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2006年10月23日 (月)

遊べない子供達

私が子供の頃、何もなくても木登りやかくれんぼ、手つなぎ鬼をして日が暮れるまで遊んだ。それは公園でも良かったし、田んぼの畦道でもよかった。ボールがあれば野球もできたし、ドッヂボールやキックベースもやった。とにかく子供達の声がそこここにあふれていた。

今は遊ぼうにも人が集まらない。クラブチームが花盛りで、そこにみんな行ってしまう。というよりそこに行かないとサッカーも野球もできないのだ。公園は小さい子供達に危ないからとボール遊びを禁止するようになったのがそもそもの原因で、そうなるとクラブに入って出来る場所を確保するほかなくなってしまった。すると子供だけで参加するわけにいかず、親もバックアップのために参加しなくてはならなくなった。子供は過保護の中でスポーツ(遊び)をし、サッカーも野球もクラブに入ってするものだと思うようになってしまっている。当然すべてのクラブに参加できるはずもなく、ボールは蹴れるがバットで打てない子供、小さいボールを遠くまで投げられるが蹴ることは出来ない子供などに別れてしまい、結局集まっても一緒に遊ぶことが出来なくなってしまっている。過保護もひどいもので、怪我をするといけないからと重い荷物など後かたづけを親がするところもある。一体なにを学ばせたいのか理解に苦しむのだが。

先日子供達を連れて公園に行くと小学校にあがったばかりだろうか、母親の見守る中、男の子が自転車を乗り回し、女の子が一輪車の練習をしていた。割と広い公園なので、公園の隅で我々はキャッチボールを始めた。すると鋭い視線がすぐさま突き刺さってきた。私は意に介せず、しばらくキャッチボールをした後、公園のわずか数パーセントの敷地に子供達を並ばせ、ノックを始めた。するとかの男の子がわざわざこちらに来る必要もないだろうに自転車をすっ飛ばしてくるではないか・・・確かに公園は私たちだけのものではない。しかし誰かのためだけにあるのではないことがどうもわからないか、ないしは公園でボール遊びはいけないという盲信にとりつかれた母親なのかというところなのだろう。ボールがダメで危険な暴走を繰り返す自転車がOKという気持がよくわからないのだが、無視して続けた。結局途中で雨が降り出し、喧嘩をすることなく我々が退散することになった。

公園でのボール遊びに対してはいろんな意見があろう。しかし小さいうちからやっていないと何が危険で何に注意しなくてはならないかわからぬ間に大きくなってしまう。小さい子供がいればどうやって遊べば皆が楽しめるのか考えるのも子供の仕事であろう。それをとりあげるべきではない。もちろん私は子供達に子供だけで固いボールを使って野球をしてはいけないと指導している。いくら注意しても予想できない方向に飛んでいく可能性があり、予想範囲内でも予想外の動きを相手がしてくることがあるからだが、そんなことはちいさいうちからやっていれば言われなくてもわかるものなのだ。

むしろ小さな子供は一人で遊ばせるということ自体危険なことなので、親がついているべきで、それならばボールから我が子を守る術を考えればよかろう。少なくとも私はそうして育ててきたし、近所に住むお兄ちゃん達にボール遊びを禁止するようなことはしてこなかった。

子供達の遊びを禁止し、安全なことしかさせず、喧嘩もすぐにやめさせ、過保護なまま大きくするから社会がゆがんでくるのだ。人間関係を築けず、いじめ、いじめられ、立ち直ることも出来ず、ニートを増やしている原因がここにあるのではなかろうか。

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コメント

初めてコメント書かせていただきます。
何度かお邪魔していました。

今回の記事も興味深く拝見しました。

私も良く思います。
自分が心配だから、大変だから・・・と
とっている行動が
子どもの考える力・思いやる力など
子どもが自らひらいていく部分をつぶしてしまっているのではないかと・・。

いろんなことが・・・ヘンな方向に進んでいる気がします。

投稿: チョコひげ | 2006年10月23日 (月) 23時13分

小さい頃からのそういう教育?躾?が悪影響だと、なぜわからないのでしょう?

私が子供の頃には、空いているスペースで何が出来るかを考えるのが楽しかったり、友達と近所中を走り回って遊ぶのが楽しかった気がします。

そんな楽しみを知らない、今の子供たちはかわいそうです。

投稿: ゆき | 2006年10月24日 (火) 02時51分

少し前にありましたねえ。キャッチボールのボールが当たって死んだ子供の親が訴えて、損害賠償が認められた事例。
あれで「キャッチボールをすることは、時としてそれだけの重大な責任を負う行為だ」との判例が出来てしまった訳です。たかがキャッチボールで・・。

生きていくのは多少なりとも危険と隣り合わせなのです。100%安全なんてあり得ない。お産も一緒ですね。

投稿: やぶ | 2006年10月24日 (火) 11時40分

チョコひげさん

初めまして。これからも宜しくお願い致します。

人間も他の動物と一緒で飼い慣らされていると本来の生きる力を失います。それをこの社会は失っていると思います。ただその逆で放任で躾を怠る親もたくさんいて、そのせいで社会適応できない子供も増えています。中庸とか常識というものをもっと感じるようになりたいものですね。

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月24日 (火) 12時04分

ゆきさん

悪しき平等教育と訴訟社会が招いた常識感覚の欠如のせいなのでしょう。この子達が親になった世界は果たしてどうなってしまうのでしょうか・・・

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月24日 (火) 12時06分

やぶ先生

そうして作り上げた社会が、働かず、人間関係を築けない大人を作り、時に子供を殺傷し、責任を他者になすりつけるものに成り下がってしまったのですよね。

そんな対応で本当の優しい人間ができあがるわけないだろう!って言いたいです。

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月24日 (火) 12時12分

同感!

うちの目の前にも公園があります

、、というより目の前で遊んでいる子供達が見えるので、ここに住んでいると言った方がいいかもしれません

この公園はボール遊び禁止の看板がありません(だから気に入った)

子供達はお互いの存在を多少気にしながら、多少無視しながらたくましく遊んでいます

多少の怪我はつきものであり、ちょっと怪我したからと言って、大騒ぎするような親にだけはなりたくないと思っています

うちの子達は、多少のすり傷くらいでは、僕に「気のせいだ、唾でもつけとけ」と言われるので、最近たくましくなってきました

投稿: 目黒駅前クリニック院長 | 2006年10月24日 (火) 14時18分

目黒駅前クリニック院長殿

うわっ、いいですね~公園が目の前なんて。

娘がいれば多少なりとも対応が違うのかもしれませんが、基本的には自分たちで考えて遊びなさいってところですよね。

投稿: クーデルムーデル | 2006年10月24日 (火) 16時57分

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