材で建てる方が
理に敵っているのだが 安い輸入材が入ってくるので 山間部の家屋ですら輸入材で建てられるという。

ここらに問題がありはしないか というのである。

どんな過疎僻地でも 経済的に商品化しうる
資源があれば人が集まるのだろうが
市場がオープンになり 国内の目線だけでは
やっていけないのだから
過疎僻地に住む人達は その不便さも受け入れなくてはならないでしょう。
あらゆる面での不便さを行政に解決させるのは ムダが多過ぎます。

居住地の集約化も 必要になるでしょうね。

投稿: 犬と猿 | 2007年5月30日 (水) 16時00分

犬と猿さん

 先祖代々の土地を離れるわけにはいかないという人達の気持ちもわかります。行政サービスも滞るとなると情けなさと怒りが込み上げてくるのでしょう。

 しかし行政サービスがあるから人が集まるわけではありません。おっしゃるとおり資源の活用や職場の有無が過疎になるかどうかを決めます。

 ただ職場確保のために大企業の進出を義務づけたりすると、それはそれで別の問題を抱えることになります。今ある資源の活用を模索するほかないですね。

 その前に医療環境を整備などというのは絵空事でしかないと思います。

投稿: クーデルムーデル | 2007年5月31日 (木) 08時57分


『病院』という施設単位でだけでなく『病棟』という単位で十分『僻地感覚』を味わっております。

『これでいいのか?もっと他にいい方法はないのか?最新の治療・看護はどうなんだろうか?他の病院ではどうしているんだろう?』

・・・などという気持ちがどんどん薄れていくのを実感しつつ、そんな自分に発破をかけることに苦労している最近です。

投稿: ゆき | 2007年5月31日 (木) 13時53分

どんな場所にいても、国民は等しく平等になんてのは無理ですよ。でもお役人はそのあたりの感覚がおかしいみたいで、農家の人と馬ぐらいしか渡らない橋なのに、往復車線と舗道がついた立派なのを作ります。それが基準なんだそうで。
同じ発想で全てのサービスを展開しようとすることに無理があります。

投稿: やぶ | 2007年6月 1日 (金) 16時39分

ゆきさん

 この考え

>『これでいいのか?もっと他にいい方法はないのか?最新の治療・看護はどうなんだろうか?他の病院ではどうしているんだろう?』

 があるのとないのでは大違いですね。

 居ながら僻地になることのないよう頑張りましょう。

投稿: クーデルムーデル | 2007年6月 1日 (金) 16時58分

やぶ先生

 本当におっしゃるとおりですね。

 でも言っていることはまっとうに聞こえてしまいます。僻地の人も平等に医療を受ける権利がある!と。

 受ける権利はありますが、そこまで辿り着く時間まで平等はありえません。

投稿: クーデルムーデル | 2007年6月 1日 (金) 16時59分

こんばんは
クーデルムーデル先生

先生の体験、同様の経験を積んでいる私にも共感するものがあります。いなかに住み続けることは大変です。

>わずか二人だけの例ではあるが、僻地にずっといられるわけがないと二人とも思って勤務した。私たちの考えは間違っているだろうか。

間違ってはいないと思いますよ。義務があるから、支えられてきたというのが、日本の地域医療ではないかと思います。自ら進んで赴任される先生は、極僅かです。

>しかも都会ですら医療崩壊で医者がいない時代に・・・病院など公共機関がないから僻地・過疎になったのではない。

そうですね...。でも一部のお偉方は『小児科がないからこの町は寂れる』との間違った認識をされているヒトもいます。

そして、これは今後の地域医療をどのように支えていくか?に関わる言葉でもあると感じます。『地域を支えている中核病院でさえ、人員不足でニッチモサッチもいかない状態である。その状態の時に、僻地診療所にはなかなかヒトをだすことはできない。』ということは自明の理であるのですが....政治的な圧力は大きく、診療所派遣を減らし、病院勤務を増やすこともなかなかできないのですね...。(悲)

投稿: いなか小児科医 | 2007年6月 3日 (日) 22時43分

いなか小児科医さん

 コメントありがとうございます。

 本当に医者として生きていくのに難しい時代になってきましたね。勤務医たちが軒並み自分の子供を医者にしたくないと言っている状況ってやはり間違ってますよね。

 医者にとって良き時代が患者さんにとっても良き時代だったように思えてなりません。

投稿: クーデルムーデル | 2007年6月 3日 (日) 23時19分

こんにちわ(^_^)
ちょっと僻地とは、違う話になりますが、doraは発展途上国への医療ボランティアに何度か参加したことがあります。。
環境的にも、物資的にもとても劣悪ですが、どうしてそういう所に何度も足を運んだかというと、「自分が役にたっている」ということ以上に、患者さんが心から感謝してくれるのが分かるからです。。普段、日本では目にかかれない笑顔と感謝に出会います。。ある意味カルチャーショックでした。
そういった、「医療支援」に関わっている先生方の話を聞くと、やはりその笑顔が忘れられなくて、その世界に身を置いているとのことでした。。
 
今の日本の医療で僻地に医師がいつかないのは、そういった「笑顔」や「感謝」に出会えないからかもしれません。
doraは患者側にも大きな問題がある気がしてなりません。。
 
以前、こういった趣旨のことをエントリに書いたら、患者さんサイドからエライ攻撃を受けて難儀したこともあるくらいですから・・・

投稿: doradora | 2007年6月 5日 (火) 10時19分

doradoraさん

 そのあたりの問題はいなか小児科医さんのブログでいろいろと書かれていましたね。

http://swedenhouse-oita.cocolog-nifty.com/pediatrics/2007/05/post_08a6.html

 本当にやりがい一つで変わってくるものがあるということをもっと一般の人にも政治家にもわかってもらいたいです。

投稿: クーデルムーデル | 2007年6月 5日 (火) 12時43分

こんばんは。
私は医科ではなく歯科なのですが、
僻地医療に携わっています。
都会で生まれ育って学んで技術も習得して、
一昨年今の仕事を引き受けたとき、
正直こんなに地域格差があるのかと
カルチャーショックでした。
はじめのうちはがんばらなくちゃと
思ってましたが、
行政からの委託金で事業を行っているうえ、
財政難でそれも縮小傾向にあり、
そのくせ、医療を受ける権利は平等にと。
僻地の患者さんたちに、前にやってたことと
同じものを!ではなく、
「僻地であることを受け入れる」
にようやく気持ちが変化してきました。
仕方ないと思うことがたくさんあります。
私も3月には地元に帰るつもりで・・・
2~3年の約束だったから赴任したわけで、
都会を知ってしまっている自分は
ここにずっといることはできません。

投稿: nonnono | 2007年6月15日 (金) 02時00分

nonnonoさん

 コメントありがとうございます。また僻地でのお務めお疲れ様です。

 僻地であることを受け入れるということがマイナスに働いてしまうのではなくプラスに転じられれば良いのですが、なかなかうまくいきませんよね。僻地の生活や風習を理解&体得してから始まる医療もあるはずですが、そこまで溶け込もうとするとよそ者意識が働くこともあるでしょう。

 医療者を派遣すれば解決するという問題ではないことをもっとアピールしたいですね。

投稿: クーデルムーデル | 2007年6月15日 (金) 08時46分

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