« 完勝 | トップページ | この土産は・・・ »

2006年11月24日 (金)

集団的自衛権の議論

 最近の話題で北がミサイルをアメリカに向けて発射した場合、これを撃ち落とすことは集団的自衛権に抵触するとして問題視されているようである。

 まず現在検討されているミサイル迎撃システムについて考えてみたい。その制度を詳しく語ることは防衛機密にあたるので、数値化されたものを目にすることは不可能に近いが、推測することは可能とのことで様々な意見がネット上を賑わしている。それらによると少なくとも固定された的に対しミサイルを撃ち込む技術ならば日本もほぼ完璧に近い。しかし動く標的を射抜くとなると方位方角速度のすべてをコンピューターに打ち込んでも陸上からならうまくいくが、海上からは失笑がもれるほど当たらないものなのだ。これは刻々と変化する気象状況が影響するからに他ならず、時間をかけ緻密に計算し尽くしてようやく当てることが可能となるくらいのしろものである。それがいつ(コンマ何秒の世界)何処(もちろんメートル単位以下)で方位方角(う~~んもう好きにして)を瞬時に判断し、数値を代入して狙い撃ち・・・・日本に届くまでの数分間にそれが可能だと思える方がどうかしていると思うのだが・・・同時刻に3本撃たれたら確実に一本は迎撃システムをくぐり抜ける。北のミサイルの制度が問題だが、おそらく東京のどこかに核弾頭をおとすことは容易であろう。強がってみてもそれくらいしかまだ科学は発達していないのだ。それをふまえて考えて欲しい。アメリカを狙ったミサイルを撃ち落とすよう努力することが集団的自衛権に抵触するかどうかを。

 また日米同盟という防衛上の同盟関係をどう表現するのであろう。米軍に守ってもらうことが同盟ということなのだろうか。同盟とは『何らかの利害・目的・思想の一致により個人同士・勢力同士が協力を約束、或いは実際に協力している状態のこと』(wikipedia)である。となると守ってもらう以上見返りを求められる関係なのか、それとも在日米兵は日本の傭兵なのか。もし協力体制をというならば米国が困ればそれを助けるというのが同盟関係であろう。日米同盟があって集団的自衛権はないなど言葉遊びにしか過ぎない。

 憲法9条にしても非核三原則にしてもどうしてこうも言葉遊びにばかり時間を使っているのであろうか。法律は法のためにあるのではない。国民の生活を守り、円滑に事をすすめるためにあるのだ。理念を語ることを不要とは言わないが、実行法をああだこうだと解釈するなどというのはバカげている。文民統制がなされている国であれば軍隊が勝手に行動することはありえない。それならば国を守る規定をする作業を粛々と行うだけでよいではないか。つい昨日まで自衛隊反対と声を挙げていた社会党党首村山某が政権をとった瞬間に自衛隊の栄誉礼を喜色満面で受けていたことを思い出す。誰も戦争がしたいと言ってはいない。日本国とその国民を守るためにはどうするべきかという議論がなされるべきなのだ。

 言葉遊びはもうご免被る。

 

|

« 完勝 | トップページ | この土産は・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/144860/4298439

この記事へのトラックバック一覧です: 集団的自衛権の議論:

« 完勝 | トップページ | この土産は・・・ »