2019年9月 5日 (木)

鳥海山sea to summit


9/1日曜日、秋田と山形の県境にある鳥海山で開催されたsea to summitに参加した。サポーターはいないので、前々日酒田泊を入れて臨んだ大会だ。

酒田は北前船で賑わった街で、本間という商人から武士に格上げとなった人物により大発展を遂げた街だった。残念ながら今はとても寂れてはいたが、当時を想像させる名所が狭い街に点在していてとても面白かった。なにより最上川の川縁がコンクリート付けになっていないで海まで到達していたことに感動した。

その酒田から車で20分ほどの町、遊佐にある鳥海温泉が今回の大会のスタート地点であった。朝4時に起きて、身支度を調え、5時半のスタートを待った。その時点で鳥海山を見上げると雲で全く見えなかった。主催者側からアナウンスがあり、天候不良によりゴールは頂上ではなく、途中の山小屋までとするとのこと。残念だが仕方が無い。出来るところまで頑張るだけだ。

カヤックは順調に滑り出した。周りを見ると規定通りのフラッグを掲げている舟は少ない。しかも川使用のタガーもいる!緩い大会だな~~と思いながらパドルを回した。さすがにリジッドには負ける。ゆっくり確実にカヤックを進め、予定通り30分以内に自転車へ移った。

自転車ヒルクライムは1150mまで駆け上がるものだ。焦りは禁物。これまでの練習で自覚しているように、心拍数を上げすぎないことが肝要。心掛けながら、それでも先を急いだ。凄いスピードでダンシングしていく若者をよそに、自分のペースを貫いた。追い越しで声を掛ける余裕も持った状態で駆け上がることが出来、目標である2時間をクリアした!!シングルの部では10/40の出来。年齢を考えれば上等だろう。

残念ながら登山は風雨の中だった。暑いのか寒いのか判らない状態で、登った。頂上を目指せる訳ではないため、意気が上がらず、ゆっくりとしたペースで登ることにした。slow and stable is best way!無事完走だ!

終わってみると筋肉痛もなにもない。これまでのトレーニングが功を奏したのは間違いないが、もう少し無理をしてもよかったのかもしれない。片付けも全て終え、夕日スポットへ向け自転車を走らせた。清々しい空気の中、海に映る夕日の道を眺めた。

ああ、なんという心地よさ。生きていることを実感した一日だった。

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2019年8月23日 (金)

文ちゃんは真っ赤?

韓国大統領はよほど北朝鮮と一緒になりたいと見える。祖国統一が悲願というのは判らなくもないが、やり方を見ているとどうも赤い団体の手口にしか見えない。

韓国は面子を一番とする行動規範があると聞くが、どうもこの政権は様子が違う。言動を考えると赤化が本当のところなのだろう。本当に韓国国民はそれを望んでいるのだろうか?確かに若者の現状への不満は極限に達していてもおかしくない。就職難はものすごく、昨年の失業率は10%超え、今年は25%に達すると聞く。日本では氷河期と言われた時代ですら10%に届かなかった(政府雇用統計による)。若者の不満はいかほどのものだろうか?ちなみにヨーロッパ諸国は現在も20%を超える国が多いため、若者の不満が鬱積し、ナショナリズムが台頭してきていると聞く。移民排斥、難民受け入れ拒否、他国企業への圧力強化などが問題となってきている。では韓国の若者は赤化を望んでいるのだろうか??少なくとも知り合いの韓国人医師たちにその素振りはない。

歴史をみていると、赤い団体は他の思想との摺り合わせを拒否する。自らの意思こそすべてで、他は力で排斥してよいという考え方をもっている。となれば、来年の韓国の選挙を注視していれば、これからどういう道を歩もうとしているかが判るだろう。もし文ちゃんが、法律を改正してでも自らの政権維持を図ろうとし、それが実現するならばもう韓国は西側諸国ではない。

日本は赤い国に国境線をすべて囲まれる怖い状況になりそうだ。アメリカとの関係を更に強化する他道はないのだろう。もしかしたらアメリカはそうなる前に手を打ちそうな気もするが・・・

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2019年8月 5日 (月)

筑波山再訪

週末の土曜日、身体が空いたので筑波山へ向かった。今回も前回と同じく輪行で土浦駅を利用する方法をとった。暑さを考慮してI時間以上早く到着したが利便性は変わらずとても良好だった。更衣室付近で埼玉から来たという年配の男性としばし歓談し、準備を整えて出発した。

しっかりと水分を補給し、携行する水分・栄養食も用意した。暑さは気になるが、ゆっくり行けばなんとかなるかと思っていた。前回のライドでコースは判っていた。筑波リンリンロードを快調に飛ばして石岡つくば線へ入ると緩やかな坂道が始まった。暑い・・・まとわりつく空気が重い・・・

ツールド筑波でも使用されるこのヒルクライムロードは距離は短いが中級を超える坂バカの道と言われている。ゆっくりを心掛けていたはずだが、心臓のバクバク感がどんどん増してくる。坂道が途切れることなく続くため給水がままならない。苦しい・・・いやヒルクライムはいつだって苦しさが襲ってくるものだ・・・頑張れ自分!しかし・・・

危ない。これ以上漕いだら倒れる!と感じ、木陰の道端に倒れ込んだ。水・塩を胃に流し込み、心臓の拍動が治まるのを待った。ダメだ、治まらない。このまま待っていてもどんどん気温は上昇するだろう。歩いてでも前へ進むか?それとも引き返すか?考えるより先に足が前へ向かっていた。数分坂道を歩いて登るがペースは全く上がらない。心拍数も落ちてこない。ん?少し坂がゆるやかになったから漕ぎ出せるか?なんて考え、サドルにまたがり数分進んだ。ダメだ、心拍数が半端ない。

思い切って木陰で休むことにした。風が少し通る木陰に移動し、腰を下ろして回復を待った。焦るな・・・ゆっくり深呼吸・・・頭と大腿に水を掛けて・・・数分経つと拍動を感じなくなった。更に数分待ち、サドルにまたがり、ゆっくりと漕ぎ出した。拍動はゆっくりだ!行ける!!

その後は足への負荷を感じるものの、リズムよく登ることが出来た。途中で何人ものチャリダーが休息をとっているのに出会った。風返し峠まで来るとその先の斜度が上がる。しかしそこもダンシングも入れながらリズム良く漕ぎ切れた。つつじヶ丘到着!急いで給水と同時に身体を冷やす作業に入った。今日はその後下るだけではない、山の頂上に足で登る予定なのだ。

ロープウェイを尻目にゆっくりと登っていく。わずか20m上がったところで息が切れてしまった。幼い女の子たちが両親に連れられひょいひょい登っていく。ダメだ足が上がらない・・・それでも歯を食いしばって前へ進むと30分ほどで足の疲れがとれた。そこからはいつもの調子で登って行けた。女体山山頂登頂!さて男体山はどうしよう・・・ええい、ここまで来たら全山制覇だ!と意気込んで進んでしまった。

男体山山頂で気付くとかなり時間が経過していたことに気付いた。これでは帰りが本当に遅くなってしまう。それなら下りはロープウェイを使えばいい!と考え、男体山のすぐ下の乗り場へ向かった。丁度いい塩梅で乗れた。これであとは自転車も下るだけだ・・・・ん?ここはみたことのない景色だぞ?えっ、これはロープウェイじゃない?ケーブルカー?えっ、じゃあ降りた先はつつじヶ丘じゃない???

見事に違う場所に降り立ち呆然とするばかりだったが、目の前には筑波山神社の荘厳な社が建っており、丁重にお参りをした。しかし現状が打開されるわけではない。とぼとぼと参道を降りてゆくと、観光案内所をみつけた。聴けばつつじヶ丘へはバスがあるとのこと。ただ次は1時間後・・・昼飯食べて待つほかはないとわかった。

1時間後にバスに乗り込むと2組の乗客だけ居合わせた。先程通った風返し峠を過ぎ、つつじヶ丘まであとカーブ3つのところで焦げた臭いを嗅いだ。同時にバスの運転手がバスを止め、基地と連絡を取り始めた。オーバーヒート!この暑さでバスも数人の乗客だけにも係わらずやられてしまったようだ。仕方なく歩いて登った。

帰りは快調だった。お決まりのかりんとう饅頭を買い、リンリンロードに出ると強烈な日差しと重い空気がまとわりついてきた。それでも速度は落ちることなく進めた。

土浦駅のシャワールームが気持ちよかったことは言うまでもない。

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2019年7月29日 (月)

2019小児科夏祭り

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今年も小児科夏祭りを開催した。

昨年は電子カルテ移行という大行事があり、合唱を披露することが出来なかったが、今年は例年通り患者さん達に元気になってもらいたい気持ちを乗せて歌を届けることができた。

それも趣向を凝らし、紅白対抗歌合戦形式とした。頼もしいことにリハビリにも事務にも合唱を本気でやりたいと思う人が結構いて、彼らを中心にこの企画を実践することが出来たのだ。

リハビリチームは「旅立ちの日に」「COSMOS]

事務・薬剤チームは「ルージュの伝言」「世界に一つだけの花」

両チームのどちらが良かったか会場のみなさんに評価していただいた。結果は・・・・

 

挙手ではほぼ同数。子ども達の手がよく見えないこともあり、続いて拍手で票を確認すると、圧倒的に事務・薬剤チームが優勢!

ということで事務・薬剤チームの優勝となった。賞状と金一封を手渡し、その場は一時解散。そして夏祭り会場へと移った。

 

会場では栄養科の皆さんが腕によりをかけて作ってくれたカレーやクレープなどが並び、みんなこぞって舌鼓を打っていた。また縁日屋台が様々に並び、スーパーボール掬いや輪投げに興じる子どもたちの熱気でむせかえっていた。

その熱気に台風も恐れをなして近づかなかったのか、予想に反して雨は降らず、予定通り花火も行うことが出来た。研修医たちに安全に配慮するよう指導したところ、きっちり誘導しながら恙なく、思いっきり花火を楽しむことが出来たようだ。

 

病院職員みなの多大なる協力により毎年開催できる小児科夏祭り。本当に感謝感謝である。また来年もお願いね!

では皆様、これからも元気で頑張りましょう!!

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2019年6月18日 (火)

土浦輪行

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早朝自転車を担いで京成の駅へ。乗り継ぎながら柏へ到着。初めての常磐線の列車を待つ。

アナウンスの後、スルスルッと長い列車が到着する。一番後ろの車両の最後のドアから入り、手すりに自転車の袋を結びつける。

さあ、初の土浦上陸!自転車乗りのための駅と言われるJR土浦駅を体験だ!

 

駅の改札口、なんと自転車のラインが青く引かれている。押して通りなさいということだ!しかしそれにしては改札の幅がちと狭い・・・

それでもその先にずっとラインが続いている。エレベーターを使用するが、それもしっかりした奥行きと幅あり!余裕で乗れるエレベーターだ。なになに?上の階は自転車ホテル?下は駐輪場やシャワールーム!?いいねぇ~~~なになに?ショッピングも食事も自転車と共に?なんと買い物も自転車を押しながら店の中へ入っていけるし、食事も席の隣に自転車を立てかけて食べる事が出来る!?なんと素晴らしい!!

とりあえず地下の駐輪場まで降りて、輪行袋から自転車を取り出し、組み立てる。1Fへ戻り、見渡すとコンビニが奥にあり、その更に奥に洗面所がある。自転車を近くまで押していき、トイレの前に置き、用を足す。少し戻りコンビニで携帯食を買うのも自転車と共に動くことが出来る!凄い!!水分補給も行い、いざ筑波山へ!

 

筑波山まではつくばりんりんロードが整備されている。車道を走ることなく、自転車道のみで行くことが出来るのだ。所々車道が横切る作りになっているため、減速を余儀なくされるが、それは仕方ない。これならゆっくりと自転車を楽しむことが出来る!筑波山まで小一時間の距離。雄大で美しい筑波山を眺めながら颯爽と近づいていく。手前の登山道の入り口が判らない、そのまま筑波山の参道まで辿り着いてしまった。仕方ない、そこから登ることに。傾斜はまずまず、車通りも少ない。程なくして赤い鳥居が見えてくる。鳥居の前の茶店でおにぎりを頬張る。再度自転車にまたがり一路ロープウェイ駅へ。今度は斜度がきつい。軽快にケイデンスバリバリの若者がスッと横を抜けていく。おっさんのクランクが長過ぎ、おまけにギアも少ないっての知ってるか?と叫びたいところだったが、それを言っても仕方ない。ゆっくり着実にペダルを押し込み、登頂する。

 

着いた!自転車で登れる筑波山の最頂点だ。足は・・・まだガクガクしてない。余裕はまだまだあるぜよ!

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2019年5月 7日 (火)

ビワイチ完走!

58682464_2174651335952045_58665424300015  平成も最後となるこの年に、年始早々中学からの同級生から連絡が入った。自転車で琵琶湖一周しようぜ!と。

 天皇陛下のご退位&即位のための10連休でそれをというのだが、実際どんな体制で診療が出来るものか思案中で、返事が出来ずにいた。

 しかし折角だし、キャンセルも出来るからと半ば強引に宿泊施設を押さえた。その後、なんとか休みを確保できることが判明した。

 

 輪行で新幹線に乗るのも緊張したが、時間に余裕を持たせていたせいもあって、さほど無理なことはなく琵琶湖のほとりに辿りついた。すでに同級生達は到着し、自転車の準備に余念がない。慌ててバックから自転車を取り出し、整備を急いだ。その後決起集会と言いながら、翌日のことを考えてお酒はなしに食事をとった。ゆっくり目をつむると、出発を告げるアラームが鳴った。

 

 AM04:30ホテルを出発。まだ暗い市街地をゆっくりと漕ぎ出す。琵琶湖の自転車道に辿り着いたころには日の出を迎え、東雲が紫に染まり水面に映る姿を眺めた。さあ、出発だ!

 

 途中ビワイチを歓迎する様々なアプリや催しを体験しながら、ゆっくりと一周を目指した。アップダウンはほとんどなく、快適に進んでいく。昼食には車で伴走してくれる同級生も合流し、楽しさは倍増。走る姿を写真に撮ってもらえてとてもうれしかった。白鬚神社では一緒に記念撮影。思いっきり童心に返って写真をとりあった。

 

 予想された雨は最後10分くらいでやってきたが、激しくなる前にゴール!本当に楽しいビワイチ完走であった。

 

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2019年4月 1日 (月)

令和元年

 本日2019.4.1、新元号が令和と定められた。施行は5.1だが、新しい元号にふさわしく、当院小児科も新任女性医師を迎え、新たなる歴史の幕開けとなる。

 

 さてさて、どんな世に、どんな診療科になるだろうか。乞うご期待!

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2019年3月25日 (月)

初マラソン完走!

 昨日この年になって初めてマラソンに挑戦した。これまでトレーニングとして週3回は走ってきた。10~20kmならいつでも走れる状態にはなってきていた。ただ今年に入って風邪から喘息へ移行し、約1か月近く苦しむことになったのは大誤算だったが。
 挑戦するなら地元がいいだろうと、春の佐倉朝日健康マラソンを選んだ。直前まで喘息の調子は改善せず、薬を大量服用、吸入までする状態で棄権を考えていたが、前日夜にようやく普段の呼吸に戻ったこともあり、挑戦することを選択した。天気は晴れ。湿度も気温も丁度良いが寒気が入って朝は冷え、風も強いという予報だった。服装はとても迷ったが、寒さで走れなくなれば喘息もやばいと考え、暖かい服装を選んだ。これが功を奏し、寒さでリタイヤする選手が続出したと後で知ったが、自分は汗もほどほどで、これによるつらさは感じなかった。
 マラソンは30kmからということだったが、のっけから自分のペースとはいかないものだった。なにより号砲が鳴ってからスタートラインに辿り着くまでで約10分。その後も狭い坂道を上り下りするのに大勢のランナーがひしめき合い、思った以上にスローペース。その後もキロ5分半から6分で走るつもりが6-7分ペースで推移。時間が掛かる分エネルギーの消費も多かった。ただゆっくりなので呼吸は全く問題なく過ごせたのは大きかった。
 20kmまでは快適に走った。しかし21kmから突如足が重くなり、しかも強力な向かい風となったこともあり全く進めない状況に陥った。冷静に身体の大きな選手の後ろについてなんとか粘った結果、24kmから再び加速できるようになった。家族の待つ30km付近では余裕の笑顔を見せることも出来た。31km、再び足が動かなくなった。今度は走ることも出来ない。しばらく歩きながら自分の身体と相談し、33kmで足を前へ運び出すことに成功すると、38kmまでは遅いペースながら良い呼吸とよい歩幅で走ることが出来た。しかし39kmの給水手前で口渇を自覚、歩いてようやく水を口にして少し走り、最後の坂道を上りきってゴールした。
 結局目標としていた完走は果たせたものの、市民ランナーの目標である4時間など遠く及ばず、5時間9分という記録であったが、これほどの時間常に自分と対話することになるとは想像していなかった。走る意味、生きている意味、人生とは何か、苦しいということ辛いと言うこと楽しいと言うことそれぞれにはどんな意味があるのかなど、ずっと自問自答していたことに心底驚いた。こんな経験は初めてである。マラソンとは自らとの対話のスポーツであることを知った。こりゃ凄い競技だ~~~

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2019年2月12日 (火)

感涙

 突然だが、北原白秋作詞・多田武彦作曲の組曲『雪と花火』という男声合唱曲が好きだ。この曲と出会ってから、いつか本物の男声合唱団員として歌いたいとずっと思っていた。
 学生時代から仕事を始めて10年までの間は市民合唱団の一つである男声合唱団に在籍していた。そこは全国大会にも出たことのある実力のある合唱団だった。しかし自分はヒラの団員で、演奏会のプログラムを組む中核ではなかったため、歌いたいと声に出しても叶うことはなかった。内容が内容だけに難しかったのかもしれないが・・・
 この組曲は北原白秋の不倫を歌った曲集だ。恋い焦がれ、不義を世間に問われ、責め苦の果てに肺病を患った彼女と流離ったロマンスを形を変えて歌った叙情詩だ。
花火が上がる~~~ どん~ 銀と緑の孔雀玉 パッと垂れて散りかかる・・・
薄い光と潮風に
義理と情けの孔雀玉 涙しとしと散りかかる
涙しとしと爪弾きの 歌の心に散りかかる
 それから20年、私はもうこの曲を自ら歌うことも感じることも出来ないのだと思っていた。しかし昨日、それが叶った。
 長男があの由緒ある同志社グリークラブに自らの意思で入団し、幹事長となり、トップテノールのソリストにまで登り詰めた。そして彼はなんと、この雪と花火を自分の代の最後の定期演奏会で演奏してくれたのだ。
若い心の孔雀玉
ええなんとしょ~~消えかかる・・・消えかかる・・・
 最後の和音がたなびき、消えかかってゆく。胸の奥から熱いものが吹き出し、頬を伝ってゆく。
 ありがとう。ありがとう。Bravo!
 
<追記>なんとこの『雪と花火』は同志社グリークラブの委嘱作品とのこと。縁を感じずにはいられない・・・
 

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2019年2月 6日 (水)

科学は万能ではないが

 昨年日本はIWCを脱退し、南氷洋での捕鯨調査を諦め、日本近海に限っての商業捕鯨に踏み切った。IWCでは調査捕鯨の結果、鯨は十分資源として復活しており、商業捕鯨も可能という状態になったことが判明しているにもかかわらず、捕鯨は動物愛護の観点から認められないという事態になっているからだ。
 とても理にかなった判断と評価されるべき脱退だ。なにも他国を敵にするほど捕鯨に重きを置く必要もないという人達がいるが、そもそもIWCで何を行おうとしていたかというと、鯨の資源管理を行い、世界の捕鯨を滞りなく進めるためで、動物愛護の話し合いではなかったはずだ。捕鯨国は北半球を中心に広がっている。伝統文化であると同時に、必要な漁であることも間違いない。科学をもって地球資源の有効利用を考える場が、文化的嗜好に左右されることほど無駄なことはない。異を唱えることは当然だろう。
 さてそれほど賢明な判断ができる日本だが、ことインフルエンザ対策というものについてはまるで科学的でない状況が続いている。科学の一端を担う医者がメディアを通して語りかけるのは、決まって早めに医療機関へ受診を促すことばかりだが、本当にそれでよいのだろうか。
 抗インフルエンザ剤を使えば早く良くなる?インフルエンザの診断を迅速検査をもって正しくしなくてはならない?隔離して治癒まで何日と決めつけることができる?学級閉鎖はすべてに優先されるほど有効?
 抗インフルエンザ剤がこの世に登場して約20年経過した。病院はこの時期ごった返すほどの大盛況で、我先にとこぞって鼻に棒を突っ込まれ、Aが陽性だ、Bではなかったなどと言っては抗インフルエンザ剤をいち早く服用しようとしている。にもかかわらず、日本国中で2000万人前後の国民が毎年変わらずインフルエンザに罹患する。インフルエンザで亡くなる老人は数百人にのぼり、インフルエンザ脳症を引き起こす子供たちも毎年数十人いる。何か変わったか?何か変えられただろうか??
 統計問題で揺れに揺れている厚労省は、インフルエンザの流行についてデータをもっている。きちんと統計処理してみるときっと判ると思うが・・・・
 おそらく今我々が行っているインフルエンザ対策は間違っているのだろう。そう思わないか?抗インフルエンザ剤をよくよく勉強してみれば、なるほどとてもよい薬だろうと思う。しかし生身の人間に使ってみても感染症状を大きく変える力はない。それは感染が成立した後の生体反応が一筋縄ではいかないからに他ならない。もういい加減多くの年月を費やしたのだから、本当にどうするべきかをしっかりと検証するべきだろう。それが国としての責任だと思うのだ。

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