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2007年5月30日 (水)

僻地に勤務して

 私は出身大学の特性上、全国各地の僻地と言われるところに勤務した。主たる勤務先は塀の中であり、特殊な任務をこなす人達とその家族を診てきた。医者は少なく、当然同じ診療科の医者は皆無で、誰に相談することも叶わない環境であった。その間腕が鈍ったり、独善に走ったり、医療の進歩に疎くならないようにするため週2日、暇を作って地域の中核病院へ研修に出掛けた。研修先では温かく迎えて頂き、研修医に毛の生えた若い私を指導してくれた。指導にあたってくれた小児科部長は腎臓を専門としており、学会活動も積極的にこなす人だったおかけで、いくら過疎地にいても勉強することを惜しんではいけないと刷り込まれた。

 あの頃の教えを忠実にこなしてきたことで、研修医のころ先輩医師からぼろっかすに言われてきた私も学会場でパネリスト・シンポジストとして壇上に上がる医師達と議論できるまでになり、また後輩への指導もできるようになったと自負している。ただあのまま過疎地のみで暮らしていたらどうだっただろう。

 過疎地に2年居たらその後大学に戻り、ブラッシュアップの機会を与えられた。その後また過疎地に行くと、次に有名な都立小児病院に国内留学として勤務できた。過疎地では前記した小児科部長や、学会ではもちろん臨床の場でも功績を残してきた先生に指導を受けることが出来たことは幸運だったという他ないであろう。

 過疎地にいても塀の中だけにいたわけではない。過疎地の病院はどこもアップアップの状態であったから、お金をもらうことなくボランティアで診療の手伝いをした。小児科の私だが過疎地ではお年寄りを診ないわけにはいかず、通じない方言を看護師さんたちに通訳してもらいながら診療した。それぞれに苦しみや痛みを抱えながら、それでも時折見せてくれる笑顔に心は安らいだ。地域の人達とのふれあいはそれはそれでやりがいのあるものであった。しかしそれだけを若い頃からずっと続けていたら今の私はない。

 高校時代の友人で同じように過疎地に勤務した医師がいる。彼も大学の特性上、研修医が終わると地元の僻地で勤務をすることになった。夏休みに帰省した際、彼の勤務先に出向き、話しをした。(以下方言丸出し)

「どうだいな、過疎地の先生は。」

「どうもこうもありゃせん。仕事はそれなりにあるだけどな、じいさんやばあさんの話しが長ごうてかなわんわいな。ひとつも進みゃ~せん。」

「そりゃ~しゃ~ないな。休みはもらえるん?」

「時々応援の先生が中央から来るけ~休めるけどな・・・当直は結構あるしな、なんでも来るけ~世話がかかるだが。」

「学会には行けるん?」

「それがな~行く気が起こらんだが。新しいことを勉強しようっていう気がここの医者にないけ~な~、それに染まりょ~るわいな。このまま続けとったらアホになりそうだ。」

「早いこと嫁さんもらわんといけんな~。」

「そんな若い子がどこにおるん?看護婦さんはみんなババァ~で、患者さんもみんな年寄りで、どこで誰を見つけるん?」

「困ったな・・・これからどうなるん。」

「数年ここにおったら大学に戻りたいって希望を出そうと思おとるだが。」

「戻れるん?」

「義務さえ終わったらな。」

 現在彼は大学に戻り、研究の道を歩いている。わずか二人だけの例ではあるが、僻地にずっといられるわけがないと二人とも思って勤務した。私たちの考えは間違っているだろうか。

 僻地は人がいないから僻地なのだ。僻地も都会と同じように平等に医療を受ける権利があるというが、本当にそうだろうか。僻地に好んで残っているわけではないという人もいるだろうが、その暮らしを楽しみ、不便さは甘んじて受けるという姿勢も僻地に住む人には求められるのではないか。彼らの利便性を考えて、医療者を僻地に縛り付ける権利が誰にあるのだろう。しかも都会ですら医療崩壊で医者がいない時代に・・・病院など公共機関がないから僻地・過疎になったのではない。働く場所がないからそうなったのである。働く場所を作り、若者を呼び戻すことができれば医療も戻ってくるだろう。

 残念だがDr.コトーが何百人といるわけではないのだから。

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2007年5月28日 (月)

鉛色の空

 寒い朝だった

 北からの冷たい風に

 自転車は容赦なく押し戻された

 鉛色の空と

 土色の湖面は

 週の始まりの一日を

 重く厳しいものに変えてしまった

Photo_12

 

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2007年5月25日 (金)

高校仲間との語らい

高校仲間との語らい
同級生と東京で飲んだ。変わらない友達はやっぱり何にも代えがたい。

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2007年5月24日 (木)

チャンピオンズリーグ

 早朝のフジテレビでは、ヨーロッパクラブチャンピオンを決するチャンピオンズリーグ決勝が繰り広げられた。イングランドのリバプール対イタリアのACミラン戦であったが、この両者は2年前に同じく決勝の場面で前半3-0も結局3-3のドローの末、PK戦でリバプールが勝つという大激戦を演じている。今回もそれぞれに強豪をなぎ倒して進んできたこともあって、好勝負が予想されていた。

 中盤は五分五分だった。どちらもディフェンシブハーフのポジショニングや出足がよいため、攻撃の形が作れない。しかしリバプールの右サイドアタッカーが頑張り、徐々に押し込み始めた。深くミラン陣内に突入し、センターリングを何度か上げる。だがミランの強固なセンターバックはことごとくはね返して見せた。

 ここで数回でよいから中央突破をリバプールは試みるべきだった。結局惜しいところまでいくのだが、はね返されてばかりで組みやすさをミランDFに抱かせてしまった。そのうちミランのカカがエリア手前でFKを獲得する。ピルロが狙ったFKは飛び出したフィリッポ・インザーキの身体に当たりそのままゴールインしてしまった。

 報道によるとあれはハンドだったとイングランド側が抗議しているようだが、どうみてもハンドと言えるような故意に腕を使ったのでも、腕で方向が変わったのでもなく、身体に当たってゴールインしたとしか見えなかった。言いがかりはみっともないだろう・・・

 リバプールの動きそのものはクロスのみを選択しているという点で疑問を感じたが、それでも試合を支配していたのはリバプールであり、後半に向けどう修正するべきか混乱したに違いない。そうこうするうちにカカのスルーパスがインザーキに通り、2点目を決められてしまう。万事休す。意地で1点返すのがやっと。アディショナルタイムが少々短縮されたように思ったが、結局ミランの勝ちで終わった。

 準決勝のミラン対マンチェスターユナイテッド戦やリバプール対チェルシー戦と比べれば凡戦だったと言えるかもしれない。しかしハーフ陣の動きがよく、非常に締まった好試合だったのは間違いない。少なくとも浦和サポーターでありながらもアジアチャンピオンズリーグ予選の浦和対シドニーよりよほどワクワクした。

 こういう試合がリアルタイムで見られるようになって本当にうれしい。通常放送枠で世界最高の試合が観られる時代なのだ。だからこそクラブチャンピオンを選ぶ大会に開催枠ということで日本が出てしまうことは許し難い。きっちりアジアを征して出ないと、笑い者になるだけであろう。

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2007年5月23日 (水)

自転車共存

 このところ暴走自転車による事故をきっかけに自転車の交通ルール見直しが叫ばれている。このブログでも時々自転車の危険性やマナーの悪さについて述べてきたが、報道がどうも自転車=悪or 迷惑者に傾きつつあるようなので、ちゃんと整理したい。

 自転車はとても便利な乗り物である。補助輪も含めれば2才から年寄りまで免許もなく、自分の足で歩くよりも速く、快適に移動できる手段である。しかし体力のある者が性能の良い自転車を運転すれば凶器となるほどのスピードを出すことが可能である。この多様性が自転車をルールにはめ込むことの難しさの原因となっている。

 まずは走る場所の問題を考えてみる。一般道路を走行すると自動車の運転者側からすると自転車は鬱陶しい存在である。スピードは遅く、不安定で、全方向に注意を向けていると思えない運転をするように感じる。できるだけ早く横をすり抜けていきたい衝動に駆られるだろう。一方自転車側は排気ガスを吹き付け、威圧感丸出しで走り去る自動車に年中腹を立てている。追い越し禁止区域でも自転車は平気で追い越され、右折車を回避し前進するために路側帯に侵入してくる車に幅寄せされる。歩道を走っても凹凸がすさまじくまともに走れない。おそらく年寄りが歩道を走ったらその凹凸にハンドルを取られて転倒するだろう。まともに走っていても横道から車が顔を出してくる。歩道の手前で停止する車は2割ほどしかいない。ほとんどがノンストップで歩道に頭を突っ込んでくる。これを自転車は停止して待たなくてはならないのか?それとも避けるために車道に出るのが筋なのか??

 歩道は歩行者優先の道路である。歩行者に迷惑がかかるなら車道を走ろうと考える。すると車道は俺の道路だと車が肩を怒らせて猛スピードで走り去るのだ。そこで自転車専用レーンを作ろうという話しがやっと現実味を帯びてきた。遅すぎるが前進については素直に喜びたい。

 もう一つの問題はマナーである。スピードの出し過ぎ、無灯火、二人乗り、信号無視、ヘルメット無着用などなどあげたらキリがない。無灯火は老若男女すべてにおいて7割がこれにあたる。スピードの出し過ぎ、二人乗りは若者の専売特許に近いが、信号無視やヘルメット無着用は当たり前になっている。これを取り締まろうという動きがあるようだが、これについてはひと言言いたい。

「自転車だけでなく歩行者から取り締まれ!」と。

 問題なのは自転車ではなく、自転車に乗る人間なのだ。その人間が歩行者としてルールを無視していれば自転車に乗った途端にルールを守るとは思えない。そしてそれは自動車の運転にも当てはまるのだ。赤信号を車が来ていないから渡って良いなど誰が決めたのか?それが良くてなぜ自動車や自転車を責める権利があるのか?

 警察にお願いしたいのは取り締まりや罰則の強化だけでなく、子供達への啓蒙だ。私は小学生の時に警察官に自転車運転のマナー指導を受けたことを良く覚えている。そしてその後、自転車競技会(八の字走行、30センチ板上走行など)に参加し、学校代表として他校の児童と競技したことも覚えている。そうすることで自転車の正しい乗り方を覚え、皆に広めることも可能となるのである。これは本当に大切なことなので是非お願いしたい。

 自転車のマナーの悪さはそのまま日本人の素行の悪さを表していると私は思う。皆が襟を正すという気持を持たない限り良くなることはないだろう。皆が快適に暮らせるために自分が何をすべきか今一度考えるべきではないか。

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2007年5月22日 (火)

学校検尿の季節

 五月は学校検尿の季節である。

 小学校に上がると毎年この季節に腎疾患や代謝疾患の早期発見&治療を目的に国を挙げて検尿が行われるのである。推進派の医師たちはこれにより透析へ至る腎疾患患児を減らすことができていると豪語している。なるほど早期発見には役に立っていないこともない。しかしその先はどうも心許ない。

 腎疾患を専門にしている小児科医は少ない。どれほどの蛋白尿やどれほどの血尿を問題視し、どれくらいの頻度でどういった検査をしていくべきかを判っている小児科医がどれほどいるだろう。もちろん腎臓の教科書レベルでこういったことは記述されているし、さして難しいことではないのだが。

 例えば起立性蛋白尿という概念があるが、これ一つとっても即診断のつく場合とそうはいかない場合がある。専門医である私も起立性蛋白尿のある隠れた腎炎の存在は長い時間をかけて経過観察して初めて診断に至ることができるものだ。他にも専門ならではの匙加減がある。そりゃそうだろう、それが専門家というものだ。

 しかし学校検尿のシステムはそこをヨシとしていない。地域の中核病院に腎臓専門医が居ようが居まいがそこへ行かなくては行政の補助を受けられない。専門医のいる別の地域の病院へ検尿異常を指摘されたと言って受診した場合、患者さんは別途料金をとられることになるのだ。おまけに地域の中核病院で治療もすべて出来るかというとそれこそ無理で、そこから紹介を経て専門医のところへ送られてくることになるのだ。何を目的にしているのか理解に苦しむばかりである。

 小児科医とひとくくりにしても子供の病気は様々である。それこそ臓器別に専門家が必要な科目であることに異論のある医師はいないだろう。ただその性格上かかりつけ医としての役割を担うこともしばしばである。そういったときに自分の専門外の細かなところにまで目を配ることが出来るだろうか。そのためのマニュアル本も数多く出版されているが、すなわちそれはそうすることが難しいから、難しいと思う人が多いから作られているということなのではないか。

 ごちゃごちゃと述べてきたが、結局は長くフォローアップしている患者さんたちから「専門だから安心ですが、ここへ来たら別料金を取られるっていうのはなんとかなりませんかね。」と笑って小言を言われるので憂さ晴らしをしたということなのだ。今日もどっさりと検尿異常の子供達がやってくる・・・・

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2007年5月21日 (月)

小さき命なれど

 印旛沼の自転車道を走っていたところ

 前方数メートルに小さな塊が動くのを見つけた。

 降りてよく見ると亀であった。

 しかしミドリガメのあの愛嬌のある顔ではなく、

 口をへの字に結んだ物騒な顔つきであった。

 甲羅はまだ3センチほどしかない小さき命なれど

 これはワニガメの一種のカミツキガメだと判断し、

 公園事務所に届けた。

 事務所の方はまたかという顔でその亀をのぞき込んだ。

 今年は特に多いとのこと。

 駆除が進んでいないと言うことだ・・・・

Wao_kamitsuki

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2007年5月18日 (金)

反復性耳下腺炎

 中学二年生の女の子。連休後半に両頬が腫れて近医を受診したところおたふくと診断され、腫脹が治まるまで学校へ行ってはいけないと言われた。このとき腫脹は5日で治まり、発熱も最初の数日のみであった。再び11日から右耳下腺部が痛み、少しずつ腫れてきたため14日に当院を受診した。

 診ると確かに右の耳下腺が腫脹していた。圧痛もある。しかし左はなんともなかった。おたふくであれば一生に一度しか罹らない。それならばこれは何か?超音波で確認することにした。すると腫脹した耳下腺の内部は大小様々の小さな円形のlow echoic areaを多数認めた。典型的な反復性耳下腺炎の像である。

 実はこの反復性耳下腺炎は内科領域ではそうでないかもしれないが、小児科領域では鑑別に入れている医師は少ない。流行は通年となり、いつでもある程度のおたふく(mumps virusによる流行性耳下腺炎)を認めるため、耳下腺の腫脹を確認するとすぐにおたふくですと言い切ってしまうのである。しかしおたふくは一度しか罹らない。二度以上罹るのは絶対におかしい。どれかが間違った診断をしているのだ。

 この反復性耳下腺炎はエコーで見慣れてしまうと容易に診断できる。ただ何のウイルスかと問われても判らない。放置しておくしかなく、化膿性か否かを鑑別に入れ、化膿性ならば抗生物質を使わなくてはならない。もっとも化膿性ならば上記以外のエコー所見も現れてくるので、これも診断可能である。

 ちなみにこの子はすでにmumpsの抗体価IgGを獲得しており、IgMは陰性であった。つまり連休中の耳下腺腫脹もおたふくではなかった可能性が大である。ちょっとエコーをあてていれば、連休中の外出禁止も必要なかったのに・・・

 

 

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2007年5月16日 (水)

今朝の印旛沼

緑が勢いを増し

天へ天へと葉を伸ばす

茂みは深く広がり

釣り人の影を隠す

よしきりのさえずりや

きじの掛け声も

沼のそこここでこだまする

07516

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2007年5月15日 (火)

この先

 憲法改正の手続きのための国民投票法案が成立した。様々な意見があろうが、改正にはどういう手順が必要かを決めておくというのは反対すべき問題ではないと思っている。それより疑問に思うのは民主党の会見である。生活が厳しいこの状況でもっと他に議論すべきことがあるだろうという物言いであるが、これを日本国民の何%が実際にその通りと思うのだろうか。

 巷には食料も電化製品もあふれている。テレビや洗濯機、冷蔵庫、さらにはエアコンがない家庭を探す方が困難ではなかろうか。贅沢をあげればきりがないが、ささやかに、つつましやかに生きようと思えばそれは叶う日本であろう。平均寿命はもとより、衛生環境も各種サービスでも世界のトップクラス。これで生活が厳しいなどと言えば、世界の貧困国から大ブーイングを浴びるのではないか。

 政治は生活だと言うが、大衆に媚びているだけでは生活を安定させることなどできないだろう。10年先、いや数十年先を見据えて国民の生活を安定させるのが政治であるはずだ。医療や福祉の問題などを争点の第一候補にあげるべきではない。なぜならそれらは国家の根幹をなすものではなく、財源が確保できなければまず真っ先に切り捨てられる運命にあるものだからだ。まずは国家が存続できうるかどうかが問われなければならない。そのためには食料とエネルギーをどうするかであろう。どちらも国内でまかなえる状況ではない。とするとそれをどう安定調達するのかが政治の要となろう。

 今の世界を見渡せば、先進国に以前の勢いはなく、発展途上国がどうなっていくのかで世界が変わるという見方ができるであろう。その中で正に今空前の発展に湧いているのが、中国・インド・ベトナムであることは周知の事実である。つまりアジアの変化が日本の将来を左右すると言って過言ではない。

 とりわけ中国の発展はめざましく、特にオリンピックや万博を控え、不動産を中心に急峻な右肩上がりの発展を遂げている。この状況をバブルと表現する人も多い。そして2011年の上海万博以降でバブルは弾けるだろうという予想を立てているらしい。もしかしたら2018年のサッカーワールドカップが中国開催となればそこまで長引かせることが出来るかもしれないが、それでも中国の発展が停滞期になった時を懸念する声が高まっているのだ。

 内政が心許なくなると国民の目を外に向けようとするのは世界の常識だ。中国が外を向くとすれば、台湾、北朝鮮、日本、インド、ベトナムといった国境を接する国々に対してであろう。特に台湾は独立を企てる危険分子に相違ない。停滞し、バブルが弾けた場合に最もきつく締め付けなくてはならないのは台湾の独立阻止であろうことは想像に難くない。その時アメリカは台湾の味方をすると既に表明している。アメリカが力を貸せと言ってきたら日本はどうするのか。また台湾が防衛のため力を貸してくれと頼んできたらどうするのか。そこを真剣に議論しなくてはならない。台湾に中国海軍が常駐するとなると東アジア軍事バランスは崩れる。アメリカの睨みが利かなくなりフィリピン・インドネシア・マレーシア・シンガポールなど日本のシーレーンが脅かされることになる。傍観者でいて良いことは一つもない。中国に味方しても相手がそれを義と感じることはないであろう。ならば台湾かというと中国と戦争することになってしまう。

 中国が暴力に打って出ないように図る方法は、周りを囲むことだけだ。そのために日本はオーストラリアと同盟を結び、インドとの関係を強化しているのだ。もちろん東アジアに睨みを利かせるアメリカ軍を絶対に撤退させてはならず、日本の国益のため沖縄ないしはグアムにアメリカ軍の大部隊が必要なのだ。その上で、同盟国として守ってもらうだけではなく、自らの汗を流すため自国の軍が動きやすい環境を整備しなくてはならない。現行憲法ではそれは無理だ。改正のできる手続きを放ったらかしにしていて良いわけがない。

 政治判断として憲法を現世界情勢に合わせたものに改正することが第一義にあげられなければならない理由はこう言ったことにあると考える。もし国のためにとか、国を存続させるためにという言葉が気に入らないという人がいたら、自分の生活をよく考えてもらいたい。水も電気もガスも、歩く道も食料もすべて日本という国あってのことであるということを。もし日本が中国の一部になったら、おそらくそれらすべてが満足に与えられることなどないであろう。そういうこと全部をひっくるめて考えるのが政治ではないか。

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2007年5月14日 (月)

医療者側からの医療問題総括

 時々ROMっているブログで面白い記事が載っていたので紹介する。

 大学教員のつぶやき語録というブログにおいて、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』のパロディーで、医療者側からの医療問題を総括していた。なるほどと思うところが多いので、ここに載せることにする。

オンコールにも負けず、不法労働にも負けず

日直にも当直にも負けぬ丈夫な体を持ち

欲はなく、決して怒らず、いつも寡黙に仕事をしている

一日にカップラーメン3杯とコーヒーと少しの菓子を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずによく診察し、治療し、手術し、そして研究し

旧病棟の廊下の奥の小さな汚い当直室にいて

東棟に割箸の刺さった子供あれば発見できたはずと訴えられ

西棟に癒着胎盤の母あれば止血できたはずと逮捕され

南棟に外傷で死にそうな人あれば心嚢穿刺できたはずと罵倒され

北棟に痙攣の妊婦がおればCTすれば助かったとこき下ろされ

教授命令には涙を流し、徹夜明けはおろおろ歩き、みんなに税金泥棒と呼ばれ

ほめられもせず、感謝もされず、そういうものに私はなりたくない

 私の現実とは少し違うので、一般の医療者の気持ちとしか言えないが、本当にうまく表現していると思う。

 幸いにも私はやりがいという意味で恵まれた状況にある。つくづく私は今幸せな時を過ごしているものだと患者さん、そしてこの医療環境に感謝したいところである。

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2007年5月11日 (金)

最後のTulip

 Tulipと言っても花ではない。一昨日ふとテレビをつけると財津和夫さん達Tulipのメンバーが映っていたのだ。自分たちがTulipとして活動できる最後だと判断したとのこと。お疲れ様、ありがとうという言葉をテレビに向かって呟いた。

 最も多感だった中学時代に私の心を揺すぶったのはニューミュージックと言われる音楽だった。Tulip, Off Courseはもちろん、荒井由美, Alice, 松山千春、さだまさし、中島みゆきなどなど・・・そして時代を遡るようにフォークを聴き、彼らが手本にしていた洋楽を聴くようになった。

 彼らのコピーがしたいとギターも手にした。以来20数年、ギターは私の友達だ。彼らの音楽が流行る時代は終わったけれど、つぶやき・語りかける音楽が身に染みついていて、それを止めることなんてできなかった。その時の気持を表現する歌を歌い、そして自作の歌で友に語りかけることもあった。

 大学時代には先輩から「生ギター一本で歌う音楽なんてこれから流行る可能性なんてあるのか?」と言われたこともあった。「音楽に時代の流行り廃りはあっても、心に訴えかけるものはいつも変わることなどないでしょう。」と答えた。その後先輩はギターを練習するようになったのだが・・・

 Tulipのサウンドは生ギター一本のそれではない。しかし歌詞が全部聞き取れない昨今の流行歌と違って、ひと言ひと言を大事に紡いでいる。それがいい。まぁ、おっさんの証明だから仕方がないが、それがいいのだ。

 Oh, blue sky, blue sky, この空の明るさよ

 何故僕の この悲しみ 映してはくれない ~Blue Sky~

 It's rain train 雨降る中を

 It's rain train ただ汽車は走る

 It's rain train 今この僕に

 It's rain train 恋はできない ~悲しきレイントレイン~

 

 Tulipのサウンドで聴いてもよいけれど、自分の生ギターで歌いかけると味はもっと深くなるように思える、そんな曲だ。(自分で聴く分にはですよ、もちろん。他人にとってという意味ではありません。)

 それにしても財津和夫さん、年を取ったな・・・・・

 

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2007年5月10日 (木)

総合診療

 医学教育が臓器別専門家育成を目指してきたことは周知の事実であろう。高度先進的医療を行う上では専門分化は欠かせず、その道のスペシャリストが養成され、大変な功績を挙げてきた。

 その反動とも言うべきであろうか、全人的に患者さんを判断し、しかるべき処置を行い、必要であれば専門家へ紹介する総合診療を行う医者が求められているようだ。かかりつけ医とか家庭医とかgeneral practitionerなどと呼ばれる彼らを持ちましょうと政府が指導し、患者さんもそれを望んでいるとのことである。裏に潜むアメリカ医療制度と外資保険屋の謀略が見え隠れするので多分にうさんくさいのではあるが、理屈としては理解できなくもない。

 いつでも気軽に相談できる医者がいれば心強いというのは当たり前であろう。それはどんな事柄にも当てはまる。信頼できる八百屋・魚屋がいれば心強いし、フィナンシャルプランナーもいた方が老後が安心ということも言えるだろう。世の中どこを向いても情報があふれ、自分で取捨選択するのが難しいのでお抱え専門家がいればそれに越したことはない。

 医者側も総合診療という言葉には大いに興味を抱いている。若い医者は特にgeneralistという言葉に憧れ、なんでも診られる医者になりたいと思うものである。しかしすべてにおいて一流を目指せるほど現代医療は甘くはない。結局その道のプロの言葉を遮るだけの力がないことに愕然とし、総合診療を諦め専門家への道へ進むか、なんとなく総合診療を続けるかということになる。看取るという行為が自然発生するのであれば、総合臨床医も悪くないかもしれない。(もちろん本気で頑張る人もいるだろうが。)しかし今はなんとか最高の医療を施してほしいと大多数が願っている時代である。そこに総合臨床医の出番はない。患者の振り分けだけで満足できるような医者は数えるほどしかいないのだ。

 しかもどれだけ努力しても結果が悪ければ訴えられてしまう時代である。専門的知識と技量の有無が問われ、総合臨床医といえども専門家としての技量が要求されている。それはハッキリ言って出来ない相談だ。非常に優秀な総合臨床医でも専門家からすれば、こうした方が良かったと言われるテクニックが必ずあるものだ。それが現代の高度に発展した医療なのだ。

 それよりも一流の専門家を見て欲しい。彼らの努力は並大抵の事ではない。その努力により自分の専門分野は当然だが、それに付随する様々な事象を的確に判断する技術も手に入れる事になる。彼らは総合診療を目指した医者より数段高いところで総合的に判断ができる医術を身につけているものだ。そして謙虚さも持ち合わせているため、専門家へのコンサルトを惜しむ事は無い。

 おそらくこれを総合診療を目指すないしはそれをなりわいにしている医者が読めば、こういった考えの輩がいるから総合臨床医の地位がいつまでたってもあがらないのだと憤慨する事であろう。確かにこういったことは医者が決めつける事ではない。患者さんが気持ちのよい方を選べばよい。ただ患者さんも間違ってほしくないのは、病気に対する不安など話を聞いてくれる医者が欲しいのであれば、それイコール総合診療ではなく、心療内科へ行くべきなのだ。病気についての説明や治療の説明を懇切丁寧にすることはどの医者にも求められるべきものではあるが、日常生活の不安などを延々30分以上に渡って聞いていられる医者は日本にはいない。唯一心療内科のみこれが可能である。

 ということで総合診療は理想的ではあるが、現実的ではない机上の空論であると私は思うのである。もっとも小児科医は皆generalistを夢見てなったに相違なく、今も子供の出生から成長発達、社会人へ巣立っていくところまで楽しみながらフォローアップを続けている。しかし私は後輩達に小児科医であっても臓器専門家への道を薦めていることも事実なのである。

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2007年5月 8日 (火)

星空の賑わい

 暑くなった。夜風にあたろうとベランダに出ると、昼間の暑さが嘘のように涼しい風が吹き抜けてゆく。

 夜8時の空は南の空高く、獅子座のレグルスの傍に土星が瞬き、西の空には金星がまぶしい輝きを放っていた。

 こんな日は愛機タカハシ製10cm屈折赤道儀望遠鏡を持ち出して、星空散歩を楽しむ。シーリングが今ひとつだが、土星の輪がくっきりと浮かび上がっていた。子どもたちが歓声を上げる。おいおい、もう夜遅いから騒ぐのはやめなさい・・・

 もし今月の空に興味があれば、このサイトをどうぞ。

 

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2007年5月 5日 (土)

子供の日

子供の日
風が強く、鯉も力強く泳いでます。

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2007年5月 3日 (木)

公園にて

公園にて
これ、得意だったな。リレーのスターだった。走るのはからっきしだったけどね。

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2007年5月 2日 (水)

フラストレーション

 このところ雨続きで自転車を使えない。

 やっと雨が上がったとなっても飲み会が入っていると飲酒運転になってしまうし、遠方での会合があると自転車で行くわけにもいかず、かといって遠方からまた病院に戻ってくるのも億劫で、結局その日も乗られず終い。

 フラストレーションがたまるのも無理はない。

 今朝は一瞬晴れ間がのぞいたが、すぐに黒い雲が空を覆い始めた。午後からは天気もよくなるという報道だったので、雨が降る前にと急いで出掛けた。数分して雨粒が落ち始め、しだいに強くなったが引き返すつもりは毛頭なく、病院へ急いだ。着くやいなや激しい本降りになったが、間一髪といったところか。それでも急いだせいか、それとも昨夜の酒が残っていたか頭が痛くなってしまった。

 昨日は先輩に呼び出されて池尻大橋たもとの『つくしの子』へ出掛けた。電車を乗り継ぎ、おそよ90分ほどで到着し、旧知の先輩と杯をかわした。懐かしさと酒の旨味ですぐに顔がほころんでしまった。

 先輩は諸般の事情で今の勤務を辞し、夏から新しいところで仕事をしたいと考えているとのこと。まだ行き先は見つかっていないが、条件にあったところを探しているとのこと。家庭の事情など丁度丸く収まるところが見つかればよいのであるが、どうだろうか。そんな中、勤務先に来ている研修医の話になった。失敗談はそれぞれにあるものだが、それよりもいろんなことに無関心なのが気になるとのことであった。

 研修医は全科目をローテートするので、自分の目指す科目以外では興味からもこれからの必要性からもやや手を抜き加減になってしまう。本来あってはならないことであるし、一般の方からするとそんなやつは許せないと思うことであろうが、わずか1,2ヶ月で技量を習得できるはずもなく、技量が伴わなければ興味をもって診療にあたることなどできないわけで、全科ローテートで全科できるようになるなど机上の空論でしかないこともご理解頂きたいところなのである。癌をやっつけることに闘志を燃やして医者になった者に、ほとんどが風邪などの感染性急性疾患で占められる小児科外来を見せたところで、やる気をフルパワーにせよと言っても無理があるわけで、そう言った場合に他の話題を向けても興味を示さないだけでなく、何にも知らないのだというのが今回の話題で気になったのである。

 例えば放射線の話題から、分子・原子の話しをしても乗ってこない。ミクロでダメならマクロということで宇宙に話題を移してもからっきしであるとのこと。一事が万事で、自然科学の話題に着いてこられないようなのだ。必要なこと以外はまるっきり知らないなんて、社会人として幅のないやつが本当に多くなったと嘆いていた。本当にそうだとすると人生楽しくないだろうなとぼんやり考えていたら、なにやら視線を感じた。ごった返す居酒屋の店内にあって、斜め向かいの席の女性が時折チラチラとこちらを伺っていたのである。

 少しばかり酔いが回ってきた頭を回転させると、どこかで会ったことがある顔であると感じた。はて・・・・・・?それから小一時間、話しがいろいろと盛り上がってきたところでかの女性がニヤニヤしながら近づいてきた。

「あの~~クーデルムーデルさんですよね。私、芹沢絵里子(仮名)です。」と告げたその人は結婚式の二次会で会ったきりの連れ合い方の友人であった。「今ご主人どこにいる?って電話したら渋谷だって言ってたから間違いないと思って写メしちゃいました。」とのこと。それにしても一回しか会ってなくってよくわかったな?年賀状は出しているけど・・・「お子さんにそっくりだからすぐ判りました。」だそうだ。それって良いこと?悪いこと??

 その後一緒に飲むという雰囲気ではなく、元の席に戻っていった。どうも彼女は酒の販売を仕事にしているらしく、酒の保存方法や客への出され方、つまみの具合などを見ていたようであった。店員とも懇意にしているようで、「トオル君、次はこれね!」などと声を掛けていた。何とも頼もしい女性である。まだ独身というのは勿体ないことだが、仕事が面白くて仕方ないのかもしれない。

 そういったハプニングも交えて数時間日本酒ばかり飲んでいたらへべれけになってしまった。気がついたら眠っていて、寝顔も写メしてくれたとのこと。勘定もそこそこに店を出て、先輩にはうちに泊まっていいぞと言われながらも電車を乗り継ぎなんとか家まで辿り着いた。

 目は覚めているが頭は痛む。今日は一日こういった感じだろうか・・・折角自転車に乗ってきたのだが、まだまだスッキリ爽快とはいかないようだ。

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