1989年から世界情勢の激変に対応すべく世界史が必修科目になった。それを履修せず選択科目である日本史か地理を履修しただけで終わる学生はルール違反であり、単位不足で卒業も危ういとのこと。新聞もテレビ報道もあってはならぬと憮然とした表情を崩さない・・・
しかしどうも腑に落ちない気がするので記しておく。ちなみに私は1989年にはもう大学生であり、高校時代には日本史も地理も勉強せず、世界史・現代社会という社会科科目を履修した世代である。
まずは義務教育でない高校教育において必修科目というのはなんぞやという点。第二に世界史ともう一つをマスターするのは可能かという点。そして受験に必要な科目に世界史は含まれるのかという点の三点で考察してみる。
高校教育は義務ではない。それでも中学生の9割以上が高校へ進学している実態から、通わせる義務があるようにも、通う権利があるようにも思われている。しかしそこで行われるべき教育は人間形成はもちろんだが、最低限の社会人としての知識・技量ではなく相応または高度な知識と技量を身につけるという教育である。そこが小学校や中学校とは絶対的に違うはずで、だからこそ運動系で活躍する選手は朝から晩まで練習に明け暮れればよいだろうし、芸術を磨く生徒が四六時中練習あるいは妄想にふけっていてもよいではないだろうかと思っている。そちらの技能を伸ばす教育が必要なのだ。申し訳ないがその方々が片手間で履修できるほど英語も国語も数学も甘いものではない。実態として中学レベルの数学を解くことも漢字を書くこともできない高校生がどれほど多くいることだろう。そうなると必修科目は形骸化されたものでしかありえない。そのため本気で高校生の学力を何とかしたいと思うなら即刻読み・書き・そろばんを必修科目と切り替えるべきであろう。それに対し、普通科で進学を目指している高校生ならばどうであろうか。彼らにとって必修とはすなわち受験に必要ということであろう。情操教育が彼らにとって必要ということはわかるので、体育も芸術もあればそれに越したことはない。また世の中には受験で問われることのない学問があふれていて、これらを垣間見るのも悪いことではない。多いに学び、知識・経験を高めるべきである。授業もそれこそ大学並みに各種ゼミがあふれても問題はなかろうが、必修とは最低限履修しないとその次へ進めないという教科であるべきではないか。
その点で世界史が必修ということに違和感を感じずにはいられない。そもそも世界史一つをマスターするのにどれだけの時間が必要か。それこそ通り一遍でさらっと流しただけで世界史の流れがわかるなんてありえない。その上世界の激動を知るためと言っても、世界史はあまりに過去の歴史が膨大であるが故に授業が近代史まで届かぬまま終了してしまうこともざらで、大学入試でも近代史はほとんど問われぬまま終わってしまうのだ。それでは必修となっていても激動の世界を知るという目的を達成できないで終わってしまう。
第三に受験に必要な科目となっているのかというところだが、センター試験は世界史を受けないでその他の日本史や地理だけ答えてよいことになっている。必修というならなぜ世界史をその科目にいれないのか??できないことがわかっているから試験科目に入っていないのだろうと予想するがいかがか。
そのように考えると世界史を必修科目としていることそのものがおかしいという論理に行き着くであろう。もし激動の世界を知るべきだというのであれば世界の近・現代史のみを高校の早い段階で履修させれば良かろう。その上で世界の歴史や日本の歴史、地形学を学ばせる方がよほど理にかなっているではないか。そして大学入試センター試験で近代史ともう一科目を選択させる方式にすれば迷いなく受験が可能であろうし、目的である世界の今を知ることも可能となるであろう。
もうひとつ。報道を見ていると、世界史を履修した生徒の時間的負担から履修していない生徒より受験に不利であるという指摘の多さに驚く。知識教養としての世界史履修を説いているのであれば、受験に不利というなかれ、むしろ教養を得るチャンスをもらえてラッキーだったというべきところであろう。逆にこれから世界史を学ばせてもなんら頭に入るはずがなく、補習がどう言った意味を持つというのだろうか・・・ここまできたら希望者には学ぶチャンスを与えますよでよいではないか?
なんとも不可解な事件であると思うのは私だけだろうか?
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