2023年11月16日 (木)

帰ってきちまった

 兵庫へ行って親孝行をしようと決意したのは3年前。働く場所を定めて、実際に異動したのは丁度2年前。確かに実家に近くて、ちょっと母が不安な時に夜中でも車で駆けつけることができたのは良かったが、隔日で当直or宅直し、産科&新生児救急を担うとなると、それほど親孝行はおろか自由にできる時間はなかった。このブログで、さも楽しそうにいろいろやってきたように書いてきたが、自分を奮い立たせるために敢えて楽しいことを書き綴っただけのこと。もちろん実行していないことは載せていないので、それなりに楽しんではいるのだが・・・

 何より単身でド田舎にいるつらさが日を追うごとに募ってきた。千葉佐倉に残してきた家族も不安定な毎日を過ごしている。さてなんのために私は兵庫の山間の病院で働いているのだろう。母のため?家族のため?自分のため?地域のため??

 そりゃ地域にとっては、文句もブログ上のみで結局は良く働き、手前みそだがそれなりに知識も経験も還元できる医者がいればありがたいだろう。でも母のためにも家族のためにも自分のためにもなっているとは言い難い・・・

 ってことで、思い切って常勤を辞め、非常勤として働き、半分は佐倉で過ごすこととした。もちろん給料は激減してしまうので、バイト生活をすることになるが、非常勤の勤務をする前後で母のところへ泊り、半月は家族と過ごせることになった。断然母も家族も満足感が違う!!もちろん写真のように私自身の生活の質も改善したのは言うまでもない。

 早朝印旛沼にカヤックを浮かべ、散歩がてらに漕ぎ出す気持ちよさ!小一時間ゆっくりと漕いだら、川べりには小白鳥たちが待っていてくれる。ああなんと美しい日々だろう。

 早々に切り上げて都内や埼玉まで出かけ、健診業務を担う日々にも慣れてきた。インフルエンザなどワクチン接種も毎日のように担当している。まあそんな日々でこれからずっと過ごしていけるわけではないのだが。それでも人生初のフリーター生活をわずかな時間でも謳歌してみたいと考える私は甘いのか?

 それにしても健診で触らせていただく世の中で働いている大人たちの手のごつくて分厚いこと。反対に私の手を見て、おそらく彼らは何にも大変な思いをしていない手だなとせせら笑っていることだろう。ダメだ、私がすべきことはここではないんだ。ならばどうする・・・

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2023年9月12日 (火)

ボッチ淡一完了

 突然土日が休みになったので、淡路島一周にチャレンジしてみることに。以前友人とチャレンジしたときは、道が不案内でウロウロする間に疲れて行ききれなかったところがあった。つまりリベンジにもなるチャレンジだ。

 快晴で風も弱い天気予報だが、日中はやはり暑くなるらしい。早朝から車で明石まで出るつもりだったが、なんと早朝4時からラグビーワールドカップが始まってしまった。しかもフランス対ニュージーランド!のっけから決勝戦じゃん、と見入ってしまった。おかげで全く用意もできず、結局明石の港を出発したのは0830。日中暑さにやられる可能性大・・・

 それでも走り出すと気持ちいい!快調に志筑を抜け、洲本へ。その間30km/hペースで飛ばしたが、南に待つ山岳フェーズを考えると自重すべきと速度を落としてみた。最初の坂を上ったところまでは余裕の笑顔で写真をパチリ。

 さて二つ目まで坂を下りてと思ったら、予想外に早くも次の登りが。こんなだったっけと思いながら、アップダウンを繰り返すうちに足の余力を徐々に失っていた。やっと下り、紀伊水道の一番狭いところを左に見ながら海岸線をひた走る。沼島がゆっくりと近づいてくる。おっと猛スピードで追い越していく自転車は、やあこりゃホンモノ、40km/hは出ているcanyonの兄ちゃんだ。ちょっとこっちも踏んでみる、、、やめだ、やめ。そんなことをしては完走できなくなる。

 そんなことを想いながらコースをひた走る。以前迷った道に差し掛かるが、道に記された淡一の矢印は直進。しかしコースマップをみるとここは左折・・・むむ。とりあえず直進する。しかしこのまま行くとショートカットしてしまうのは明確だ。もう一度コースマップを見る。この先の交差点を左折すれば鳴門大橋へ向かう。そうすればコースマップとほぼ沿うことになると考え、左折した。南あわじ市の港へ到着したところで、道に淡一の表示が現れた。どういうことやねん・・・まあいいか。その表記に沿って自転車を進めると、坂の上に鳴門海峡を臨む公園が広がっていた。

 渦潮もハッキリ見える公園で一休みし、ふと見るとバイクラックにあのcanyonが!うさぎと亀よろしく、バイクに飛び乗ったのは言うまでもない。しかし公園を出て、どちらへ行くのか表示はない。一か八かで左折するとなんと急な下り坂の先は行き止まり。くそ~~~この坂をもう一度上がるんかい・・・元へなんとか戻り、そこを右折すると表示が現れた。その後も激しいアップダウンが続く。きつい、間違えた自分が悪いのだが、真昼の太陽が足と心を奪っていく。休もう、それでなければどんどん遅くなってしまう。そう考え、一時間ごとに休憩をはさむことに。途中の砂浜で寝ころび、足を海に浸す。あ~気持ちいい。休憩のお陰て、時速28km/hを維持したままゴールの岩屋港へ辿りつくことができた。

 船を一本遅らせてでもここで食事がしたい、そう浜ちどりへ直行し、釜揚げシラス丼を頼んだ。道中シラスを天日で干しているのをずっと見てきたからこその注文だ。もちろん淡路島玉ねぎの天ぷらも!あ~~~旨い!!

 6時間半掛けて一周完走したが、休みが多かったので、もう日は沈み、辺りは灰色と赤のグラデーションに包まれていた。船から明石海峡大橋を眺めると帆船がこちらへ向かってくる。あ~この船に乗るのも当分無いなと感傷に浸りながら波に揺られた。

 

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2023年8月10日 (木)

しまなみ海道を走る

 今年はクソ暑い

 夏は暑いものではあるが、本当に暑い!朝から身の危険を感じることもしばしばだ。こんな時に運動なんてとんでもない・・・そうテレビでも連呼しているが、高校野球の中継はいつも通り行われているし、夏祭りはコロナ禍で待ってた人たちのためにと盛大に実施されている。

 そんななか、私もよせばいいのにしまなみ海道へ行こうと計画を立ててしまった。それでも午前中のみのライドとし、午後は車を中心とした散策にしようと計画してみたのだ。全長70kmというから、遅くても25km/hで走れるので、3時間なんて余裕!ただ橋を通るためのアップダウンがかなりあるとのこと。それならば2日かければこの酷暑でも大丈夫だろうと考えた。

 初日は早朝出発し、尾道へ。尾道から車を妻に預け、サポートをお願いする。自身は船で対岸の向島へ渡る。妻が遠回りで高速道から向島へ渡り、喫茶店で待ち合わせ。残念ながら喫茶店は木曜日休業。後で気付いたが、島の店の多くは週末以外は休業・・・それで生活が成り立つのか??

 気を取り直して因島へ。高速道の橋へらせん状の坂道を行くと、橋は二重構造となっており、上が車、下は自転車と歩行者が通行できるとのこと。これは走りやすい!!スイスイと橋を渡って因島へ。因島で早い昼ごはんを計画し、島の南西にあるお好み焼き屋で待ち合わせ。島のサイダーを飲みながら、広島焼きをいただく。島のスタイルは焼きそばではなく焼きうどん!これがまた旨い!!

 腹ごしらえが出来たので、正午までの時間を生口島までのライドに使う。目指すは平山郁夫美術館。美しい島と海と空を眺めながら、快調に走る。正午はわずかに超えたが、へたばる前に車とランデブー。荷台に自転車を放り込み、美術館鑑賞へ。大好きな画家の一生と、シルクロードへ掛けた情熱を垣間見、来てよかったと嘆息する。今日の宿はすぐそばにある料理旅館つつ井。まだ時間があるので、次の島である大三島へ車で移動し、大山祇神社へ。霊験あらたかな楠を眺め、ゆっくりと境内を散策した。夕日を眺めながら旅館へ戻り、レモン風呂をいただく。香りと同時に目にも鮮やかなレモンが身体中を刺激してくれる。あ~気持ちいい!

 風呂から上がると夕飯だ。実はこの旅館、現在勤めている病院スタッフが結婚式に選んだ場所とのこと。料理がおいしいから是非と言われ予約した経緯だ。先付けからたくさんの小鉢が並ぶ。どれもこれも愛情たっぷりでうまい!お造りも椀物も島のものをふんだんに使って実にさわやか!魚と夏野菜の天ぷらもうますぎてたまらな~い、しかもこれにレモン豚の陶板焼きがついてもう死にそう・・・ごはんと味噌汁が運ばれてきたが、もう無理・・・しかし味噌汁の蓋を開けると、大好きなホウボウがプリっとした身を見せているではないか。口に入れると味噌の香りが立ち上り、あぁもうあかん・・・

 大満足で部屋へ戻ると、外が何やらにぎやか。窓の外を覗くと、どうも夏祭りが始まった様子。木曜日なのに?と思いながら少しおなかがこなれたころで夕涼みへ。海辺の灯篭に日が入り、子どもたちが自作の提灯をぶら下げて集まってくる。海へ目をやると、赤い光を灯した船が掛け声と共に近づいてくる。よく見ると赤い光は鳥居を型取っており、向こう岸とこちらを行ったり来たりしている。男衆が集まり、かなりの速さで漕いでいる。それを見ながら子どもたちが歓声を上げている。あ~島の夏祭りとはこういうものだなと旅愁に浸ってしばし眺めた。

 翌日は早朝から散歩に出かけた。耕三寺が有名だが、宿からほど近い向上寺へ。国の重要文化財である三重塔はさすがの一言。

これ以外にも法然寺の山門に掘られた竜や狛犬の見事なこと!こりゃとんでもなく文化度が高い地域だと目を見張った。おそらく村上水軍のおかげなのだろう。

 散歩のお陰で朝ごはんもまた飛び切り美味しく、お膳を三杯もいただいた。これでライドもばっちりだろうと、意気揚々と宿を駆け出した。レモン谷を抜け、大三島、伯方島と渡り、最後の大島へ。宿のご主人には大島で皆さんつらくなるようですよと言われていたが、南端まで予定より1時間も早くついてしまった。そこには亀老山展望台という標高380mの山があり、来島海峡を臨む絶景ポイントらしい。ただ斜度もかなりで、チャリダーには過酷とも言われていた。さすがにこの酷暑で行く気はないと妻に宣言していたのではあるが・・・一時間の余裕が判断を狂わせ、展望台登頂に舵を切った。噂にたがわぬ激坂・・・自転車につけたボトルは既にぬるま湯になっていて、頭からかぶれども涼は得られず・・・しかし30分ほどの奮闘で登り切った!

 いや~~絶景哉!

 この景色を見ずしてしまなみ海道は語れないな。そう思わせるに十分な絶景を堪能した。その後予約していたレストランで食事をするために車へ自転車を乗せて移動。続けて大島を逆走し、村上水軍の本拠地能島観光へ。

 ゴーゴーと音を立てて流れる瀬戸を眺めながら、水軍で栄えたこの海道を想った。やあ、酷暑の中だったがこうして走ってみて、本当によかった!

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2023年7月29日 (土)

小児救急医学会参加

 先週末、千葉幕張で日本小児救急医学会学術集会が開催された。主幹は松戸市立医療センター、つまり市中病院が単独で主幹を行い、大会長は敬愛してやまないH先生が担った。学会を開催するのは本当に大変で、プログラム設定はもちろん、様々なことにお金が発生するので、収支を合わせるのに気をもむことすさまじく、尋常な額ではなかっただろう。それでも先生の人徳で人が集まり、黒字で終わったと聞いた。本当に凄いことだといつまでも拍手を送りたくなってしまう。

 実は小児救急医学会には参加してこなかった。PICUを中心に、高度救急をいかに根付かせ、子どもたちを助けられるのかという議論が主体であるように思えたからだった。現に千葉県で小児救急の話し合いが行われる際には、高度救急のできる病院以外にほぼ発言権はなく、スライドに登場する小児救急構想に私の所属する病院は挙げられてこなかった。だからといって、一次・二次救急は議論しなくてもよいなどと言っていたわけではないし、もっと議論すべきだったのだろうとは思うのだが、そこまで至らなかったのであろう。もう少しその場に参加し続ける必要があったのかもしれない。

 少なくとも今回松戸が用意したプログラムは、高度救急だけにスポットを当てたものではなく、コンセプトに掲げる「仲間と共に小児救急」の掛け声と共に、一次・二次はもちろん、救急に従事する医療全体を見渡すようなものであった。だからこそ、どのセッションを覗いても、人があふれ、活気に満ちた議論とワークショップが開催されていたのだ。天晴、松戸市立医療センター!!

 微力ながら、初めて私はポスターを持参し発表する機会を得た。みずからが所属する地域の医療の問題を愚痴るような発表であったが、座長はじめ、よくぞ生の声を届けてくれたと声を掛けてくれた。日本の過疎地域の問題点とその改善策を議論するきっかけとなればよいのだが。

 ということで、とても有意義な週末を過ごし帰宅すると、とんでもなく忙しい日常が待っていた。ヘロヘロなのだが、今週末は当直業務が待っている。ああ、このくそ暑さの中なら、きっといっぱい押し寄せてくるのだろうと憂鬱になってしまう。また来年愚痴りに行こうか・・・

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2023年6月13日 (火)

学校検尿の季節

 毎年5月になれば、小中学校で一斉に検尿が行われる。異常を指摘された子供たちは、およそ夏休みまでの間に医療機関を受診するという流れになっている。慢性の腎炎症候群を早期にとらえ、早期に治療介入を行うことで腎不全へ至る道を断ち切りたいという趣旨で始まったものだ。昨今はこれに加え、先天性腎疾患も早期にとらえ、腎不全への移行を遅らせるという目的も兼ねている。

 腎疾患は急激に悪化するものもあれば、ゆっくりと本体を表してくるものもある。検尿異常で見つけても、診断に至るまでに数か月から数年を要することも多い。そのためフォローアップがとても大切で、その時の数値よりもこれまでのそしてこれからの経過の方が重要なこともしばしばだ。だから腎疾患手帳とか経過表なるものが欠かせないのだが、検尿を任されている自治体によってはこれがシステマティックにできていないところがある。全国のおよそ半分はできていないようで、当地域もその状態であった。

 自分が赴任してきて、最初にこのシステムづくりに着手した。担当するスタッフはもちろん、開業の先生方にもわかっていただくための勉強会も開いた。昨年一年を試行期間としてやってみて、どうにか形はできたようだった。断言できないのは、情報共有の場を設けようという呼びかけに自治体も医師会も反応してくれなかったからに相違ない。いや、私が全部把握しようというのではなく、みんなで地域の子どもたちの状態を把握しようよという呼びかけなのだが・・・

 で、今年になって異常を指摘された子どもがやってきた。昨年の試行期間にはなかった腎疾患手帳を携えてきている。確かにこんな手帳を作ろうよと私が呼びかけ、サンプルを手渡ししたが、こうなりましたと説明は全く受けていない。う~~ん。

 いや、子どもたちがきちんと精査され、フォローアップされるなら私がイニシアティブをとる必要なんて全く無いのだ。そう全く。

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2023年5月16日 (火)

そうだとは思っていたが仕方ない

 今年に入ってから妙に右の脇腹が痛む。どこがというと内側というより外側、つまり筋肉の痛みに思った。捻るよりおなかに力を入れる、そう息を大きく吸って吐くとか、車の中で少し背を後ろに倒しながら歌うと痛みを感じた。普段は違和感のみ。これってCarnett's test陽性だよなと思いながら、それでも腹直筋よりかなり外側の痛みなので、ACNESなのかそれとも腹壁に近い臓器の問題なのか悩んでいた。

 それでも食事は美味しいし、排便も良好で血も混じらない。体重が落ちることもなければ運動もできる。熱がでるわけでもない・・・とりあえず3か月待った。しかし変わらない。むしろ気にしている分、少し違和感は強くなったように思えた。採血で炎症や腫瘍系統のチェックをしてみたが、やはり何もひっかからない。エコーでも臓器に映る嫌な影はない。ACNESだよと言い聞かせてみるが・・・

 さらに1か月待ち、今日造影CTをお願いしてみた。肝臓に小さなcystが二つあるが、他には何もなかった。うん、それならこの違和感はやはり、腹壁の神経の絞扼だけなのだろう。

 ACNESの診断は、除外診断になる。自分が患者になってみて、これだけの時間を要したこと、そして最後は除外するために画像診断を必要としたこと、これは仕方ないなと思えた。年齢的にも悪性のものを疑う時期に来ているわけで、chat AIがいくらACNESを支持したところで、この診断の道程を経ないわけにはいかないだろう。

 では、これを糧に明日からの診療に役立てるとするかな。

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2023年5月 8日 (月)

やはり合併は避けられない

 局長として働けって言われるので、ある部門へ出向いてきた。部門長は開口一番、人が足りませんと。。。DPCや病院機能評価で加算される項目が定められ、それに向けて鋭意努力せよと言われてきているが、とてもじゃないが人が足らなくてできないのだと。足らない人を補填する意味で、定年退職者に延長をお願いしてきてもらっているが、それも限界。更に、部門長もそれほど定年まで長くはないが、その下の世代が、15歳以上離れているらしい。若いと指導者になれないわけではないが、コンスタントに人員が補充されるわけでもなく、若い人が入ってきてもすぐ辞めてしまうのだと・・・やっぱり給料がね~~との嘆きを聞いてきた。

 私のポケットマネーでなんて話にはなりようがない。周囲を見渡しても人口比率が年寄りばかりであるのは事実であり、若いのも中堅もいないのは当然だろう。問題は小児科だけではない。地方はエッセンシャルワーカーですら既に破綻をきたしているのだ。意固地にこの病院を残そうとしてもね~

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2023年4月 4日 (火)

肩書

 4月から肩書が増えた。なんとか局長だそうな。まだ来て一年半、コロナで飲みにも出られず、自分の関連する病棟や外来はいざしらず、他の部署のことなんてさっぱり知らんし、医局ですらしゃべったことのある医者は数人だ。そんな奴に何とか局長が務まるはずなかろうに・・・それでも院長から呼び出しを受けて、二度も断ったのに結局受け入れてしまった。大学からはあと一年で異動の話が出てますよね?知ってはりますよね??

 それより、自分の仕事は小児科のことと研修医のお守だと思っていたら、なんですか、臨床研修センター長は副院長??もう知らんがな。

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2023年3月 4日 (土)

北播磨小児医療の現状

 一年ここにいて、地域の小児医療の実情が見えてきた。ずっと関東にいたので、他の地域の本当は見えぬままだった。いやはや本当に大変なことになっている!

 とにかく小児科医がいない。いても高齢化が凄い。以前淡路島で診療をしていたが、そのころ淡路島の小児医療が10年でどう変わるかをシミュレートした。当時の平均年齢が59歳。現在そのまま変化ないので平均63歳。これはそのまま続くと見られ、10年でほぼ70歳に届くことになる!と愕然としたのではあるが、ここ北播磨はその上を行く。三木・小野の開業医が小児一次救急当番を廻しているとのことだが、80代2名、70代2名、50代1名でやっているとのこと。西脇も加東も加西も4名しか小児科開業医はおらず、似たようなご年齢。おいおい・・・

 北播磨地域には中核となる医療センターがあり、確かにそこへ若い医者は来ている。しかしマンパワーの問題で2次救急を実施はしているが、オーバーナイトはできず、深夜帯は南の神戸・明石・加古川へ依頼している。北播磨地域といっても三木・小野ならばその南へ30分あれば行ける。患者負担もそれほどではないのかもしれない。しかし西脇やその北となると交通の便もそれほどよくないため、1時間以上は掛かってしまう。

 目を北へ移すと、中核となる丹波医療センターが見える。丹波を充実させるのは柏原の小児医療を守る会の運動以降、兵庫県として重要視していたはずではあるが、神戸大学からの派遣が総崩れとなってきて、常勤医が数名で救急をしなくてはならない状況に陥っている。産科医は5名を数え、分娩が400例を超えるとなると、小児科医の仕事はそれだけでもかなりなものになるはず。とすると地域の救急を担っている時間は限られてしまう。

 とするとここ西脇はどうするべきか。俯瞰してみれば、丹波に吸入されるべきと思う。しかし市町村のプライドが許さない。そんなことを言いながら、加西も加東も小児科医はいなくなってしまった。西脇も丹波へ吸収合併するほかないと思うが、それでも大学からの応援がなければいずれ丹波も倒れる。

 神戸大学小児科の医局員は毎年10名を超える新規参入がある。そのほとんどが神戸・加古川・姫路での仕事を希望している。他への異動を打診すると医局を辞めてしまうらしい。。。おいおい、厚労省。あんたたちが教授の力を奪ってしまい、地方の医療を崩壊させているんだぜ。どう落とし前つけるんだよ!!

 と言っても私にしたところで、ここに留まる義理があるわけではないのも最後に記しておく。

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2023年2月 2日 (木)

病院瓦版

 年明け早々に病院の瓦版が発行された。神戸マラソン完走者が院内に4人いるので、一緒に写真を撮って瓦版の記事にさせてほしいと言われていたので、ポージングを決めて皆で撮ってはいたが、こんな表紙になるとは。

 その他の記事は院内の発表会とか、福利厚生事業で行われている福引やハロウィーンパーティー、院内保育園でのクリスマス行事などだが、結構それぞれに顔出ししており、院内の医者は少ないのかいな?って思われるかも。しかしそれは間違いで、小児科医という特性がそうさせているだけということなのだ。

 とても和気あいあいとしていて、働きやすい職場っていうのは間違いはない。これを見てここで働きたいと思う方がいればそれが一番!さあ、あなたもどないですか??

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