« 遊べない子供達 | トップページ | 休日の楽しみ »

2006年10月24日 (火)

美談は間違いないが・・・

 大阪の事例で、親が宗教上の理由で子供の手術を拒否したため親の親権を剥奪して手術を行い、無事成功後両親にその子供を戻したという記事があった。担当医師が親権代行を申請したため地裁での親権剥奪申請が速やかに行われ、児の手術も早期に成功裏に終えることが出来たというものらしい。

 子供の命を救ったという点と無事子供が両親の元へ帰ることが出来たという点で美談には違いない。両親の間違った判断を正すよき前例が出来たと喜びたいところだがこれには問題が多数隠れている。

 まず手術はどんなものでもリスクを伴うものである。100%はないからこそ、受ける受けないの選択は十分な説明を受けた上で個人の自由意思にまかせるべきものである。そして子供は判断できないからその両親が全責任を負ってその判断を行うべきである。両親が納得しないからといって親権を剥奪する権利が本当にあるのだろうか?確かにケース・バイ・ケースで、今回のように宗教上の理由という手術拒否であれば、無宗教に近い意識である日本において今回の医療者サイドおよび裁判所の判断を容認する意見は多数を占めるであろう。それでももし手術に失敗していたらこの子はどうなっていたのだろうか。

 次に医師が親権の代行者となることを申請した点である。手術を終えた子供を親が受け入れなかった場合、医師はその子を養育するのだろうか。おそらく施設に預けることになったであろう。その子の養育費は誰が出すのか?手術後医療を施す必要がなければよいが、必要あるなら医療費はどうするのか?介護ないしは在宅医療が必要な場合、受け入れ先は?代行者がずっと面倒を見られるのか??そしてすべての同じ状況の子供に同じように親権代行できるのか?ある病院の医師は代行するが他はしない場合、代行しない医師が責められることになりはしないか?小児科医を10年以上やっていれば、こういった患児を受け持つことは一度や二度必ずあるだろう。私も説得に説得を重ねた経験がある。結局祖父母の協力を得て治療を施すことが出来た子供もいた。それでも医師は親の代わりにはなれないと私は思っている。

 最後にどういった手術ならば親権を剥奪してまで勝手に子供の治療が出来ると判断しうるのか。子供に他の合併症があったらどうなのか?染色体異常があったらどうなのか?その判断は誰が行うのか。責任はどこにあるのか?倫理上の問題、子供は誰のものなのか、生きるとはどういうことかという哲学的問題もそこにはあるだろう。一生人工呼吸器がはずせない状態になるがそれでも手術に踏み切るべきなのかなど誰が判断できよう。

 10年ほど前だったか、様々な合併症を抱え生まれてきた子供がいた。おそらく生まれてまもなく亡くなるだろうと予想されたため、事前に母親ではなく父親にハッキリとそれを伝え、父親から母親へ、そして我々からもそれとなく母親へ伝えた。父は生まれたばかりの子供を抱き、頬ずりし、ぬくもりをしばらく感じていた。出産を終えた母親も我が子を抱きしめ涙を流した。父親は小さく呼吸する我が子を見つめ、「生まれてきてくれてありがとう。」と言って二人で抱きしめた。命の炎がゆらめき、消えてしまったところで、父親は「天国で一緒に駆けっこしような。」と言い、むせび泣いた。

 無理に何とかしようとすれば今の医学であれば、生命を維持することは可能だったかもしれない。しかし子供のぬくもりを手にし、命を感じ取るべき両親の手から子供を引き離す権利は医療者にあるわけがない。もちろん今回のケースがこれにあたると言っているのではないが、手放しで賞賛すべき事例ではないことも事実である。先日から問題になっている代理母出産でもこういった手術を施さなくてはいけない児が生まれたらどうであろうか。両親は素直に子供を我が子として受け入れられるだろうか。受け入れられなかったら子供はどうなってしまうのか?手術は誰の責任で行うべきなのだろうか・・・・

 医療は万能ではなく、医師はもちろん神ではない。

 単なる美談に終わらせないためにも、子供達の将来のためにも議論が必要であろう。

|

« 遊べない子供達 | トップページ | 休日の楽しみ »

コメント

いやあ、、、難しい問題だねー

先生の言うこと、、僕はよく分かる

少し意味合いは違うかもしれないけど、、、この問題は非積極的安楽死の問題と似ているような気がしました

何が正しいかは誰も分からないよね

当事者にとって、起こることは一つしかないわけで、その後に起こるであろう結果については確率論の世界であり、その点に関する専門的なアドバイザーを医師が行っているだけなわけだから、、、、医学に絶対という言葉はないなあ、と改めて感じます

投稿: 目黒駅前クリニック院長 | 2006年10月24日 (火) 14時06分

目黒駅前クリニック院長殿

生きる、生きている、良い死を迎える・・・本当にいろんな考え方があって、それぞれの立場で答えが違ってくる時代になっていますね。いつもいつでもポリシーを持って生きるなんて人ばかりではないし、そう言った意味で宗教が必要な時代になってきたのかもしれません。かといってカルトはご免被りますし、真実を見る眼が曇ってしまうのも考えものですが・・・

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月24日 (火) 17時06分

こんばんは
クーデルムーデル先生

確かに、『もっと議論が必要だ』と感じます。掘り下げていくと『人間はどう生きるべきであり、どう死ぬべきなのか?』という哲学的な問題にぶち当たります。
医師を長くしているとこういったことを考えることが多くなりますね.....

親権の停止はMSBP:Munchausen syndrome by proxyなどの非常に特殊な虐待の病態などでは劇的に効果を発揮すると思いますが...適応する範囲を考慮しなければ、その児を本当に救うことにはならないような気がします。

投稿: いなか小児科医 | 2006年10月24日 (火) 23時53分

いなか小児科医殿

おっしゃるとおり、ミュンヒハウゼン症候群ならば子供の隔離だけでもうまくいくでしょうね。

それにしてもこういった哲学的問題が山積みなのに医学教育における心理学&哲学の分野は、(もしかしたら私の出身大学だけかもしれませんが)poor極まりないように思うのですがいかがですか?

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月25日 (水) 09時05分

何が正しいのか、医療には考えても考えてもわからない事がいっぱいです。
でも、みんな悩み苦しみ何が最善か必死に考えていますよね。医師として自分が決めなければいけない決断に恐怖すら感じる事もあります。
今回の件をきっかけにして医療だけでなく様々な分野での議論が必要ですね。

投稿: 小児がんと生きること管理人 | 2006年10月25日 (水) 20時02分

小児がんと生きること管理人さん

本当に議論が必要だと思います。相手を糾弾するというものではなく、建設的な意見を交換するというものですが。

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月26日 (木) 00時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/144860/3937365

この記事へのトラックバック一覧です: 美談は間違いないが・・・:

» 介護とは何か知らない人のために [無料でおいしい情報局]
高齢者、つまり老人と暮らしたことのある人は年々減ってきています。介護とは何か知らないで育った人のために簡単に介護について紹介します。 [続きを読む]

受信: 2006年10月24日 (火) 20時35分

« 遊べない子供達 | トップページ | 休日の楽しみ »