僻地に勤務して
私は出身大学の特性上、全国各地の僻地と言われるところに勤務した。主たる勤務先は塀の中であり、特殊な任務をこなす人達とその家族を診てきた。医者は少なく、当然同じ診療科の医者は皆無で、誰に相談することも叶わない環境であった。その間腕が鈍ったり、独善に走ったり、医療の進歩に疎くならないようにするため週2日、暇を作って地域の中核病院へ研修に出掛けた。研修先では温かく迎えて頂き、研修医に毛の生えた若い私を指導してくれた。指導にあたってくれた小児科部長は腎臓を専門としており、学会活動も積極的にこなす人だったおかけで、いくら過疎地にいても勉強することを惜しんではいけないと刷り込まれた。
あの頃の教えを忠実にこなしてきたことで、研修医のころ先輩医師からぼろっかすに言われてきた私も学会場でパネリスト・シンポジストとして壇上に上がる医師達と議論できるまでになり、また後輩への指導もできるようになったと自負している。ただあのまま過疎地のみで暮らしていたらどうだっただろう。
過疎地に2年居たらその後大学に戻り、ブラッシュアップの機会を与えられた。その後また過疎地に行くと、次に有名な都立小児病院に国内留学として勤務できた。過疎地では前記した小児科部長や、学会ではもちろん臨床の場でも功績を残してきた先生に指導を受けることが出来たことは幸運だったという他ないであろう。
過疎地にいても塀の中だけにいたわけではない。過疎地の病院はどこもアップアップの状態であったから、お金をもらうことなくボランティアで診療の手伝いをした。小児科の私だが過疎地ではお年寄りを診ないわけにはいかず、通じない方言を看護師さんたちに通訳してもらいながら診療した。それぞれに苦しみや痛みを抱えながら、それでも時折見せてくれる笑顔に心は安らいだ。地域の人達とのふれあいはそれはそれでやりがいのあるものであった。しかしそれだけを若い頃からずっと続けていたら今の私はない。
高校時代の友人で同じように過疎地に勤務した医師がいる。彼も大学の特性上、研修医が終わると地元の僻地で勤務をすることになった。夏休みに帰省した際、彼の勤務先に出向き、話しをした。(以下方言丸出し)
「どうだいな、過疎地の先生は。」
「どうもこうもありゃせん。仕事はそれなりにあるだけどな、じいさんやばあさんの話しが長ごうてかなわんわいな。ひとつも進みゃ~せん。」
「そりゃ~しゃ~ないな。休みはもらえるん?」
「時々応援の先生が中央から来るけ~休めるけどな・・・当直は結構あるしな、なんでも来るけ~世話がかかるだが。」
「学会には行けるん?」
「それがな~行く気が起こらんだが。新しいことを勉強しようっていう気がここの医者にないけ~な~、それに染まりょ~るわいな。このまま続けとったらアホになりそうだ。」
「早いこと嫁さんもらわんといけんな~。」
「そんな若い子がどこにおるん?看護婦さんはみんなババァ~で、患者さんもみんな年寄りで、どこで誰を見つけるん?」
「困ったな・・・これからどうなるん。」
「数年ここにおったら大学に戻りたいって希望を出そうと思おとるだが。」
「戻れるん?」
「義務さえ終わったらな。」
現在彼は大学に戻り、研究の道を歩いている。わずか二人だけの例ではあるが、僻地にずっといられるわけがないと二人とも思って勤務した。私たちの考えは間違っているだろうか。
僻地は人がいないから僻地なのだ。僻地も都会と同じように平等に医療を受ける権利があるというが、本当にそうだろうか。僻地に好んで残っているわけではないという人もいるだろうが、その暮らしを楽しみ、不便さは甘んじて受けるという姿勢も僻地に住む人には求められるのではないか。彼らの利便性を考えて、医療者を僻地に縛り付ける権利が誰にあるのだろう。しかも都会ですら医療崩壊で医者がいない時代に・・・病院など公共機関がないから僻地・過疎になったのではない。働く場所がないからそうなったのである。働く場所を作り、若者を呼び戻すことができれば医療も戻ってくるだろう。
残念だがDr.コトーが何百人といるわけではないのだから。
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