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2007年2月27日 (火)

ソーシャルワーカーのお仕事

 最近腎尿路奇形で外来通院していた患児のお父さんが「先生、私、破産しちまって・・・もちろんお金は払いますが、この先どれくらいかかるのか知りたくて。いえね、裁判所に差し押さえされるんですけど、子供の医療費はなんとか免除されるようで、それを教えて欲しいんです。」とのこと。

 恥ずかしいことだが勤務医は自分が行った医療の対価がどれほどなのか知らないことが多い。特に小児科など市町村によって医療費の免除が行われ、このあたりでは5才未満ならいくら検査しても数百円の負担で済むので、一体何がどれほどの査定になるのか検討が付かない。ただし小児慢性特定疾患とか育成医療とかさまざまな助成制度があって、それを申請しなくては5才以上の子供の医療費が家計を圧迫することもあるので、そういった助成制度についてはマークしている。

 それでも例えば生活保護を受けている家庭とか外国人であるなど様々なケースになるととても対応できない。そこで活躍するのがソーシャルワーカーさんである。この場合もすぐにワーカーさんに電話し対応してもらった。

 この日は難病患者見舞金なる制度について質問してきたお母さんもいて、これまたワーカーさんへ直行して頂いた。しかしワーカーさんへの依頼はこれだけではない。例えば虐待児が発見されれば、児童相談所などへの通報から始まり、児の保護やその後のフォローアップまで親身になってやってくれる。先日も名乗らない虐待を受けているという子供からの電話連絡に対応し、指定した場所へ迎えに行くなどして頂いた。

 昨今は不法就業者問題やお金をわざと踏み倒す人などもあって、すべてがワーカーさんの仕事ではないのだが、本当に忙しくしている。しかしどの病院でもそうであろうが、ワーカーさんの配置は多くはない。ことは小児科だけではないので、それこそ広い知識が必要なのである。病院の運営に欠かせない縁の下の力持ちである。

 さてと、明日も働いてもらいますね、○○さん!

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2007年2月26日 (月)

過労の傍で

 過労で亡くなる医者が後を絶たない。月百時間に及ぶ時間外労働が当たり前に行われていて、当直や呼び出しでゆっくりと睡眠をとることもままならない。しっかりした休みは年に数えるほどしかなく、過労と誰が見ても判断できる仕事ぶりである。

 このところの私のブログを振り替えるととてもその人達と同じ職業とは思えない内容になっている。一応弁解しておくが、時間外労働は月60時間は少なくとも越えているし、眠れるはずもない救急当番も月に3回以上こなしている。当番以外の日もオンコール状態なので、いつでも呼び出しスタンバイの毎日であり、ちょっとした親と看護師とのトラブルでも点滴のトラブルでも呼び出しに対応している。しかし周囲の医療環境のおかげで重症者の少ない当院では精神的な負担が少なく、メリハリを付けた生活をしようと心掛けることができる。ありがたいことで、こういったポジションに身を置ける小児科医は全国でもそうそういないだろうと常々神仏に手を合わせている。

 ということで昨年と同様、八海山のスキー&原酒ツアーに参加できたのである。人生は一度きり。暇があったら身体を休めるより楽しく過ごしていたい。そう考える輩にはうってつけの企画で、天下一品の眺望と美味しい肴でいただくまろやかな原酒に酔いしれた2日間であった。原酒を振る舞ってくれたお店は六日町の居酒屋『一八』。手品大好き親父が心もお腹も満たしてくれた。まったく臭みのないアンコウの肝をすりつぶした汁にアンコウのぶつ切りとナメコと野菜が入ったアンコウ鍋や、のどグロの塩焼きなどでクイッといくと・・・もう異次元の世界。気分上々で翌日は早朝からスキーして、帰りのバスはもちろん原酒の乱れ撃ち。昼に出発したはずが、知らない間に日もとっぷり暮れ、それでもまだ酒盛りは続いていた・・・・・運転手さんごめんなさい。でも来年も宜しくお願い致します。

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2007年2月25日 (日)

八海山スキー

八海山スキー

病院旅行で八海山スキー・原酒の旅を満喫してます。

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2007年2月23日 (金)

echo

 超音波(echogram or echography)は日常診療で最も使用される画像診断機器の一つである。当院では小児科の外来に簡易型(といえば聞こえはよいが旧式の捨てられる直前を拾ってきたもの)を置いていて、検尿異常や腎疾患のフォローアップなどに使用してきた。何より痛くも痒くもなくちょいとくすぐったいだけの検査であり、外来でアンパンマンのビデオを見せながらチョイチョイとできてしまう。子供にとっても親にとっても、そして我々にとっても大変有益な情報を簡便に得られるので重宝していた。それが最近機嫌悪いのである。

 旧式でドップラー(血流など流れるものを赤青で表示)も使えず像を結ぶだけの代物(形は80年代半ばのマックのよう)だが、尿路奇形の診断にはそれだけでも役立つ情報が得られるた。しかも機能が限定されているので電源を入れてからタイムラグなしに使用でき、外来で突然エコーが必要な患者さんが入室してきても対応できた。しかし古すぎてプリンターの対応期限が過ぎており、今の1台が壊れたら画像を残すことが出来ない。そして肝腎の画像にもノイズが時々入るようになってしまい、ついに買い換えを決断しなくてはならない日が近づいてきてしまった。そこで中央検査室に入っている最新型エコー機器のメーカーに簡易型のものを頼んだのだ。

 もちろん高性能であるに越したことはないが、いかんせん外来にそれだけのスペースはなく、『チラ見』するためのエコーという意識が頭から離れないので、それをイメージして相手に伝えることになった。するとG○横○というメーカーはノート型のエコーを持ってきてくれた。これは確かに場所をとらない。だが起動に時間が少々かかる・・・それでも1分強というところなのでまずまずか・・・問題の画像は・・・オオッやはり前のとは違うってあたりまえか・・・ドップラーも一丁前に出来るし、プローベ(患者さんに当てて超音波ビームを出して信号を拾うエコーの目&手)の着脱も簡単・・・・定価は何!¥15,000,000・・・・えっ、値引きしたら○百万だって?それって定価がおかしいんじゃないの・・・・

 なんてやりとりをしながらこの一週間はデモ器を借りて使っている。気になる患児は中央検査室の高性能機を使えばよいのであるが、他科の使用予約で毎日埋まっており、症例の少ない小児科には割当日が週にわずが半日しかない。それを補って十分なエコーであることは間違いない。ただ一つ問題があり、それは直感で操作可能かどうかという点である。これは海外メーカーと国内メーカーの違いといっても過言ではなく、国内メーカーはこの点に力を注いでいる。高機能を使いこなすために直感的にボタン操作が可能なのが国内メーカーであり、説明書をいちいち読まないとできないのが海外メーカーなのだ。しかも英語で表記されているので時間がないときにパッととりかかれるものではない。この点をどう評価するかなのだが・・・・・・・・

 とぐだぐだ書いてきたが、要するに予算と場所から考えて、これに落ち着くのであろう。これをどう使いこなすか・・・実は新しいおもちゃにワクワクしているのだ。

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2007年2月22日 (木)

tennisは楽し

 テニス肘になってしまって以来4ヶ月の間、ラケットを持つことなく過ごした。ようやく肘の痛みが消え、昨日は久々にスクールへ顔を出した。

 昨今のテニススクールは便利だ。深夜までレッスンを受けられ、しかも期日を振り替えることが出来る。サラリーマンでも医者も弁護士も歯医者も教師も、子供を抱えた主婦だっていつでもテニスが出来るのだ。

 私はテニスを習ったことがなかった。友人達と楽しむくらいのことは見様見真似でできた。もちろん本やビデオで研究はしたけれど、ここへ入会するまでは指導を受けることなく好き勝手に打っていた。ちょうど一年前に習い始め、現在はトーナメントに出るないしは出たことのあるくらいのクラスに入れてもらっている。ハードヒッターが多く、かなり辛い。しかし100分のレッスンでヘトヘトにされる状況は嫌いではない。それでも病み上がりということで昨日はフォームの確認のみと自分に言い聞かせ、他の練習生には悪いが、打ち返すより楽に振り抜くことだけ心掛けた。

 思った以上に肘の調子はよかった。しかしボールの速さに目が付いていかない。また体幹をひねる動作は日常生活ではほとんどないため、筋肉の疲労が早々にやってきた。体力には自信がある方だが、昨日ばかりは泣きを入れるほどであった。

 ということで今日は筋肉痛の真っ只中である。

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2007年2月20日 (火)

これでもいいかな?

 地震雲から24時間以内の地震発生を調べてみた。数時間後に東京湾でマグニチュード3.3の地震が発生していたが・・・・

 バカボンのパパのように『これでいいのだ!』と言いたいな・・・・ダメかな?

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2007年2月19日 (月)

どうなりますか・・・

 まずは2/18を特別な日と考えようという新小児科医のつぶやきさんいなか小児科医さんのブログのキャンペーンに賛同します。

『我々は福島事件で逮捕された産婦人科医の無実を信じ支援します。』

 今日は時間がないのでとりあえずここまでですが、医療崩壊について様々な問題を含んだ事件ですので、また後日ゆっくりと書きます。これについては私が医療サイドの人間だからという薄っぺらな考えからの行動ではないことを明記しておきます。(ちなみに本日朝のNHKニュースでも取り上げられた万波医師による病気腎移植には猛烈に反対しております。)

 次に地震雲についてです。科学的に証明されておらず、現在その情報収集が行われてる真っ最中のこの地震雲ですが、昨夕佐倉から八千代方面の空に浮かんでおりました。この数日の地震情報には敏感になっておきたいところです。

 最後に今日の印旛沼。波一つなく鏡のようでした。

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2007年2月17日 (土)

館山城

館山城

安房の国館山城を開いた里見氏は、ご存じ馬琴の八犬伝のモデル。城の中も町の資料館も八犬伝の剣士たちと伏姫であふれてました。

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2007年2月16日 (金)

八甲田山スキー

 八甲田山で山スキーに参加したツアー客が雪崩に巻き込まれ尊い命が失われてしまった。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 八甲田山は八甲田山系を形成する8つの山に囲まれた山岳地帯で、山スキーはその中腹からロープウェーで大岳を臨む高台まで登り、その後圧雪されていない斜面を滑り降りる。樹氷も素晴らしいがパウダースノーの中ジャンプするようにターンを繰り返す深雪独特のスキーが楽しめる。私も何度かチャレンジし、その魅力に取り憑かれた一人である。年配の方はおそらくそういったスキーこそ本当のスキーであり、圧雪の中無謀極まりないスピードでターンを繰り返すなどスキーではないと思われていることだろう。深雪の中ではスキーをコントロールすることは容易でなく、木の根本に落ち込んでしまうと這い出るのに相当の苦労を要する。それこそが生きていく知恵・力となるのだと思えてならない。

 そんな深雪の山スキーだが雪崩という危険はいつも隣り合わせである。少しでも雪崩の危険があれば勇気ある撤退を余儀なくされていたが、今回はそうならなかったようだ。聞けば観測態勢は貧弱で、情報伝達も少なかったらしい。私が滑っていたときもそうだったのかと思うとぞっとするが、本気になって態勢を整えてもらいたい。間違っても全面滑走禁止などにはしないで欲しいものだ。

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2007年2月15日 (木)

硯に向かいて

 学校の授業で書道が始まるからと次男が学校推薦の道具購入申込書を持ってきた。次男は2年前から書道を習っているが、この書道教室では筆は自前だが他は全部教室で貸してくれるらしく、道具一式は持っていないとのことであった。

 申込書には必要物品が写真とともに掲載されていた。
「大きい筆と共に小さい筆も必要です。名前を書くのに最適!先が割れにくく書きやすい一品です。」
なるほど・・・他には、墨汁、墨汁カップ、下敷き、文鎮、、、、何!?墨汁カップ?
「大容量カップ、墨汁をこぼさず筆も立てられる優れもの!」

 どうやら墨汁をカップに入れ、そのまま筆につけて半紙へ向かうらしい。これが今ゆとり教育をしている現場の書道なのか・・・硯に向かい墨を擦りながら心を落ち着けるのが書道ではないのか。そしてそれを教えるのがゆとり教育ではないのか・・・

 私は次男へ問うた。「お前は書道教室で墨を擦っているのか?」「うん、毎回水を硯に入れてこすってるよ。墨汁は先生がちょっとだけ入れてくれる時もあるけど。」そうだろう、それでなくては意味が無い。

 じっとしていられない今の子供達には黙って硯に向かうなどさせられないのかもしれない。言い聞かせても墨汁で教室中を真っ黒にされてはかなわないという事かもしれない。しかし物事の本質を教えるのが教育の根本ではないか。きれいな字を書く練習が書道ではない。それに至る過程が書道であろう。小手先だけの事を薄っぺらく教え、詰め込み教育を批判して勉強する機会を失わせるのがゆとり教育の本質ではないはずだ。

 

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2007年2月14日 (水)

蚊帳の外

 北の筋書き通りに世界が動いた。世界の警察と大洞を吹くアメリカの底が見えた交渉劇だった。中国も韓国もロシアも北が潰れて大量の難民が自国に流れ込んでくることこそやっかいなことで、軍隊がいつでも出動できる彼らにとって北の核など恐るるに足らないことなのだ。打ち込むというなら攻め滅ぼせるのだから。しかし日本はそううそぶくことすら出来ない。守ってくれるはずのアメリカにとっても北の核はそれ自体脅威でも何でもなく、それを第三国に持ち出さない確約とドル紙幣の偽札作りを止めさせるための睨みを利かせればそれでいいらしい。もちろん日本に打ち込まれたところで、自国だけが日本に核を打ち込んだという事実を薄める効果が期待でき、それもよいというところなのかもしれない。北在住の一般人への人道的配慮と言えば聞こえはよいが、日本を除く各国の利害関係からの落としどころとしてうまくいったというだけの話しであろう。

 エネルギーの供与は拉致問題の解決なくしてあり得る話しではないと安倍首相は繰り返しているが、交渉のテーブルに着いた局長さんの言葉ではその旨は受け取れない。893屋さんに恫喝されて金品を差し出しているのとなんら変わりなく映るその姿に、もっとシャンとせい!と言いたいところだが、こちらには対抗する術が何もないことに気付く。確かに軍隊が攻め込んだところで拉致された人が救出できるかというと必ずしもそうではないが、これがわが日本という国なのかと思うと泣けてくる。素人考えだが正攻法など捨て、金正男なる人物を偽札を使った容疑でもなんでもいいのでしょっ引いて裏取引するなどできないのだろうか。それを非難する国などないと思うがいかに。

 それにしても政府の対応を信じていますとの横田夫妻の物言いには感動を覚える。よもや我々を裏切るような交渉をなさったわけではないですよねという言外の力が感じ取れるのは私だけではないはずだ。この力があればこのような交渉劇にはならなかったように思うのだがいかがか。

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甘い記憶などなし

 今日は日本国中どこにでもチョコが飛び交う一日。大多数の義理&友チョコに紛れて本命なるものがやりとりされるようだが、自分の記憶に甘いものが全く残っていない。つまりはこの日に突然の告白など受けたことがないということなのだ。

 この日にと限ったのには多少の見栄が入っていることはお許しいただきたいが、高校時代までの私には義理も含めて全く縁のない一日であった。デブで暗かった私にチョコを渡すほどの物好きなどいるはずもなく、そうと理解はしているものの世間の浮かれた雰囲気に意識しないでいられるものでもなかった。

 あれは高校一年のこの日の午後。私はいつものように友人と自転車で帰路に就こうとしていた。そこへクラスの友人がそっと耳打ちしていった。

「お前の机の横に掛けてある鞄がムッチャ膨れとるで・・・」

 仰天した私は一目散に教室へ戻り、そのバックをひっさげ友人を置き去りにして猛スピードで家の近くの海岸へ向かった。その間のことは全く記憶にないし、その様子を誰かが観察していたかどうかも覚えていない。遠くまで広がる白兎の砂浜に座り、ゆっくりとそのバックを開けると、銀色のラップに包まれ、赤いリボンのついた箱がそこにあった。震える手で包みを開くとそこには・・・・

 空気一つ

 ふ~~~っと息を吐いて天を仰ぎ、小一時間誰もいない浜辺に横たわっていた。

 以来付き合っていた彼女からもらおうとも、義理の山が机一杯に広がろうとも冷めた自分がそこにいる。つまり生まれてこの方この日をうれしく思ったことがないのだ。だからお願い、机の上にチョコを置き去りにするのだけは本当にやめて。「日頃お世話になってます。」のひと言くれたらそれでいいから。

 しかしこの日が楽しいなんて思える男って世の中にどれほどいるのだろう・・・・ねぇ?

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2007年2月13日 (火)

間に合った

 本日正午の締め切りに、連休のおかげでどうにか抄録を間に合わせることが出来た。内容はパッとしないが、ここ数年議論されている問題について当院での数十例から考察したものになった。これにどれほどの意味があるかは今後何十年にも渡る経過観察によって判定されることになるのだろう。

 没頭している間に季節は更に進み、三寒四温の移り変わりを呈していた。子供達からは受験合格の便りが届けられ、少々暗かった顔に明るさが灯っていた。それにしても少子化が進んでいるというのに中学受験は年々激化しているようだ。健康に留意して頑張ってもらいたいと願うばかりである。

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 どうでもいいが最近のお気に入り、Glenn Gouldのバッハ。これで結構はかどった。小さな音の一つ一つがキラキラ輝き、バッハが全く違ったものに聞こえるのだ。

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2007年2月 9日 (金)

教授の無理難題

 筑波大から来ている某医師が医局休憩室でつぶやいた。

「うちの教授が突然、あの研究はどうなってるんだって言い始めて、締め切りまでの3日で発表資料を作れって言われたんですよ。先週末必死でやっても全然結果が出ず・・・でも国内の学会なら締め切りを少し遅れても何とかなるじゃないですか。それが海外の学会だったんでそこでおじゃん。3日完徹ですよ~~~でも教授はそうか、で終わりですもんね。」

 そんなのどこの教室でもそうだろう。教授とはそういうものだし、3日で済むならマシじゃないか。国内の学会ならそこから2週間締め切りが延びて、その間格闘が続くわけだから3日で済むなら万々歳だろう。

 かく言う私も学会の締め切りが延びて、現在格闘中である。こちらは教授に言われてのことではないが、それはそれで大変なのだ。研究といっても臨床研究でしかないが、20年ほど前からのカルテとの格闘は埃と乱筆との本格格闘技なのである。しかも治療法だけじゃなくものの考え方も違った医師達の記録を読み返すのは結構骨の折れる仕事で、これからなにか光るものを見つけ出そうというのだから・・・

 眠れない日々が続きそうだ・・・・

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2007年2月 7日 (水)

けぶる印旛沼

今朝は冷えた

湖面からは霞が立ち上る

太陽の角度に伴い気温はあがり

霜が水滴となって地面を濡らす

お寺の梅は8分咲きを迎え

野焼きの匂いが漂っていた

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2007年2月 6日 (火)

がっかり

 10月の終わりにPediatric Nephrologyに論文を投稿した。2年前に投稿したときは紙に印刷して提出したので、そうと疑うことなく同じように投稿した。もうフォーマットもなにもかもできあがっていたからだが、それがあだとなってしまった。

 すぐに反応があり、「編集長が替わったのでそちらのオフィスにお前の論文は送付した。」とのこと。しかし3ヶ月待てども何の反応もない・・・査読され、acceptの可能性があれば直しが入り、ダメならrejectと言われるはずなのだが、査読が遅れているのか・・・と思っていた。あまりに遅いため編集部にメールすると

「お前の論文は受け付けられていない。web登録していないやつは知らん!」とのこと。

 そりゃ、ちゃんと投稿基準を確認していなかった自分が悪いよ。でもそれならもっと早く言ってくれれば良いじゃないか・・・・泣く泣くPDFにフォーマットし直し、web登録したのは言うまでもない。ごねてもダメだろうな・・・

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2007年2月 5日 (月)

捨てるな!

 今朝の印旛沼は快晴の下いつも通りの美しい姿を見せてくれていた。

 しかし自転車道の脇には見慣れぬ塊が・・・ゴミの袋!?なんだこの雑誌の山は・・・

 無造作に放置されたゴミは、大きく重いため私の篭のない自転車では運ぶことができず、ブツブツ文句を言いながら走るほかなかった。しばらく走るといつもの入り江を見晴るかす岸辺にはタバコの空き箱、そしてヤクルトの空容器が散乱していた。拾い上げると両手がふさがってしまったが、何とか公園事務所横のゴミ箱までは辿り着けた。

 陽気に誘われて週末に湖畔を訪れる人が多かったのだろうが、なぜゴミを持ち帰れないのか。拾っていたせいで随分と時間をロスしてしまったが、折角水質汚染ワースト10からの脱却を目指す市民の努力を無駄としないためにも、こういった活動を我々印旛沼周辺で暮らす者は広めていく必要があるのだろう。

 美しい印旛沼をこの手で取り戻そうじゃないか。

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2007年2月 3日 (土)

古代を想う

 昨日のNHKスペシャルで大化の改新の新解釈が放映された。甘樫の丘の発掘作業により、蘇我入鹿の屋敷の全容がわかってきたこともあっての新解釈である。

 これまでの説では蘇我入鹿&蝦夷による圧政に業を煮やした中臣鎌足と中大兄皇子がクーデターを起こしたというもので、学校でもそう習ったし、学習漫画でも蘇我入鹿たちは酷い人物として描かれていた。しかし本当は真の改革者が蘇我入鹿で、ただの権力闘争のためにクーデターが起こったという説がこれまでも度々もちあがっていたとのことであった。

 テレビではその屋敷は武器庫など丘の上に立てられた都を外敵から守るための要塞である可能性が高いとあったが、昨日の産経新聞一面には蘇我入鹿の大豪邸が発掘されたと報道されていた。どちらが正しいのかはこれからの研究次第であろうが、遙か昔の政変を様々な発掘作業と文献から類推する考古学のロマンを目の当たりにし、テレビに引きつけられてしまった。

 どうも鍵を握るのは唐や百済、高句麗の状況が日本にどのような影響を与えていたのかというところにあるようで、今とあまり変わらない地政学を興味深く聞いた。これからの東アジアの外交の一助になるようにも思えたが、為政者の方々にはこれがどう映るのだろうか。

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2007年2月 2日 (金)

認めてしまうのか・・・

 読売新聞によるとフィリピン政府が腎臓の売買を公認するという。闇取引が後を絶たないので、公認することでルールを明確にし、命の安売りをさせないようにするという狙いらしい。報道のコメントでは日本人が殺到するのではないかとのこと。そうだとするとやりきれない気持が起こってくるのは私だけではないはずだ。

 確かに何事もなければ腎臓は一つでも十分に寿命をまっとうすることが可能である。しかし事故、癌などでもう一つを失うならば、透析は免れないし、お金がなければ透析もできず待っているのは死である。一つしかなければ、結石ですらおおごとになってしまう。背に腹は替えられないというドナーの気持ちはわかるが、必要だから2つあるということもわすれてはならない事実だ。

 レシピエントにも問題がある。金に飽かして貧困な他民族の腎臓を買い漁るという印象は世界的にぬぐえないだろう。もちろん透析の苦痛、危険性はその医療を提供する現場にいて痛いほどわかる。それから逃れる術があるなら藁をもという気持もわかる。

 法律の面でも報酬を与えて腎臓をもらいうけるとなると、臓器移植法に抵触する。できることと倫理的にやってはいけないこととの間に法律は境界線を設けているのだ。

 では医療費の問題としてはどうだろう。透析には年間500万円前後かかる。お金があるから透析ができるというのは紛れもない事実で、お金がない国では透析などもってのほかの医療行為なのだ。それが移植を行ってしまえば、後は免疫抑制剤の費用だけで済んでしまう。医療費という面でいうと願ったり叶ったりというところである。

 ここまで書いてくると移植にどれだけのジレンマが隠れているのかということが見えてくる。貧困・倫理・医療政策・・・なんだか地獄の沙汰も金次第という言葉が見え隠れしてさもしい気分になってしまう。

 やはり生きるという哲学を今一度考え直す必要があるのではないか。誇り高く生きること、そうありたいと皆が願っていると思うのだが・・・・・

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